アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自分に対して「なぜ」と問うことは無意味

アラフォー童貞のODです。

 

失敗したときに、私たちは「なぜ、あんな事をしたのだろう」「なんで自分は駄目なんだろう」と思うものです。それは、「なぜ」と問いかけることは、次に同じ失敗をしないように原因を考えるために健全な行為だからです。

 

しかし、それは大きな勘違いです。

自分自身のあり方に対して「なぜ」を問うことは、健全な行為ではありません。むしろ、失敗に落ち込んでいるメンタルを悪化させてしまう恐れもあります。

 

自分に対して「なぜ」を問うのはやめるべきです。

なぜならば、「答えがでないから」です。

 

私たち人間は、成功したいとか、目的を達成したいとか思って色々な情報を集めたり、意見徴収をするものの、結局は自分が一番最初に頭に思いついた考えに執着してしまいます。「なぜ」を考えているわりに、どこかに「自分の考えは間違っていない」ということが隠れているので、建設的な考察ができなくなります。

 

また、失敗に関していえば、私たちは間違った出来事に注目しがちです。失敗や不始末に対して、反省文や始末書などを書かせられた経験がある方なら分かると思いますが、あれって無意味だと思いませんか? なぜならば、その出来事の当事者視点でしか考察がなされないので、当人では問題となる出来事の背景が掴むことはできないからです。

例えば、ズボンの前後が逆のまま商談に臨み、ズボンの前後が逆なことが原因で商談が失敗したとしましょう。そして、上司から怒鳴られたあげく始末書を書けと言われるのです。そこで「なんでズボンの前後が逆だっんだ・・・」と考えても意味はありません。朝、寝ぼけていたのか、それとも奥さんがズボンを渡すときに前後ろ逆だったのかもしれません。こんなこと、過去に遡って自分自身を見ないといけず、考えたって分かることではありません。

 

このように、反省しているとか落ち込んでいるとか言いつつも、自分の考えから脱却できないまま「なぜ自分は・・・」と考えたり、失敗した出来事のみに着目して客観視できない状態のまま「あのとき、なぜ・・・」と首をかしげても、私たちは望む答えに辿り着くことはできません。それどころか、堂々巡りの状態となり、失敗した出来事や周囲からの非難の目、そして至っていない自分自身を責めることばかり心を満たすことになるので、明るい未来のために考えているつもりで、実は下を向いて足踏みしているのと同じことをしているのです。

そもそも、「なぜ自分は・・・」「なんて自分は・・・」と考えているとき、「そうか! あれが原因だったのか、あースッキリ」とはならないはずです。(少なくとも、私はなったことはありません)

 

考えるべきは「次どうするか」です。

失敗に対して「なぜ間違った」と考えることと、「次どうするのか」を考えることは同義のようで実は全く異なります。前者は過去のことを考えて自分を責めているだけで終わってしまうのに対して、後者は類似の事象に対して具体的戦略を練っているため、そのときが来ても対処することができます。

 

とはいえ、人間は自分の頭の中だけであれこれ考えられますが、一から十まで、スタートからゴールまでのプロセスを1つ1つ具体的に想像できる人は稀です。必ずどこかで脱線したり、うまくいったゴールばかり妄想したりします。ちゃんと1つ1つのプロセスを視覚的に確認する必要があります。

 

そこで、「次どうするか」を考えるときは、ノートに文字や図を書いていきましょう。

スタートとゴールを書いたら、その中間地点を書いていき、中間地点の手前の中間地点を書いていき、途中で必要な物を思いついたらそれも書いていき・・・としていくと、思考の脱線はしにくくなります。頭の中であれこれ考えるのは頭のいい人に任せて、我々凡人はノートに書くという一時記憶を残していきながら、プロセスを構築していくしかないのです。

 

とりあえず、悩みや失敗を悔やんでも良いのですが、次に活かそうとするならば「なぜ」ではなく「次どうするか」を考えてみることをお勧めします。

 

補足として、自分で自分のことを考えるときは「なぜ」はやめた方が良いのですが、組織やチームにおける問題解決や目的達成のためには、「なぜ」は有効です。それは果たすべきゴールが共通であるうえに、複数人の視点で客観的に物事を検証することができるからです。個々がよほど頑固者でない限りは、集団は自分の視点に執着しにくい環境です。目的はそれぞれのやり方を押し通すことではなく、共通の目的を達成することという原点回帰ができるため、「なぜ」を考えたうえで「次どうするか」というステップが踏めます。

 

もし何かしらの問題があって解決困難な場合は、ちょっと立ち止まってみて、まずは自分ひとりのことか、それとも集団における共通のものなのかを振り返って下さい。それによっては「なぜ」を考えることは控えたほうがよい、ということもあるからです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。