アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

他人からの評価は「せっかくだから貰っておく」くらいの姿勢で受け取る

アラフォー童貞のODです。

 

よく「自分は他人の評価とか気にしない」という人がいますが、実際にそのような考えで気持ちよく生活できるのでしょうか?

 

たしかに実績や才能があれば、そのような考え方は格好がつくかもしれませんが、実績は簡単に出せるものではないですし、周囲がハッとするような才能やスキルなどを証明することも難しいものです。他人からの評価を気にしないということは、自己証明や自己承認欲求を満たしにくくなるということでもあります。

 

また、周囲からすれば、他人の評価を気にしない人というのは、人の話を聞かない人というのと同義に見られやすいものです。他人の評価を気にしていないという点があると、他者との信頼関係において何かしら悪い影響を与える可能性もあります。 

何か好きなことや夢中なこと、自分がこの道に進みたいということに対しては、他人の目を気にする必要はないと思います。他人から色々言われても、それらを受け止めたうえで「やりたい!」と思うのならば、世間は気にせずに自分自身を邁進すればよいだけです。

しかし、自分の道を行く途中であっても、たとえ好きなことをつきつめてく過程においても、他人からの協力やアドバイスが必要になるときはやってきます。よほどの変人でない限り、独力で物事を達成することはできませんので、他人の力を借りることになります。

 

そのようなとき、周囲から「あいつは評価を気にしないやつ」と思われていると、自分がやりたいことをカタチにしたいとき、なかなか手を貸してくれる人が見つけにくくなるものです。 

逆に言えば、他人からの評価にも目を向けておけば、そして真摯に受け止めて、ときには感謝したり、ときには改善することにより、周囲から「あいつは素直だから、手伝ってあげてもよいかも」と見直してくれます。場合によっては、失敗やミスに対して悪い評価をされても、それをバネに自身を正せば、やはり「あいつ、最近いい感じに変わったな」と評価も見直されるでしょう。

 

何だか現代において、評価されるということの意味が誤解されていうように思います。評価されるということは、自分の悪い面を露見されたり、他人に自分のことを決めつけられるような位置づけになっていないでしょうか?

 

他人からの評価というのは、何も悪いことではありません。

評価を受けるということに、何も怯えなくて大丈夫です。

 

たしかに、評価を下している人の価値観や主観が交じっていることは否めません。しかし、的外れというわけでもありません。必ず自分が見えていない部分を発見したり、改善点というものを知る機会にもなります。それをさておいて「俺は他人の評価なんてきにしない、俺は俺の道を行くぜ」という態度でいると、「ああ、もう勝手にやれよ」と思われて、二度と評価もされなければ、関係も断たれることになります。

 

せっかくなので、他人からの評価はとりあえず貰っておいて損はないと思います。いきなり「他人からの評価はいらない」というのは、食わず嫌いと同じです。怯えている反応として吠えている犬と同じです。

 

ときには「ちょっと味見してみようかな」くらいの感じでよいので、たまには自分がどのように見られいるのかを知るのも大切だと思います。むしろ、他人に無関心になりやすい現代において、自分を評価してくれる人がいるというのは貴重な話です。

 

仕事において、いつもは書類を作ったら提出して終わりとしているけれど、たまには同僚に「この書き方で伝わると思う?」とか、ちょっとしたプレゼンの前に「発表する練習をするから、見てくれないかな?」と一歩踏み込んで、自ら評価をしてもらう姿勢を見せるならば、嫌だという人はいないはずです。むしろ、私ならば「度胸あるなー」と思います。

 

毎日でなくていいので「たまには評価を自らもらいにいくこと」、評価を受ける場面になったら拒否的にならずに「まずは評価をありがたく貰っておくこと」という姿勢をしてみてはいかがでしょうか?

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。