アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

一度決めたら、他の選択肢を振り返らない

アラフォー童貞のODです。

 

私たちは日常において、様々な選択肢に遭遇しそして決断をします。そして、しばらくして良くない状況になると、私たちは「あのときの選択肢は間違っていた」「別の選択肢のほうが良かったんだ」と考えてしまうものです。

しかし、一度してしまった決断はもう変えることはできません。過去に戻って選択肢を変えることもできません。このようなことは当たり前なのですが、どうしても、そのときした選択を変えられないのに、選ばなかった世界や別の選択をした別の未来に思いを馳せてしまうのが人間です。

 

このようなことは、おそらく現代人において顕著にある現象だと思います。それは、現代は情報化社会で多くの選択があるから、その分別の選択肢に思いを馳せたり後悔をしたりするから・・・と言いたいのですが、ちょっと違います。

 

昔の人(ここでは石器時代の人や戦時中を生き抜いていた人たちなど)は、選択肢を誤ると、「死」というクリティカルなバッドエンドを迎えます。だからこそ、間違えることができないのです。そして、選択肢を間違ったら死んでしまうので、そもそも「あのとき別の選択をしておけば―」と思うことも叶わないのです。

 

それに対して、私たち現代人は選択肢を誤ったとしても、やり直しや軌道修正ができます。なぜならば、生きているからです。選択を間違っても、選択したことで状況が悪化しても、「選択肢を間違った」という事実とそれに準じた失敗だけが残り、選択した自分自身はしぶとくも生きています。後悔するという感情をもつことができる自分がまだいます。よほどのアンダーグラウンドな世界に身を置いていない限りは、これからも生きてまた選択することができます。そして、また選択肢を誤ったとしても、それでも生きていることができます。

 

つまり、「あのとき選択を誤った」「別の選択をしておけば」と思うことができるのは、ある意味、幸せなことなのです。

 

もちろん、自分がした選択や判断により、自分だけではなく多くの人に迷惑をかけてしまうこともあります。それは仕方ありません。どんなにシミュレーションをしたとしても、予測に対して予防策や対策をしても、選択した後に、自分たちに力では到底コントロールできない不測の事態というのは起こるときは起こります。それに対して、落ち込んだり呆然としたりする自分もいれば、それに対して追い打ちをかけるように「あなたの選択が間違っていたんだ!」「やっぱり、別の選択のほうが正しかったんだ!!」と罵倒されることもあります。このような事態になって、「選択を間違ったけれど、自分は生きているから幸せだなー」とは決して思えないはずです。

 

とはいえ、選択を間違っても生きているから問題はない、と思えてくるのは時間が経過してからですし、すぐに気持ちを切り替えられる人間になるには相当なメンタルトレーニングが必要です。一朝一夕では成し遂げられません。

しかし、私は自分の意思で選択することができる人は格好いいと思います。それは成功したときの姿が格好いいのではなく、周囲から罵倒されることも人生を転落させる可能性があっても、そのようなリスクを背負うことができる姿は素敵です。そのような人は、目には見えない生傷をつけながらも筋骨隆々な精神をもつことができるはずです。次第に余裕こそ生まれてくるはずです。

一番よろしくないのは、「自分の何も選択しない」ということです。自分で選択しないことは、楽なものです。他人が自分の行く末を決めてくれますし、責任もないので罵倒もされません。何なら罵倒する側になることだってできます。しかし、そのような人は何の発展もしません。自分を省みて、そして改善する機会を作らないのですから。

 

冒頭のように、私たちの日常においては選択する場面はたくさんあります。それらすべてに向き合え、と言っているわけではありません。しかし、それでも1つでも多くの選択をすることにより、傷つきながらも、次第に自分の人生を向上することができるのではないでしょうか? 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。