アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

”禁欲”とは目標達成ではない。そこに行き着くプロセスである

アラフォー童貞のODです。

 

「禁欲」とは、修行僧といったストイックな人間だけが行うものではありません。

会社員や学生でも日常生活で行えることです。

 

しかし、禁欲をはじめたものの、1日も経たずに誘惑に負けたり、何とか続けているものの自分の執着している欲が頭から離れずに苦しむ人は多いものです。

私もオナ禁生活をしたことはありますが、約半年の禁欲を続けたものの、性欲、ポルノ、自慰などから完全に脱却できたかと言えば、それはノーです。

街を歩けば女性はおりますし、雑誌には煽情的な格好のグラビアアイドルが表紙を飾り、ネットでも性的な表現の広告を見かけます。

さらに、私の身近には(私にとって)性欲を焚きつけるような匂いの女性がいたため、AVやエロ本を処分しましたし、ネットを見るのを控えることもしましたが、その反動もあってか余計に性の誘惑、自慰の衝動を我慢することに苦労しました。

 

私だけでなく、オナ禁をはじめた人や続けている人の多くは、このような誘惑や衝動に日々耐えているでしょう。場合によっては我慢できなくなってしまうこともあるでしょう。

 

しかし、オナ禁に限らず、禁欲を成し遂げた人というのは世の中に確かに存在します。そして、継続している人も存在します。それこそ、修行僧もそのような環境下で己を鍛錬しているでしょうし、人生において成功したいと思って禁欲を課している人もおります。つまり、欲というのはコントロール可能であるということです。

 

「その人たちだから、禁欲ができているだ」「自分には向いていない」・・・そう反論する人はいるでしょうが、私たちは同じ人間です。肉体も脳の構造も同じです。向き不向きはあるでしょうが、できないという事はないはずです。では、禁欲を成し遂げた人・継続している人と、禁欲を失敗してしまう人・すぐ諦めてしまう人の違いは何でしょう?

 

それは「何が何でもやめなくては!」と思っているかどうかだと思います。

・・・と、このように書くと「何が何でもやめなくては!」と思っている人のほうが禁欲を達成できる、と思われるかもしれませんが、それは逆です。「何が何でもやめなくては!」と強く思っている人ほど、欲に負けてしまうのです。

 

それはまず、自分の中から湧き上がっている「欲」という感情に抗っているからです。これは、自分自身と闘っているのと同じです。他人と争うことも無意味で愚かですが、それは自分自身も同様です。「闘いは同じレベルの者同士で生じる」とはよく言ったもので、「禁欲をしたい自分 VS 誘惑に応じたい自分」という同じレベルの自分同士で争っているのです。決着のつきようがありません。

 

これに対しては、欲が湧き上がってきたら「欲」を受容する、受け止めてしまう、ということが求められます。

私の場合、上記でお伝えしたように、身近な女性の匂いに欲情して苦しんでましたが、あるときから「あー、本当にこの人エロいな」「ムラムラするのも仕方ないな」と思うようになったら、性欲を掻き立てる匂いが漂ってきても「ああ、またエロい匂いがするな」「以前の自分だったら、きっと仕事終わりに抜いてたな」と、欲情している自分を客観的に見れるようになったのです。

 

また、「欲」に限らず、頭の中で同じことを繰り返していると、脳は「たくさん考えていることだから、きっと重要なことなのだろう」と記憶に定着させようとします。すると、脳の中で「欲」に関する情報がすぐに頭の引き出しから取り出せるようになってしまうのです。

自分はせっかく「欲」を忘れたいのに、「欲は駄目だ!」「頭の中から出ていけ!」「こんな不埒なことを考えてはいけな!」と思えば思うほど、脳は「オッケー、すぐに手の届く場所に、この「欲」って情報を置いておくねー」と余計なことをしてくれます。これは「反芻(はんすう)」と同様であり、「自分は駄目な奴だ!」と否定するとその通りになってしまいやすくなり、とても破滅的な行為です。

 

となると、「欲」を思い出さないようにする取り組みが必要です。取り組みのポイントは、「環境づくり」と「行動」しかありません。当然ながら、欲を思い出すようなものを物理的に排除するのです。また、欲を思い出してしまうシチュエーションを振り返ると、その多くは「暇だから」という理由に行き着きます。これに対しては、具体的に「これをすればいい」と提示はできません。

手っ取り早く、息切れするほどの激しい運動をするとか、没入できるほどの単調作業をするとかいったものを探すのです。・・・と、このように書くと、突き放したように思われるかもしれませんが、結構大事なことです。

自分が暇にならない何かを模索しているということは、それまでは暇になったら欲に流されていたのが、色々と試しているうちに新しい習慣が作られていくのです。そうしていると、「時間ができた → 欲」という時間配分から、「時間ができた → 新しい習慣」という図式がいつの間にか構築されていきます。

 

私の場合、筋トレなどの運動する時間が増えたとともに、1日1時間以上の読書をする習慣になっていきました。これらは時間とお金は若干かかりますが、メリットだらけなので現在も続けています。しかし、ここまで構築するまでには月日はかかりました。ハッキリお伝えしますと、「すぐに禁欲できる自分になるぞ」と考えているならば、それは認識が甘いと思います。試行錯誤を継続していって、それがいつの間にか習慣になっていき、いつのまにか欲への執着心が少なくなっていくのです。そこだけは覚悟してほしいと思います。しかし、結果ではなく、このプロセスこそが「禁欲」であると私は考えます。

 

このように書いておりますが、今でもエッチなものは見たいですし、やることがあるのにムラムラして自慰にふけって射精しちゃいたい衝動にかられることもあります。それでも、1日2回以上の自慰を日課のように、憑りつかれたように行っていたころよりは、欲情している自分を客観視できるようになっている、という点においていえば、まあまあコントロールできているのではないか? と思っている次第です。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。