アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

後悔するのは受け身だから。充実感を得るためのキーワードは「自発的」。

アラフォー童貞のODです。

 

何となくテレビやスマホを眺めていると、あっと言う間に時間が過ぎます。すると、「ああ、もうこんな時間か」とともに「なんだか無駄な時間を過ぎたな―」と思うものです。

 

このような後悔が生じるのは、受け身の姿勢だからです。また、受け身の姿勢で取り組めるものは、大抵はハードルが低いものです。

 

テレビもスマホもコンテンツの種類は多種多様ですが、情報を一方的に受け取るという点においては共通であり受け身にならざるを得ません。テレビはリモコンひとつでスイッチを点けられ、チャンネルを変えるのもリモコンで完結できます。ネットサーフィンやアプリゲームも、スマホという手元にあるスマホというデバイスを1~2回タッチするだけで始めることができますし、そのまま楽しめることができます。

ご存知の方も多いと思いますが、テレビを観ていても実際に楽しんでいるのは総時間の13%程度、という研究結果もあります。これが本当だとしたら、1時間テレビを観ていたとしても、楽しんでいるのは10分も満たしていないということです。何だかもったいないですね。

これは上記の通り、手元で操作できる電子機器で、漫然と情報を眺めるだけの作業をしてしまったからであり、ダラダラと時間をかけた挙句、その過ごした時間の半分も覚えていないうえ、無駄に時間を浪費したことを後悔するくらいならば、始めから見なければ良かったということになります。

しかし私たちは、このようなテレビやスマホ等に何となく手を出して、無駄な時間を過ごすことを数えきれないくらい繰り返しています。平和な証拠と考えればそうかもしれませんが、無駄に時間を浪費したと気づくたびに後悔しているのに、また同じことを繰り返してしまうのでしょう。二日酔いで苦しんだのに、翌週にまた深夜までしこたま飲み歩くようなものです。

 

ここで、逆のことを考えてみましょう。つまり、後悔しない時間の過ごし方を考えてみるのです。

 

まずは、極端なことを言えば、まずはテレビやスマホなどに手を出さないということです。一度始めてしまえば体や頭を動かさずとも受け身で楽しめるもの、ボタンやタップひとつでコンテンツを楽しめてしまうことを控えるのです。これでひとまずは、受け身かつ低いハードルで始められる娯楽に手を出さなくなります。

とはいえ、テレビやスマホなどの娯楽やコンテンツを否定しているわけではありません。要は受け身かつ低いハードルで始める、ということのどちらかの条件を潰せば、多少は浪費行為ではなくなります。例えば、大好きなドラマやバラエティ番組、ずっと見たかった映画など、その時間になったらテレビをつけて、その時間を集中して楽しむことは良いと思います。スマホも同様で、分からないことがあったらググるとか、暇つぶしにスマホを眺めるといったことはせず、スマホを見る時間を決めて活用する分には問題ないと思います。「ゲームは1日1時間」とはよく言ったもので、人間は時間制限があったほうが集中して取り組めるのです。

欲を言えば、テレビやスマホなどの利用を可能な限りゼロにしたいところですが、テレビだって公共施設や(場所によっては)職場でも流れておりますし、スマホは活用の幅が広すぎるので全く控えるというのは困難だと思います。下手に利用制限をするというのは現代では違った弊害が生じる可能性もあります。

 

大切なのは「自発的」に活用するということです。前述したとおり、テレビは好きな番組だけに制限して楽しみ、スマホも自分の活用領域に限って時間制限を設けて活用するのです。私はゲームはしませんが、たまにオンラインゲームの広告動画を見ると、特定の時間になったらインターネット上で仲間が集まってゲームに興じるということもあるらしいので、その時間になるのを楽しみに1日仕事などを頑張ると考えると、こういったことも自発的と言えると思います。

映画やアーティストのライブは自発的な例の1つだと思います。映画館やライブ会場にまで足を運び、開演するのを待ち、決められた時間を楽しみ、アンコールはあれど予定の一環であり、どんなに楽しくてもそれ以上の延長は不可能です。だからこそ、私たちは集中して楽しめるのです。

 

もし、完全ある自発性を求めるならば、何かしらの生産活動をするのが一番です。生産といっても工場で何か製造するといったことではなく、絵画や音楽などの芸術活動や人脈作り(人と人とを繋げることも含める)、前述した例と反対に自分が情報を発信する立場になるというも生産活動です。ユーチューバーというのは最たる例です。他人のコンテンツを流用する場合は置いておいて、自分の得意分野や知識や技術などを動画という形でアウトプットすることによって、それを観た人の役に立つとか、楽むことができるのならば、それも社会における生産活動でしょう。あとは、1人でやるか複数人でやるかの違いくらいです。

 

このように「自発性」かつ「生産性」のある活動に時間を費やすというのが、最も充実感が得られるということになります。もちろん、失敗もあります。確実にあります。しかし、自分で選んで時間をかけて準備して、試行錯誤をしながらカタチにできたならば、不格好でも満足感は得られるはずです。

私も毎日のようにブログを書いておりますが、これも自発的にやっています。誰に頼まれてやっているわけではありません。読んだ本や自分の日常に考察を織り交ぜて、何かしらのカタチでアウトプットしたい、という欲求と発散から続けています。これが誰かの役に立っているのかはわかりません。「今回の記事はよくできた」と思っても、何の反応も得られないこともあります。疲労や体調不良があっても、評価が得られなくてもそれでも続けています。しかし、自発的にやっているということが自身に向けての生産活動になっております。

 

それでも、この自発性かつ個人的な生産活動が誰かの目に触れたときに、少しでも「なるほどなー」と思っていただけたらば嬉しいと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。