アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

選択肢は少ない方が幸せになれる

アラフォー童貞のODです。

 

私たちの日常は多くの選択肢で溢れており、同時に多くの選択を迫られています。選択を迫られていると言うと大袈裟かもしれませんが、コンビニで陳列されたお弁当を眺めながら昼食を決めるのだって選択です。暇つぶしにYoutubeでも見ようと思って、数多くのサムネから適度に見れる動画を探すのだって選択です。風呂あがりに着るTシャツの柄を決めるのだって選択です。

このように考えると、私たちの日常はどうでも良い選択肢で溢れています。昼食の弁当を生姜焼き弁当にしようがドリアにしようが、どうでもいい話です。これから見る動画が動物系でもアニメでも、その後の人生に大きく影響はしません。風呂上がりに切るTシャツなんて選ぶ必要すらないでしょう。

人によっては重要になるということもあるでしょうが、多くの人にとっては数分後に選択した内容なんて忘れてしまうほど、どうでもいいのです。つまり、私たちはどうでも良いことを選択する、という行為にエネルギーを浪費しているのです。これらはできるだけ簡略化して、本当に重要な決断にエネルギーを注ぐべきです。

 

しかし、それとは反対に世の中はたくさんの選択肢があります。モノやサービス、情報などが「自分を選んで」と言わんばかりに誘惑してきます。また、インターネットの発達により、たくさんの選択肢を得られるようになりました。そこに私たちは積極的にアクセスするため、余計にどうでもいい選択肢が増えます。

なぜ私たちは、このように選択肢の海に身を投じてしまうのでしょう? それは選択肢が増える、新しい選択肢が増えるということは、可能性が広がるということだからです。言い方を変えると、自分にとって得になるかもしれない未来が広がる・・・と思いこんでいるからです。

 

しかし、実際は逆です。上記の通り、選択肢の多くはどうでも良いことが多く、新しい選択肢を知るということは、同時に迷いや浪費も増えます。選択肢が増えれば増えるほど、選択した後に後悔したり、別の選択をした自分のほうが良い未来を歩んでいるのではないか、などど思うようにもなります。選択した「今現在」と「これから」を見るのではなく、もう存在しえない別な世界線の自分に執着するようになってしまいます。

 

例えば、定額で動画見放題というサービスは、今や当たり前になっておりますが、「どれを見ても定額だから、たくさん見るぞー!」と思っても、作品紹介ページを色々と巡回しているうちに時間が経ったことはないでしょうか? 何なら、1つの作品を見終えられるくらいの時間が経っていた、なんてことを経験された方も少なくないはずです。

これも選択肢が多すぎることの弊害であると、私は思っております。もしも同じ定額であっても、「現在はこの3つの作品だけが見放題です」というならば、そこまで迷わないと思います。また、数多くの選択肢に触れているうちに、それだけで満足してしまうということもあるのかもしれません。しかし、結果として「何も観ていない」と同じ現象が起きています。「へー、色々な作品があるんだなー」で終わるのであれば、別に定額であってもお金を払う必要ないでしょう。ゲストアカウントのまま、たまに眺めればいいだけです。

もし、視聴する作品を選んでいるだけで、何となく時間が経過してしまうことを後悔するのが嫌ならば、とりあえず1つでいいのでクリックして観るしかありません。そして、途中で中断して別な作品を選び直すのではなく、その1つの作品を見終えることで後悔は生まれにくくなります。

 

このように、多くの選択肢から1度選択してしまったら、後戻りをしない、ということをしないと決めるのです。一区切りするまで、ある程度の見通しが立つまで継続するのです。途中で「あっちの方が良かったかなー」「これは自分に合わないかも」などと考えて、ありもしない”もしもの世界”、”もしもの自分” に思いを馳せるのをやめるのです。

 

とはいえ、定額の動画見放題サービスならば、パソコンやスマホを手放せば何とかなりますが、私たちの世の中は情報で溢れています。お金やエネルギーを浪費する可能性が極めて高いコンテンツがたくさんあります。こういったものに、日常的に手を出すのを控える習慣を成立させる必要があります。

 

この習慣を成立させるためには、ひとえに「情報収集をし過ぎない」という取り組みが重要になります。情報収集がしやすい現代社会において、その弊害として、「あれ何だっけ?」とか「この問題はどうすればいいか」となったとき、すぐにグーグル検索したり、SNSを通じて他人の意見を得る事ができます。

これ自体は良い時代になったと思うものの、その一方で1つのテーマに対して数多の回答が出てきますので、どれが正解か、どれが自分に合っているのかを探して選ぶ必要が生じます。せっかく課題解決の労力が省略されたのに、目の前には解決策がたくさん出てしまうので、バイキングのように選択する労力が発生してしまうのです。

しかも、その中には広告が表示されたり、お金をかければより良い解決策が得られるというサービスも含まれるので、今度は別の浪費が生じる可能性も生じます。もういっそ、始めから自分で考えてやってみれば良かった・・・なんて思うかもしれません。

 

情報収集をし過ぎない、における具体的な取り組みの1つとして「ニュースを見ない」ということもあります。これは新聞やテレビのニュース、ニュースサイトを見るのを必要最低限に留めるというものです。現在の自分に関係のない情報一切は手に出さない、見ない・読まない・聞かない、を徹底化するのです。これにより、日常生活において確かに何かしらの選択肢は減りますが、それらの選択肢が減ったからといって問題は何一つありません。だって、何も関係ない情報を知ったからといって、そこから選択肢が生じたからといって、それはどうでも良い選択肢であるにすぎないからです。

 

私たちは選択肢が多いことは良いことだ、と思いがちですが、それはむしろ逆であり、意図的に情報量を減らすことによって、私たちは絞られた選択肢を吟味し、十分なエネルギーをもって決断力をすることができるということです。つまり、選択肢が少ないほうが結果的に人生は充実する、幸せになりやすい、というお話でした。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。