アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

苦しいならば、「一度忘れる」「離れる」ことも大切

アラフォー童貞のODです。

 

禁煙、糖質制限オナ禁・・・自分自身の人生や肉体を改善したいという思いから、それまで過剰にやっていたこと、健康を害すると分かっていることをやめようとすること、いわゆる禁欲を決意する人は多いと思います。しかし、何かしらのきっかけで強い決意を決めるものの、いざ始めるととても苦しいものです。メカニズムは色々ありますが、ひとえにそれは「脳への刺激がなくなる」という話につきます。

脳はそれまで簡単に得られてきた強い刺激が急にこなくなるため、まるで小さな子供がおもちゃ売り場で駄々をこねるように、「ニコチンをくれ!」「甘い物を食べろ!」「シコって射精しろ!」などと刺激を求めます。それが苦しいという感情に変換されて、私たちはまたタバコや菓子類、ポルノなどに手を伸ばしてしまうのです。

 

つまり、欲に対しての苦しみとは、脳の苦しみと言っても過言ではないのです。

 

上記のような分かりやすい欲だけではなく、「愛されたい欲」「認められたい欲」だって同様です。恋愛における苦しみも脳の苦しみなのです。「好きな人に見て欲しい」「自分のことを好きになってほしい」「好きな人とデートがしたい」と思うのも、頭の中での妄想が現実になってほしいと思う欲です。

これに性欲も混ざると厄介です。今度は「好きな人とエッチがしたい」と思うようになります。これが食事に誘ってうまいことエッチできたり、交際するに至るというならば良いでしょう。

しかし、現実はなかなかそうはいきません。うまくいかないと、好きな人を妄想して自慰に及んだり、好きな人に似たAV女優のみだらな姿を見てムラムラしているのもまた、脳が刺激を欲しているからに他ありません。私もかつてはこのタイプでしたので、妄想しても似ている女性で欲情して射精しても、そのときはスッキリできますが、その人とお付き合いしたり、現実でエッチしているわけではないので虚しくなり、結局は苦しみになってしまうのです。一方で私たちの脳は「いいから、シコって射精して気持ちよくなりたい!」と指令を出してくるので、また同じループを繰り返します。

 

さて、性欲も含めた心身の苦しみの原因は、脳への刺激がなくなるからということは分かったとはいえ、それだけでは苦しみは解決しません。これを読んでいる方だって、そして私自身もまた、簡単に苦しみはなくなりません。というか、つまらないことで怒ったり悲しんだり、虚しくなったり、といった苦しみだらけです。

 

しかし、苦しみとの付き合い方は知っています。それは、半年以上のオナ禁生活を経て実感したことです。

 

それは・・・

苦しんでいることを認める

苦しんでしまうことを否定しない、責めない

 

ということです。

私たちは、人生において優劣や〇✕をつけたいものです。そのため、自分が至っていないことや決めたことができないと「自分は駄目な奴だ」「まだまだ努力が足りない」などと、苦しんでいる自分を否定したり、責めてしまうことがあります。しかし、自己否定したり自分を責めることは逆効果です。それ自身がストレスになってしまうので、そのストレスが燃料となってポルノ、自慰、砂糖菓子や油脂分の多い食品、タバコといった避けたいと思っていたものに手をだしてしまうようになります。

そうではなく、むしろ開き直って「同僚がエロくてムラムラするけど、シコれなくて苦しい」「ああ、甘い物が食べた-い!」「タバコ吸えなくて、イライラしているな」と欲に対しての今の気持ちを認めてしまうのです。ここで「いやいや、今はオナ禁しているから駄目だ」「同僚を性的な目で見てはいけない、バレるぞ」「甘い物を食べたら、また太ってしまう」「禁煙するって決めたじゃないか」などと、自分に「✕(ばつ)」をつけて責めることもしなくてもいいのです。こうして、今の自分が抱いている感情をそのまま認めてしまうのです。

 

そして・・・

「〇〇している自分」ということを一度忘れ

 

ということも大切です。

自分がしていること、自分のありかたを自覚することは大切です。しかし、固定しすぎるとそれは「執着心」になってしまいます。執着心は苦しみのもとです。

上記の例で言えば「オナ禁している自分」ということを一度忘れるのです。「オナ禁している自分」というのは、ポルノからの刺激や自慰による快楽が満たせない苦しみもある一方で、禁欲している自分というものに陶酔してしまうこともあります。「自分はオナ禁している、シコっている奴とは違う」「オナ禁している自分は素敵な人間である」と、極端に言えばそう思うようなものです。

しかし、そんな自分がポルノを見たいとか、職場の同僚女子の胸元に目が向いてしまったりする自分に対して「自分はそんな人間ではない」などとも思ってしまいます。オナ禁している自分という存在は、そんな人間ではないと抗ってしまうのです。これは苦しいです、存在しない自分と闘っているのですから。

 

つまり、逆に言えば「オナ禁している自分」「禁欲している素敵な自分」という執着心さえなくなれば、苦しみはなくなる・・・とまではいかなくても、苦しみを軽減はできるはずです。 

このままオナ禁に対する苦しみを軽減する方法をお伝えしますと、「オナ禁している自分を一度忘れる」という話になりますが、具体的には「オナ禁〇日目」というのを忘れる、手放すということでもあります。私も長期オナ禁の体験を書くときに「半年以上」と書くのも、途中からカウントすることに意味を見出さなくなったからです。

 

よく「オナ禁1週間。なんか調子がいい」とか「オナ禁一カ月で世界が変わった」と言う報告を、私がオナ禁中にも目にしましたが、正直言って、オナ禁日数のカウントと心身の変化というのはあまり相関性はない、というのが私自身の得た結論です。

確かに最初のうちは達成感がありますが、だんだんと実感がなくなっていきます。オナ禁を続けていて奇跡的に女性とお付き合いできたり、仕事がうまくいったり、人生が変わったという人はいますが、オナ禁生活の実践者に対してそのような人は何パーセントいるでしょう。そのような奇跡的な人たちに憧れるのは分かりますが、成果が出ないとただ続けること自体が目的なってしまい、一方で脳からの刺激を要請する指令も止まらないので、苦しみはずっと続くのです。

 

オナ禁を否定しているわけではありません。モテとか人生の好転とかいう話とは相関性がないというだけであって、オナ禁によりポルノを眺めているだけの浪費、ムラムラに縛られる時間、癖で自慰に及ぶことによるエネルギーの消費やホルモンバランスの乱れは節約することできるのは間違いありません。大事なのは、その時間やエネルギーを何に使うかなのです。決して「オナ禁している自分」「オナ禁を〇日続けている自分」に価値があるわけではないのです。

 

私は長期のオナ禁を経て一度リセットして以降、意外なことに性欲に振り回されなくなりました。それは「オナ禁している自分」という呪縛がなくなったからと思っています。そのため、1週間の間に朝勃ちすることはあっても、ムラムラすることは何度もありますが自慰に及ぶまではいきません。やるならば、自分でタイミングを決めて「今日抜こう」と思って発散しています。

しかし、それを「1週間オナ禁してリセットした自分」とは思うことはありません。自分を責めることもありません。ただ、自分で決めて自慰をしたという事実だけです。そして、それから自慰をせずに1か月を経過したとしても、1か月間オナ禁したとも思わないし、そのころには1か月前に自慰をして射精したということも忘れています。・・・そのくらいの話なのです。

 

何度もお伝えしますが、オナ禁や禁欲を否定しているわけではありません。ちゃんとしたメリットはあります。しかし、メリットを実感できればいいですが、ただひたすら苦しいという思いを抱いているならば、自分を責めなくてもいいので、とりあえず「禁欲している自分」「✕✕さんが好きで、付き合いたいと思っている自分」といった自分のあり方に固執して、執着している自分を解放してあげてはいかがでしょうか?

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。