アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

本に書いていることは役に立たない、という誤解

アラフォー童貞のODです。

 

「本に書いていることは役に立たず、行動こそがすべてである」「実践に勝る経験はない」とおっしゃる方と出会うことがあります。このような考えをもっているのは、現場でバリバリ働いている人や現役を退いた中高年の人に多く見受けられます。

例えば、私が話の中で読書を好んでおり、読書に自分の成長や意義を感じているから続けている習慣であると伝えると、上記のような人たちは、私のことをまるで頭でっかちな奴という認識になるのか分かりませんが、読書の無益性と実践の偉大性を私に諭すように伝えてくるのです。

もちろん、教えていただけることはありがたいと思います。その人たちが苦労して現場で身につけた技術や知識、経験と言うのは(アラフォーとはいえ)若僧にとっては及ばないものがあります。おそらく、見て覚える、叱られながら分かってくる、やっているうちに身についていく・・・といった現場での実践を繰り返し、失敗しながら頭や体を使ってきたからこその今があるのだと思います。そのような経験をしてきたからこそ、行動や実践の大切さを知っているということは理解できます。本なんか読んで頭でっかちになっていないで、まずは体を動かして経験しろ、失敗しながら学べ、と言いたくなるのもわかります。

私自身、行動と実践の大切さは知っています。おっかなびっくりに行動と実践を繰り返して、今の私があるという自負もあるので、人生の先輩たちの言っていることはよくわかります。うんうん、と頷いて話を聞きます。

 

しかし、納得いかないことはあります。

それは「本に書いていることは役に立たない」という部分です。

 

もちろん、行動や実践、経験も大事ですが、知識や情報を得るということ、他者の考えや違った角度の解釈を自ら知ろうとすることは同じくらい大事であると思います。

以前、「守破離」に関する記事をまとめましたが、守破離において指導者の教えを第一にすることは大切ですが、基礎固めをしたその先の歩を進めるためには、その場の環境では得られない情報や考え方や物の見方が必要になってきます。そこにおいて、新しい環境に身を移すこともありますが、手っ取り早いのは本という存在を頼ることも大切です。

 

本とは、成長のためのショートカットツールです。

 

初心者のために分かりやすく書かれた指南書、さらなる基礎固めやから応用を身につけたい人のための専門書、それまでの常識とは違った見方や考察をしているもの、または自分が身を置いている環境とは全く違うジャンル・・・様々な種類が星の数ほどあります。これらはすべて、先人たちが自分の知識や経験などを広く伝えるためにまとめてくれています。

たまに「独学で学んだ」ということを口にする人がいますが、その人たちだって何かしらの本などの情報を見て学習してきたはずです。本もインターネットもない孤島といった特殊な環境でない限り、独りでイチからはじめて、失敗しながら形にして高いクオリティを構築するという人はほとんどいません。学ぶということは直接的でも間接的でも、必ず他者がいたからこそ学べてこれたはずです。

むしろ、何かを始めるにあたって先人の知識や経験を知ろうとしないのはもったいないです。先人たち何年もかけて気づいた効率的なやり方や、つまずきやすいステップに対する対応策といったノウハウがあるからこそ、私たちは文明をすごい勢いで進めてこれたのです。本に書いている先人たちの情報、知識、技術、知恵、失敗体験などを知らない手はないはずです。

 

ではなぜ、「本に書いていることは役に立たない」という認識があるのでしょう? 

 

この疑問に答えるにあたり、そもそも、「本に書いていることは役に立たない」という人は、本に書いていることをそのまま実践しているでしょうか? 

 

残念ながら、多くの人は本に書いていることを、そのまま実践しないものです。分かりやすい例として、「お金を増やす方法」のような本はたくさんありますが、その多くは投資を推奨しています。そこには投資の種類や始め方、商品の選定などのハウツー本を読んだとき・・・そのままやっているでしょうか? インターネットでの手続き手順も細かく書いているのに、途中で他人ごとになっていないでしょうか? 

・・・そうしていつの間にか本を放り投げて、本を読んだことすら忘れて、また「あー、いつか金持ちになりたい」などと思う事を繰り返していないでしょうか?

(広い目で見れば、本に限らず、セミナーの講師やテレビでやっていること、上司や先輩・友人や家族のアドバイスに耳を傾け、素直に実践しているかどうか、ということ同様ですが・・・)このように、先人たちや専門家などの貴重な話を知ったものの、結局は何もしないので結果も出ず、それが「本に書いていることは役に立たない」という認識に置き換わってしまうのです。

 

ここで冒頭で私に行動や実践の大切さを教えてくれた人たちの話につながるのですが、本による先人たちの知識・経験などに加えて、それらを行動や実践してみて初めて、「本に書いていることは役に立つ」とつながるのです。本に書いていることを読んで何もしないのは、知っただけです。何もしなければ、それは役に立たないのは当然です。

 

とはいえ、私は日課として読書をしているものの、周囲に強制はしません。本を読むことの魅力を伝えることもしていません。仕事の参考資料として書籍を紹介することはありますが、それも職員に読むことを強制することはありません。読書に苦のない人やそのテーマに興味ある人が読んでくれれば良いと思っているくらいです。

あえて欲を言えば、本を読んだだけで終わらず、その内容を自分なりにノートやブログなどにまとめてアウトプットしたり、実践できる場があったときに試してみてほしいと思ってはおります。これを1日5分でもやることを続ければ、本は役に立たないということは言えなくなるはずです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

(蛇足)

個人的な疑問なのは、「本に書いていることは役に立たない」と言う割にスマホで色々な情報を眺めている人もいるから面白いものです。その情報もまた、顔も知らぬ先人や見たことのない他人が集めたものに他なりません。本の内容は信じないのに、ネットに垂れ流しされている情報には喰いつくというのは・・・矛盾を感じます。