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悩みや不安に対する「すでに答えは自分の中にある」の意味

アラフォー童貞のODです。

 

悩みや不安を抱えているとき、自分で考えたり調べたり、身近な人に相談をしたりするものです。その一方で「すでに答えは自分の中にある」という考え方もあります。しかし、この「すでに答えは自分の中にある」と言うものの、それが見つからないから、もがき苦しんでいる、という現実もあります。

 

この「すでに答えは自分の中にある」というものの意味は何なんでしょうか?

自分の中にある、何をもって答えとすれば良いのでしょうか?

 

ここで、自分の中にあるものを上げてみると、まずは自分のこれまでの経験や学習などを通じて得られたものがあります。そして、親や友人や会社の先輩といった周囲からの教えもあります。広い目で見れば、自分が生きてきた人生における世情や環境の変化なども挙げられます。

こうして、自分の中にあるものを挙げつつ、ジャンル分けをしていくと分かると思いますが、それらは複雑性・多様性のあるように見えて、整理していくと結構単純化できるものです。なぜならば、「自分の中にあるもの」とは、自分が知っていること、考えてきたこと、それらから派生してできた価値観くらいしかないからです。

 

そして「自分の中にあるもの」を、ひょいと取り出したときに、自分の悩みや不安に対して適切な答えかを検討するわけですが・・・当然、すぐに「あ、これこれ。自分が欲しい答えはこれなんだよ!」とはいきません。

 

なぜかというと、まずは自分が抱えている悩みや不安と、現在の自分のコンディションの適合性を検討する必要があるからです。他人よりも生きれいる年数が長くても、若くても経験の量が多かったとしても、自分の悩みや不安を解決するのは、結局は現在の自分の肉体というフィジカルのコンディション、物事の捉え方や価値観といったメンタルのコンディションをもって行うしかないからです。

これを理解しておかないと、普段運動もしない中年男性が、若いころの考え方を持ち出して「若いころの自分は、あれこれ考えずにもっと勢いのままに行動をしていった・・・」という事を自分の中から引っ張り出して、それを自分の悩みの解決策としての答えとして選択しようとしても、若いころの自分と現在の自分の心身のコンディションは異なります。中年男性が勢いをつけることを批判するつもりはありませんが、若いころにできたことや考え方が答えとして適切かどうかは話は違います。ちゃんと「うーん、これは現在の自分の悩みに対して、現在の自分のコンディションに見合う答えだろうか?」と吟味する必要があります。この吟味するということだって、若いころにはできなかったことでしょうし、現在の自分ならば若いころの大胆さと中年になって得られた慎重さをもって、改めて自分の中を見つめ直したときに見えてくることだってあるでしょう。

 

さて、現在の自分のコンディションをもって、自分の中にある答えを探せば、悩みや不安への解決策となる答えは見えてくるでしょうか? ・・・残念ながら、見えてくることはありません。

 

そもそも、「すでに答えは自分の中にある」という言葉は語弊があります。言葉のままにとらえると「自分が望む結果を得られる」という誤解をしてしまいます。

よく言われている「すでに答えは自分の中にある」というのは、悩みや不安の解決策そのものではありません。悩みや不安から解放された結果が見えることではありません。やり方や手順、それらによって得られる結果が予測できることではありません。

 

「すでに答えは自分のなかにある」とは、あくまで悩みや不安を解決するうえでの、その時点における「方針」「方向性」くらいでしかありません。しかも、「たぶん、こっちの方向だと思うよ」という、かなり曖昧なコンパスでもあります。

私たちはこれまでの経験や人生を振り返っても、確実性や完全な安全や保証などないままに生きてきました。今の自分というのは、すべて不確定なもので構成されています。そのため、自分の中にあるものを集結したところで得られるものもまた、不確実なものでしかないのです。明るい未来を映し出すことはありません。

それなのに「すでに答えは自分の中にある」と言われたからといって、その中に確実性や安全性のある答えなんてものは、1つもありません。きっと破片すらないでしょう。

 

では、どうすれば良いのかと言いますと、結局はその曖昧なコンパスが示す「方向性」に対して、あとは自分で行動するしかないのです。誰にも代わってもらうことができない、他人が持つことができないコンパスをもって、ビクビクしながら、ときどき後ろを振り返りながら、泣きそうになるかもしれないけれど、とりあえずコンパスの方向に歩みを進めるしかないのです。

しかも、コンパスというイメージワードを使いましたが、コンパスも現実では視覚的に捉えることはできません。「たぶん、こっちの方向だと思う・・・よし、数ある選択のなかで、とりあえずこの道を進もう」と腹をくくるしかないのです。これを私たちは「決断」と呼びます。

 

つまり、「すでに答えは自分の中にある」ということの意味することは・・・

 

● まずは悩みや不安と、現在の心身のコンディションとの「適合性」を考える。

● 自分の中にある答えとは、明るい未来への解決策ではなく、あくまで「方向性」。

● 数ある道の中から、不確実で不安定な方向を1つ選ぶ「決断」。

 

・・・ということになります。そのため、どんなに悩みをネットで調べたり投稿しても、他人にアドバイスをたくさん求めたとしても、結局は自分とはコンディションが違うし、考え方も価値観も違う人たちの視点です。その人たちの持っているコンパスも不確実かつ不安定なのは同じですが、コンパスの精度やカタチ・色合いは人それぞれです。他人のコンパスを自分に使うことはできません。

 

結局は、自分がこれまで得た経験や学習などから、自分に身の丈にあった方向性を、不安でも腹をくくって一歩踏み出すことそのものが、自分の中にある答えに従うということではないでしょうか?

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。