アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自己否定の極み「自分が嫌い」と思ってしまう理由

アラフォー童貞のODです。

 

以前の私は、30過ぎて童貞であることを恥と思っていました。

結婚もしていないことを、特に目上の人からあーだこーだ言われるたびに、うっとうしく感じるとともに、心の中では気にしていました。恋愛に関してほとんど話題にしないので、「知人から女性と付き合ったことがないのでは?」といった疑問を持たれると、ちょっと良い雰囲気になった女性がいたことを交際として、嘘をついていました。

そのようなことがあるたび、虚勢を張っては、童貞である自分や女性と付き合ったこともない自分に対して、社会の大多数の人と自分は悪い意味で違っていると思っていました。

 

仕事で色々と成果を挙げたり、役職がついてくるものの、コミュニティも変わってくるもので、レベルの高い人にも出会うことが増えます。そこで自信のある振る舞いをする男性を見ては「この人もきっと、何人との女性とエッチしているんだろうな」「きっと、エッチもうまいんだろうな」「二次エロを見てシコっている、早漏な自分とは違うんだろうな」と比較しては卑屈になっていました。

どんなに仕事で頑張ってポジションが上がっても「女性と付き合ったことがない」「童貞」という要素が顔を出すと、自分に嫌気が指して、このままの状態でいいのかなどと自問自答をする日々を送っていました。

 

しかし、ちょうど一年前くらいに意識改革が怒りました。それは、本ブログを始めたきっかけである、同僚のシンママにアプローチしてみようと決意したのです。

 

もともと生活スタイルを整えるいうのは好きだったのですが、身なりやコミュニケーション、オナ禁など・・・自分の心身や性習慣を見直す良い機会になりました。身なりは結構おろそかにしていたんだと気づけましたし、恥ずべく自分勝手なキモい会話も注意するようになりました。また、日に2回以上の自慰行為(しかも好きな女性の私物をオカズにしていた)自分が、半年以上にもわたる禁欲生活を得て、「自分ってこうだんだな」と内観することができました。

 

このように自分自身のあり方をアラフォーになって見直したときに、いつしか「自分がこだわっていたことは、結構どうでも良いことなのかも」と思うようになりました。

結局、自分が駄目だと思ったり、自分が嫌になる・嫌いになる、という心理に追い込んでしまう大きな理由は「他人との比較」だということが分かってきたのです。

 

どんなに周囲が結婚をしていても、私には関係のない話です。

私の仕事のあり方と、女性経験がないのは因果関係はありません。

格好いい振る舞いの人が何人の女性とエッチしても、私は童貞のままです。

好きなシンママが現在誰と付き合っても、私が何か口を出す話ではありません。

そのシンママが誰とエッチをしていても、私がオナ禁している話とは関係ありません。

 

このように、すべてのものは私に関係していると見ることはできますが、一方で私とは何の因果関係もないとも言えます。考えるだけ無駄なのです。仮の話ですが、私がたくさんの女性関係があってもシンママとエッチできるわけでもありません。

 

周囲の人間のあり方や発言などを参考にしたり、触発されて自分のモチベーションにするのは良いと思いますが、ネガティブな評価を真に受けてしまったり、他人と自分を比較するだけで済ませるので、自分のことが嫌いという自己評価になって終わってしまうのです。

 

・・・と、このように思えるようになったのは、同僚のシングルマザーにアプローチしているうちに、童貞特有の経験不足からくる、勘違いや見当違いの嫉妬を発動してしている、みっともない自分に気づいたからです。

すでに上記の例え話でも言ってしまいましたが、意中のシンママが男性と話をしていたり、スマホでやりとりしているのを見て、無駄な嫉妬心を燃え上がらせたり、「今やりとりしている男とエッチしているのかも」と妄想してムラムラしていたこともありました(寝取られ系の漫画の読み過ぎです)。

 

しだいに、自分を変えるようになって、禁欲までしているのに、シンママとの関係も進展しない苦しみなど増えてきたあたりから、「別に他人から好かれなくてもいいじゃん」とか「こんなに苦しんでまで、好かれようとするものか?」と思うようになりました。

 

もしかしたら、オナ禁をやめる理由付けとか、駄目な男の言い訳とか思われるかもしれませんが、実際にはこのあともオナ禁は続けていましたし、読書や筋トレや食生活の改善は現在にも至っています。

 

そのうえで、現在においては「他人からの評価はそこそこでいいや」と思うようになっています。それとつながるように、「自分が嫌い」「自分は駄目だ」ということもあまりなくなっています。

 

もちろん、他人からのアドバイスや周囲の状況や環境に合わせることはあります。それはあくまで生存のための適応とか、処世術のひとつであり、それらに対して私自身が何か変わるということは何一つありません。

良いものは真似ますし、悪いものは距離を置きます。悪口も含めて、嫌なものはできるだけ避けますし、自分の時間を優先するために他人の依頼を断ることもあります。それで嫌われたら仕方ありませんし、角が立たない程度に断ることで、自分が何を大切にしているかアピールすることもできます。

 

他人に評価してもらったり、好かれたりすることはメリットはありますが、それを中心にしてしまうと自分がなくなってしまいます。他人が言ってくる自分の評価がすべてになってしまいます。私で言えば、インターネットで「40近くの男が童貞なんてありえない」「結婚していない男は精神が幼い」などと書いていることがすべて、ということになってしまうようなものです。。

 

しかし、他人がそう思っているならば、それでいいじゃないですか。

自分で言うのも何ですが、少子化防止に貢献はできていませんが、仕事を通じて社会に貢献している自負はあります。早漏ではありますが、今のところ相手もいないので何も問題はありません。

今後お付き合いをすることがありましたら、童貞であることは言うかは分かりませんが、早漏であることはちゃんと相手に伝えたいと思っています。開き直る意味というわけではなく、見栄を張って相手との信頼関係を悪くするより、弱点をさらけだしたほうが良いという事をコミュニケーションを見直しながら実感しているからです。

 

自分は駄目な奴、自分が嫌いと自己否定に陥って苦しんでいるより、他人の評価は他人の評価として置いておいて、自分はどうしているのが気楽なのかを考えていたほうが健全です。そうすれば、こだわっていることは案外バカバカしく、それよりも自分が楽しいと思えることをすることが大切だと思えるようになります。

 

卑屈な意味でなく、私は童貞です。だけれども、何の問題もありません。

私は童貞ですが、今朝も起きて一日を迎えられましたし、美味しくご飯も食べました。仕事の連勤で疲れていますが、成し遂げたことも多いので満足もしています。このあと帰宅したら筋トレもしたいです。なんだかんだ言って3週間近くオナ禁状態なので、久しぶりに抜くのもありかもしれません(こう思っていると、意外にシコるのも面倒くさくなるのだから不思議)。

 

このような私は、社会にとって何の問題もありません。

私自身もそれで問題ないと思っています。だから、私は自分が嫌いではありません。むしろ、すがすがしく好ましい存在だと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。