アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

失敗したときの振る舞い方

アラフォー童貞のODです。

 

失敗から学ぶという考えがありますが、もう一方で失敗したときの振る舞いというのは、人格形成につながります。失敗すると、恥をかいたと思ったり、評価が下がることを危惧して、どうしても言い訳をしたくなります・・・が、ここが人格形成の分かれ道です。

 

ここで、あまりよくない人格形成を考えたいと思いますと、失敗をしたとしても、言い訳したり、他人や環境のせいにするのはやめるべきです。

そんなの当然だろうと頭や倫理観では理解しておりますが、いざその場面になると「いや、あれはそうじゃなくてね」とか「タイミングが悪くてさー」とついつい言ってしまうものです。例えば、遅刻したときに「いやー、渋滞に巻き込まれてさー」と言うものです。

そんな振る舞いをすると、周囲は「ああ、こいつは失敗したら言い逃れするのか・・・大事なことは任せられないな」「ピンチになると逃げるような人だ、あまり付き合わないほうがいいかも」と思われます。いくら言い訳したり他人のせいにしても、周囲はその人の失敗という固定認識を変えることはありませんので、余計に失敗したときの振る舞い方の仕方1つで印象は大きく変わります。

 

一方で、失敗したときの振る舞いが悪いと、失敗した本人に悪影響を与えます。失敗を活かせないので成長しないとか、同じ間違いを繰り返すのはもとより、言い訳したり他人のせいにすると、失敗した当人の中でそれが真実になってしまうという恐れが出ます。「今の自分がこうなのは、〇〇のせいだ」と自分の中で決めつけてしまうので、それを繰り返していると、事あるごとに言い訳をしたり他人のせいにする癖がつきます。それは一時的に言い逃れができたとしても、何も解決もしなければ自分も成長することもありません。

 

失敗はすべて自分のせいです。確かに他人や環境に由来することも確かにありますが、それらに結び付けてしまったのは他でもない自分自身です。そのため、いくら自分以外に要因を求めたとしても無駄という話になります。

 

では、失敗に対してどのような振る舞いが良いのかとい言うと・・・結局は失敗を受け止めてしまったほうが良いという話になります。自分の失敗として受容でる人は周囲から見ていさぎよいものです。誤解のないようにお伝えしますと、失敗を受け入れることと開き直ることは違います。前者は次に活かそうとするのに対して、後者は「はいはい、私が悪いんですよー」と投げっぱなしにしたままです。それぞれの振る舞いをみて「こいつは成長できる」と思えるのはどちらかは明確です。

 

 

それでも私たちは失敗すると、言い訳したくなるものです。それは共同社会で生きるために自分を貶めることをすると生きていけないという、防衛反応があるので仕方がありません。しかし、その防衛反応は実はただの浪費です。

 

これも多少の訓練が必要ですが、言い訳や他人のせいにしたくなったら、ぐっと飲みこんでみましょう。「沈黙は金」とはよく言ったものです。言えば言うほど評価を下げるということは私たちは他人をみてよくわかっているならば、自分が失敗したときに受け入れる正しい反応として、黙っているのが吉ということになります。周囲から何か言われるかもしれませんが、反論したとしても印象を悪くするだけです。黙りながらも自分に意識を向ける事で、周囲の印象がそれ以上悪くなることはなくなります。

 

黙って受け入れたのち、何かの折に挽回すればいいだけです。いや、挽回しようと考えもまた他人視点です。「ああ、これはうまくいかないんだな」と思ったら「次はどうすればうまくいくかな」を検証し、類似ケースでうまくいったら「前の失敗を活かせた・・・以上」で終わればいいのです。そこで他人の評価を気にする必要はないのです。他人や社会的評価は後からついてくるだけです。

 

というわけで、失敗しても言い訳や他人のせいにすることなく、黙って粛々と受け入れる態度こそがよりよい人格形成につながる、というお話でした。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。