アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

出来事や他人の言動に対して「良い」「悪い」と判断してしまうのは、自己認識によるもの

アラフォー童貞のODです。

 

何かしらの出来事に出くわしたとき、私たちの反応は様々です。

笑いとばしてポジティブに捉えることもあれば、怒ったり悲しみにくれたりとネガティブに捉えることもあります。または、何とも思わないこともあるかもしれません。

 

面白いことに、同じことを体験しているはずなのに人によって反応が異なることもあります。嫌味を言われたとき、自分は何とも思わないのに、別の人は「すっごいムカつく!」と怒りを露わにする、といった具合です。

さらに面白いことに、以前体験した事と類似の出来事に出くわしたときの反応もまた、変化しているということもあります。以前はムカついたのに、改めて目の当たりにすると別にどうという話でもない、といった具合です。

 

当然ですが、私もこのような感覚は生きていて幾度もありました。

二十代後半に心身を崩して仕事もせずに引きこもっていた時期、気を遣ってくれた友人が外に連れ出してくれました。その時期は電話が怖かったので、友人からの電話すらうとましく思っておりましたし、遊びの誘いも放っておいてほしいと思っていました。

しかし、今では外に出るきっかけを与えてくれたこと(その当時は衰えていた)足腰と体力を使うような自然のなかまで連れて行ってくれたこと・・・これらは今では感謝しております。

 

また、その友人は気遣いはあるものの、ちょっと辛辣な言葉も誰にでも言うタイプだったので、心が疲れてしまった私なんかお構いなしに、私の言葉の端々から伺える心理を読み解き、「きみは幼稚な考えをしているよね」とズバっと言ってきたこともありました。

それに対して、その当時はムカッとはきても黙ってしまいましたが、その当時を振り返ってみての現在では「うーん、たしかに幼稚な考え方をしていたよなー、自分は」とあっけらかんと返答するでしょう。

 

私が心を病んでいることや働いていないことが悪い、という話ではありません。そこに至った要因を指摘してくれたのです。おそらく、友人は、社会人として学習することや人と関わって生きるといった、大人としての努力を避けていた、当時の自分を見て思ったのでしょう。

 

さて、これらのように私たちは、同じ事象なのに人によって捉え方が異なったり、自分自身でも似たような出来事に対し異なった見解をしてしまうものです。なぜでしょうか?

 

これは、自分のあり方の受け止める力としての「自己認識」にかかっています。

 

成功体験も大切ですが、自身の失敗や他者からの指摘に対して、自分は駄目な奴と思って終わるのか、1つの学びとして今後に活かすかどうかによって、別の事象に遭遇したときの反応は異なります。

特に他人からの指摘、存在否定、非難などは言われると胸が苦しくなりますし、ひどく落ち込みますが、学べる点はとても大きいです。また、受け止めて適切に改善することによって、後々「あのとき指摘されて良かった」と思えるものです。

 

もしも、ただ落ち込んで終わったり、それ以降も指摘してきた人を避けるような態度をとるようであれば、類似の事象に遭遇したとき、「ああ、嫌だな」と全く反応が変わっていなかったり、「逃げちゃおう」と反応が悪化してしまう可能性もあります。

 

すべての出来事に意味がある、とまでは言いません。「自分が重要と思っていることも、実は90%はどうでも良いこと」と提言している研究もいるくらいですし。

 

それでも、遭遇する出来事に対していちいちネガティブな反応ばかりしていたり、何の気づきもないままにスルーするような日々を過ごすのは、なんだかもったいない話です。別に「自分は悪い奴」だと加害者になれということでもないですし、「私という大切な存在の心を傷つけないで」という潜在意識があるのが人間であるのも事実です。

 

それでも、目の前に起きた出来事に対して「良い」「悪い」の判断するだけでは、ただ感情に振り回されて終わってしまいます。「傷ついたー!」とわめきたくなるのは分かります。しかし、深呼吸をしたり、時間が経ったときに振り返ってみてください。

 

「あの出来事は、今後の自分に活かせることかも・・・」

「あの人の指摘は、自分の何かを変化させる気づきをくれているかも・・・」

 

などと自己認識を強化させ、将来につなげることができれば、決して傷ついたという感情だけでは終わらないはずです。これは無理やりポジティブに考える、ということではありません。どちらかというと、自分の中の改善事項に気づいて修理やカスタマイズしていく作業と考えてください。

イメージ的には、自慢の車を知人に見せたとき、その知人から「フロントバンパーに傷があるよ」と指摘されたら、「おお、教えてくれてありがとー!」とすぐにホームセンターや板金業者へ向かうような感じです。

 

出来事に対して「良い」「悪い」と判断してしまっているのは、私たち自身です。大抵の場合、困った出来事も指摘してくれる他人も悪意はありません。「こいつに気づきを与えよう」「成長させてやろう」という意図もありません。ただ、私たちの目の前に表れたり、その場の流れで発言していることが多数です。(もちろん、教えを与えるために苦言を述べてくれる人もいます)

 

ぜひ、今の自分にとって適切な自己認識を構築していきながら、目の前の出来事や他人の言動に右往左往しない日々を送っていければ幸いです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。