アラフォー童貞は〇〇と考える

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国語辞典 vs 電子辞書 vs グーグル検索【多種多様 / どうでもいい】

アラフォー童貞のODです。

 

言葉の意味を調べるとき、かつては厚くて重い国語辞典をめくっておりました。そして現在では、電子辞書というコンパクトで多言語を調べられる便利グッズがあります。もっと言えば、インターネットの検索エンジンで調べれば、あっさりと求める答えが得られます。

別に便利な時代になりましたね、という話がしたいわけではございません。このような便利グッズが出たり、時代の切り替わりのような事象があると、必ず「前のほうが良かった」「それは時代遅れ」「こっちのほうが効果的だ」といった議論になります。辞書の例で言えば、「国語辞典のほうが正確」「電子辞書はたくさん情報があって、持ち運び便利」「物はいらない、グーグル検索でよくね?」といった具合です。

この手の議論は当事者たちはそれぞれのメリットを力説します。相手の意見なんて聞きません。それどころか「そうかそうか、君はそれを使っていればいいよ」なんて言おうものなら「何だお前、馬鹿にしやがって」と喧嘩にもなりかねません。残念ですが、このような議論は、ぶつかっても引いても当事者たちが納得する結論は出にくいのです。

 

その一方、全く興味がない第三者は、そのような議論を横で聞いていると「別に好きなほうを使えばいいじゃん」という身も蓋もない意見を言います。・・・が、結局はこれが一番核心をついていると思うのです。

グローバル社会とか多種多様な世の中と言いつつ、私たちは自分の経験や考えを基準に考えております。自分が一番の正義であり、自分が話したことが相手も同等のイメージを持ってくれると勝手に思っています。だから、ちょっとでも意見が異なったりこちらの言ったことの理解がズレていると分かると「いや、そうじゃなくてねー」と強制的に相手を修正しようとします。これはが上記のような(どうてもいい)議論や争いを生んでしまうのです。

しかし、本当に多種多様さが認められているというならば、国語辞典が使いやすければ国語辞典を、電子辞書が便利ならば電子辞書を、グーグル検索レベルでよければグーグル検索を、とそれぞれの生活やニーズに合った手段を用いれば良いのです。これらをお互いが受け入れると「へえ、私は辞典を使うけどあなたは電子辞書なんだ」「まあ、グーグル検索も便利だよね」と言えるようになります。このような言い方だと、まるでお互いに興味がないように思われるかもしれませんが、実際にお互いに興味がなくても問題ないのです。結論のない言い争いをするよりはマシです。むしろ、お互いに興味をもたない、干渉しあわない世界こそが究極の多種多様と言えましょう。

 

最近では断捨離ブームも相まって、ミニマリズムという生き方を選択する人も増えております。物を持たないことで他者と比較する機会も減ることになるので、これも多種多様を受け入れるための環境づくり、生き方ではないかと私は考えております。しかし、そんなミニマリズムの人たちも周囲から色々と突っ込まれることがあるそうです。とある読書家のミニマリストの方は、本を定期的に処分していたものの、現在では大き目のタブレット端末で本を読むようにしているそうです。すると、周囲から「ミニマリストなのに、そんな大きなタブレットを使っているの?」とか「そもそも、ミニマリストなのにタブレットを持っているっておかしくない?」と言われることがあるそうです。

私はミニマリストまではいかないものの、物は極力持たない生活を送っているのでミニマリストの方々の意向はわかるのですが、「●●を持っていてミニマリストを名乗っていいの?」などのような指摘をしてくる人は、ミニマリストは何も持たない人と勘違いしているようです。ミニマリストは「自分の生活にとって最低限度の物で済ませている」のであって、お坊さんのようにすべての欲を断つという生活をしているわけではありません。

ここでのポイントは「自分の生活にとって」であり、「自分にとって」ということが大切なのです。別に他人から「そんなのミニマリストじゃないじゃん」と言われても、そのように指摘をしてきた人のミニマリズムに合わせる必要はないのです。大き目のタブレットのほうが本が読みやすい、何冊も本を持たなくても済むならば1台のタブレット端末で購入した本をすべて読める、という基軸で大き目のタブレット端末を選択するならば、広い意味でミニマリズムと言えます。

 

他人の指摘を気にしてしまう気持ちはわかります。「あれ、もしかして自分の考えは間違っているのかな?」などと自信を失いかけてしまうこともあります。もちろん、指摘に対して改善や修正することで成長や良い方向に進むならば、それはそれで問題ありません。しかし、多種多様な世の中において定義づけできない言葉、物、サービス、ツール、方法、考え方などはたくさんあります。ミニマリズムだって「自分にとって、今の生き方がミニマリズム」と言えばそれだけです。そこから物をさらに減らすか、自分に合ったものに入れ替えするかはその人次第です。他人の指摘に右往左往する必要はありません。

 

本ブログでときどき例に出しおります「オナ禁」も同様です。性行為はOKとか、自慰をしても射精しなければOKとか、ポルノはすべてNGとか、勃起もカウパー液すらNGとか、ネットで検索すればその定義や方法は人それぞれです。しかも、オナ禁の効果も1週間でモテフェロモンは停滞するという科学的根拠(?)もあれば、1ヶ月以上続けると聡明になるとか、半年以上でスーパーサイヤ人効果が表れるとか、もう何が正しいのか分かりません。心身を整えるためにしている禁欲効果なのに、成功者の体験談やオナ禁ブログをあれこれ見ているだけでストレスになる人も見られます。「半日もオナ禁できないなんて、自分は駄目だー」とまで自己否定に係る人もいますが、半年以上のオナ禁をしてきた立場から言わせていただきますと、オナ禁できなかったくらいでそこまで自分を卑下するようなことはありません。

 

さて、長くなりましたが、多種多様な世の中においては、指南として他人の意見を取り入れることは大事ですが、ただの意味や根拠のない他人の独善的な価値観を真に受けて、自分の取り組んでいる生活や考え、ツール・やり方を変える必要はありません。もし、自分で失敗したと思っても「次にどうすればうまくいくかな」と考える程度で良いのです。途中でやめてしまっても問題ありません。方向転換をしても良いのです。国語辞典派だった人が、何かのきっかけで電子辞書を使っても良いでしょうし、グーグル検索を頼っても問題ありません。周囲から「お前、国語辞典がいいって言ってたじゃん」と指摘されても、「ああ、ググるのって便利だね」ってケロッと返せばいいだけです。下手なこだわりを持つよりも、柔軟な自分でいるほうが健全であると思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。