アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

定年後に「やりたいことが見つからない」と言うならば・・・

アラフォー童貞のODです。

 

定年後に「やりたいことが見つからない」ということ人が多いようで、私の身近でも自宅で過ごしている人でも、高齢者施設に住んでいる人でも、そのような事をおっしゃる人は結構おります。

定年後と聞くと何だか時間もお金も自由な感じはしますが、話を聞くと実際はそんなことはないようです。お金の不安はいつも尽きないし、だからと言って時間があるから何かをしようとするとお金が必要というジレンマがあるのだとか。

 

そのようなお話を耳にするたび、世間的にはまだ定年後に対して憧れがあるんだなーと思ってしまいます。医療や食べ物といった健康管理に恵まれ、人生100年時代と大々的に言われているせいか、誰もが元気に100歳くらいまで生きられると勘違いしているように思えます。だから、働いているときは不自由さや制限を強いられても、まだまだ先があるからと思って、これからのことを考えるのを先延ばししてしまうのかもしれません。

そうした結果として、いざ定年を迎えてみると「あれ、働かなくてよくなったし、時間もできたけれど、何すればいいんだっけ?」と先延ばしのツケが溜まっていることに気づきます。いや、それにすら気づかないのかもしれません。

 

(よく聞くようなことを改めて述べて恐縮ですが・・・)そもそも、やりたいこととか、趣味や好きなことというのは、急に探しても見つかるものではありません。そこまでやってきた「何か」の延長にあるものが、やりたいことや好きなことなのがあるのです。

このような人のためにカルチャースクールなどがあるのかもしれませんが、「何もやることがないから、とりあえず何かやらねば」ということが目的になっているので、やってみたところで面白みも感じにくいですし、継続もしにくいでしょう。

やりたいこととか趣味、好きな事とというのは、きっかけという何かしらの小さな種火があって、面白いと感じるような炎が巻き上がって「これが好き!」と言えるのです。誰かがあらかた準備してくれたことに取り組んでも、うまくいくかもしれませんが、本来通過するプロセスを省略されるため、面白みは半減してしまうはずです。

 

一方、やりたいことが明確にあっても、時間があると逆に何もしたくなくなるという現象もあります。例えば、働いているときに「定年後はあちこち旅行をするぞ」と思っていても、いざ自由になってみれば「まあ、しばらくはのんびりして、そのうち・・・」と言い訳し始めるのは目に見えています。しだいに旅行に行きたいという思いも薄れていき、年月や時間が過ぎて言って「やりたいことが見つかっていない」「やりたいことをやっていない」生活になってしまいます。

そこで慌てて「よし、山登りでもしよう」と動こうとしても、働いていたときよりも体が錆びついてしまっているので、行動範囲や肉体の可動範囲、意欲も低下していることに気づいて唖然とします。

 

では、どうしたら良いのでしょうか?

 

まずは、やりたいことがあるならば、働いているうちに取り掛かることです。それは1分間でもいいので、自分のなかで興味あることに取り組んでみるのです。それは小さなきっかけかもしれませんが、そのわずかの時間でやったことを積み重ねるというのは将来に大きく影響します。旅行がしたいならば、何処に行きたいかを調べるだけでも良いのです。観光スポットを調べるのも良いですが、その土地の風土や歴史について調べるのも楽しいかもしれません。知れば知るほど行きたくなるでしょう。

旅行というのは準備が楽しいという側面があります。今はその場所に足を運べなくても、現代では知識や情報として調べる方法やツールは数多にあります。使わない手はありません。スマホで垂れ流すように届くSNSやエッチなサイトを見るな、とまでは言いませんが、そのうちの1分間は将来のため、定年後のために使ってみてはいかがでしょう。

 

でも、やりたいことなんてない、働いているうちは考えられない、という人もいるでしょう。そんな人は・・・いっそ働き続けてみてはどうでしょう?

 

最近では65歳という定年後も働き続けることを推奨するよう、国でも制度作りがあります。もちろん、会社や組織に求められる人材であることが前提でしょうが、勤務時間が短くなったり、基本給が少なくなったとしても、お金をもらいながら役割を全うし、社会という集団に属することはできます。仕事は面倒なことはたくさんありますが、仕事をしていること、会社に属しているということは、社会において一種のステータスであります。別に働いていない人が駄目とかいう話ではなく、やることがない、ひいては孤独になることを恐れるならば、思いきって定年後も働き続けるというのも1つの考えです。

もし、高齢になっても健康でいたいと思うならば、定年後も少しでも仕事をして、社会に属するために体を鍛えておく、というのも健康管理のモチベーションと言えます。孤独になるのが嫌だから運動する、というのも変な考えかもしれませんが、結果的に生活にメリハリが出るのであれば結果オーライです。たとえ始めるのが定年間近であっても遅くはないと思います。これだって、1日1分から始めていけば積み重ねれば体だって整っていくはずです。

それに、ですよ。「仕事行きたくねー」と毎朝とか休日の終わりに嘆きつつも、働くのはそんなに嫌だったでしょうか? 私も毎朝ではないにしても、仕事に行きたくない、面倒くさいと思う日はあります。しかし、勤務時間が過ぎて一日を振り替えてみると、「あー疲れた。でも、今日も頑張れたよなー」と鏡に映ったボロボロの自分を見て思えるのは幸せだと思うのです。

 

 

もし定年された方が読んで下さったのでしたら、偉そうでスイマセン。しかし、定年後でも定年前でも働き盛りであっても、何となく生きていてはもったいないですし、自分の時間を1分でも確保して将来の自分のために使うことが、現在そして将来的にも充実した毎日になるではないのか、と思って記事をまとめました。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。