アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

特定の情報を信奉するのはいいが、他の意見にも耳を傾けてみる

 アラフォー童貞のODです。

 

ブログや動画配信などで、個人の意見を簡単に発信できる時代です。そうして、はじめは個人の趣味で知識・技術などの情報、エンターテイメント性のある面白映像などを発信しているうちに、大衆の注目を集めるようになり、いわゆる有名人として昇格する人もどんどん出てきています。当然、これらは個人だけのものではなく、タレントや専門家などの著名人の方々も同様に活用します。テレビやラジオといった既存のメディアだけではなく、SNSや動画なども活用することで、大衆の目を引こうとします。

 

では、それらの情報を受ける側の私たちはどういうスタンスでいれば良いのでしょうか? 出てきた情報をそのまま「面白い!」「ためになる!」「やってみよう!」と思えるうちは問題ないと思います。

しかし、はじめは何となく見たり、友人からおすすめされたり、自動再生されたなどの様々なきっかけから受け取った情報ですが、次第に見る先は選定されるようになります。「ダイエットの情報と言えば、△△さんのブログ」「筋トレは✕✕さんの動画が参考になる」「ウェブ漫画を見たいから、総合サイトをみよう」とか、自分なりの検索ツールが決まっていきます。

 

これは自然なことです。人間の時間は限られているため、すべてのニュースを集めようと思っても、1日がかりですべての新聞紙を読んだり、ニュースを見たり、ウェブサイトの記事を読んだり、SNSの注目情報を見る、なんてしていたら1日は終わってしまいます。それが趣味の人ならば良いでしょうが、たいていの人はそうではありません。

また、結局のところ人間は好みがあります。情報量にこだわる人もいれば、ポイントを抑えた記事のほうが良い人もいます。情報ソースの正確性を重視する人もいれば、視点が極端な考えを面白がる人もいます。自分が知りたい検索ワードを入れるほうが良い人もいれば、ブラウザを起動したら最新情報が一気に表示されるほうが良い人もいます。これが万人に受けるという情報の発信元というのはありません。

 

だからこそ、情報の発信元の選定という行為はごく自然なことなのです。しかし、ここで落とし穴が生まれます。それは「特定の情報発信元を信奉してしまう」ということです。言い換えれば、「特定の情報発信元にこだわってしまう」ということです。なぜかと言いますと、特定の情報発信元にこだわりすぎると、他の情報、考え、意見などを受け入れにくくなるからです。

 

情報発信元、というとピンとこないかもしれないので、冒頭の有名人で例えるとしましょう。例えば、肉体改造のために色々調べているうちに、「筋トレの参考といえば、✕✕さん」と言えるくらいの、自分にフィットする動画やブログを見つけたとします。それをもとに筋トレや食生活を続けていって、実際に体つきが変わっていくと、「✕✕さんの言うことは正しかったんだ!」と嬉しくなります。

そんな中、あるとき同じく肉体改造を試みている人に出逢ったとき、その人から「△△さんの本を参考にして、実際に効果があるんだ」と勧められたので読んでみると・・・自分が信奉する✕✕さんとは全くことなるアプローチをしていることに驚きます。

 

このとき、「へー、このような鍛え方があるんだ。やってみよう」と思えるならば、とても素直で健全な人です。このような人は周囲からの印象も良いですし、成長も早いものです。一方、「なんだ、この本! ✕✕さんの言っているほうが正しい!!」「このやり方は間違っている!!」などと反発する人もいます。

 

このような人は意外に多いものです。冒頭でお伝えしました通り、有名人をはじめとして、個人でも情報を発信できるため、その分だけ「この人の考え方は素晴らしい」とフィットしてしまう情報発信元に行きつきやすい時代です。そのため、自分のあり方や課題に対してピタッとマッチする解決方法に行きついたときに、「これこそが、自分が求めていたものだ」と思ってしまいます。

それ自体は問題ないのですが、自分が見つけた最高の方法以外には、他にはやり方はないと思ってしまうことがあります。ときには、上記のように他の考え方や手法を批判的に捉えてしまうこともあります。ひどいときには、通販サイトのレビューやコメントを投稿できるサイトに罵詈雑言を書くなどの攻撃にかかることもあります。このような状態は、やめたほうが良い・・・とまでは言いませんが、少しは柔軟になったほうが良いと思います。理由はいくつかありますが、大きくは2つあります。

 

まずは、その人が信奉している発信元の情報というのは、とあるテーマに対しての星の数ほどあるアプローチ方法のうちの、たった1つに過ぎないということがあります。筋トレだって、自重もあれば、ダンベルやバーベル、フィットネスジムのマシン・・・様々な方法があります。同じ3セットでも、回数を決めるものもあれば、〇分間と時間で取り組むものもあります。重量の決め方もあれば、フォーム重視もあります。肉体改造において意見が異なるのは、栄養の取り方です。基本的な3大栄養素までは同じだとしても、具体的な食べ物、タイミングなどと細かくなるにつれて様々な意見があります。・・・正直、星の数ほどある考え同士をぶつけ合うのは意味がありません。

 

また、1つの情報発信元にこだわらないほうが良い理由は、「間違っていたときのダメージが大きい」ということです。好きだったアーティストが犯罪を犯したり、付き合うことを妄想するほど憧れていたアイドルに熱愛報道(結婚報道)が出たときの心境、と言えば分かりやすいかもしれません。そのような心境です。

情報発信元というのはたくさんありますが、その情報発信元で生まれた情報というのは、あまりありません。それらの多くは、何かしらの情報ソースがあって、それらを組み合わせたり、分かりやすく言い換えたりして発信しています。しかし、その情報ソースもまた、どこまで正確かというのは分かりません。最新情報として発信したとしても、その後に実は間違っていました、なんていうことはたくさんあります。

実際、歴史の教科書の内容や人物の肖像画だって違うということもありますし、身近な話においても、大人になってみると幼少期の出来事に対して疑問を持つこともあります。

最新の知識や手法だって、時代の変化や人間のメカニズムの解明によって、アプローチは変わっていきます。「根本は変わらない」とは言いますが、現代においては「根本を揺るがすような」というフレーズもよく耳にします。確実な方法や考え方はないのです。

 

さて、話が長くなりましたが、 自分にとって受け止めやすい情報発信元や、大好きな情報発信者の言うことを信奉する気持ちはわかります。どの点が分かるかというと、「この人の考え方を信じていれば安心だ」という、安牌的な心理に対してです。しかし、1つ又は少数の意見や考え方にこだわるがあまり、他の視点を見れなくなる・受け入れなくなるというのは勿体ない話です。

 

面白いもので、情報を受けている側は特定の考え方にこだわりやすいのに、実は情報を発信している側、つまり情報発信元・情報発信者のなかで成功している人というのは、自分のやり方に執着していないものです。

なぜかと言うと、情報を発信する側もまた、日々情報収集や学習は必要ですし、試行錯誤もしております。すると、自分のやり方のまま続けれるほど成功は続きません。すると、やはり別な視点や考え方も受け入れる必要が出てくるのです。そのため、情報発信元・発信者というのは、自分の考えは主張するものの、一方で他人の意見にも寛容なのです。

 

となると、情報の発信元・発信者を信奉する側、つまり情報を受け取る側もまた、特定の情報にこだわるのではなく、もっと広い視点をもち、色々な意見に耳を傾ける姿勢が大切なのではないか、という話になります。

 

特定の情報を好む・安心するというは問題ではありませんが、それ以外の情報や考え方を批判的な目で見るのではなく、あくまで1つのアプローチとして自分の心の本箱に入れておいても問題ないのではないでしょうか?

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。