アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自己分析なんて、できなくて当然【就活】

アラフォー童貞のODです。

 

昨今では「好きなことで食べていく」「得意なことを仕事にする」といったキャッチコピーを目にします。特にインターネットやSNSなどで自分の好きなことや得意分野を発信することで、注目が集まったときに、はじめは趣味でやっていたことがいつの間にか仕事になっていた、ということも耳にします。

このような事例を知ると、自分たちも好きなことや得意なことで社会に注目されて、それがお金(生きる糧)にできるならば、人生はきっと楽しいに違いない・・・多くの人はそう思うでしょう。

しかし、その一方で自分の好きなこと、得意なことを考えてみたとき唖然とするのです。「自分の好きなことって何だろう」「得意なことって何だろう」「仕事にしたいことって何だろう」といった感じにです。

 

このような自分に気づくのは、現代においては就職活動のときでしょう。特に自己PRを書くために行う自己分析をすると、自分がこれまでしてきたことが何もない事実に気づきます。いえ、正確には何もないということはないのですが、あくまで「自覚として」何もないのです。

こうなってしまうのは、ある意味仕方がないと思います。私たちは子どものころに小中学校という義務教育を終えて、そこから高校生活を送り、大学に行っても行かなくても、最終的にはどこかの会社に就職するという道に辿り着きます。ここまでの大まかな道はだいたい同じなのに、急に就職するときになって「自分がしてきたこと」「他者よりも誇れること」などを考えさせられて、それは会ったこともない人に対して面接という堅苦しい環境で発表させられるのです。よいきっかけかもしれませんが、何だか不自然です。それに面接の質問と回答なんて・・・

 

Q:これまでしてきたことは何ですか?

A:小学校、中学校、高校、大学で勉強してきました。

 

・・・と言うしかありません。もちろん、学校のレベルによって学習能力などを計ったりすることはあるでしょうが、「何をしてきましたか?」と面接で問われたならば、基本的には「勉強してきました」と言うのがベターです。管理職という立場からときどき面接官も行う身としては、そのほうが分かりやすいです。

 

面接において色々な経験やキャリアを披露する人はおります。面白い話もたくさん聞くことができますが、正直言ってそれで終わることもあります。このような人は手広い経験はたくさんありますが、特化したものがないので人間性が見えてこないものです。

それよりも、先のように学校で勉強してきたことが明確ならば、数学が苦手だけれども生物の授業は好きだったとか、科学のとある分野は集中的に研究したとかいう話をキラキラした目で語ってくれれば、こちらも頭の中で色々な種類の業務を思い浮かべて「この人は〇〇の仕事を任せれば、ちゃんとやってくれそうだな」と思えます。

また、現代ではあまりに多くの情報が簡単に入手できますし、何でも簡単に経験することが可能です。こう言っては何ですが、面接をしていると「ああ、以前もこの体験談は聞いたな」となったり「どこかで聞いたような情報だなー」とぼんやり思ってしまうこともあります。

さらに、世の中は多くの人が気づかないうちに徐々に良くなっております。レベルが上がっております。そのため、個人個人の基礎的なスキルもどんどん上がっているため、現代においては高いレベルが「普通」となっているのです。特にちゃんと勉強させしていれば、小中高そして大学までの教育課程において標準的な能力の人間ができていきます。企業もその中から「この人!」という人を見つけたいと思っても「うーん、年々レベルは上がっているけれど、どれもこれも普通に思えるなー」となるのは仕方ないのです。過去から比べてレベルの高いのが普通になってしまっているのですから。

 

では、よく言われる個性とやらを出せばいいのでしょうか? 人と違うキャラや奇抜な考え方を見せつければ良いのでしょうか? ・・・個人的にはそれは避けたほうが良いです。「扱いにくい」と思われて終わるだけです。こうなると、いよいよ分からないです。これから社会に出るために就職活動をする人たちは何をアピールすれば良いのでしょうか?

 

それは「何もない自分」を正直に伝えてみることだと思います。先にも述べましたが、どんなに多くの経験をしてきたとしても、特に学生がしてきた経験というのは広く浅いものばかりなうえ、どれもこれも似たり寄ったりです。学んできたことも多くの人とレベルは同じです。しかも、ちゃんと学習をしてきた人ならば高いレベルで同じであり、高いレベルが普通なのです。

そんな中で考えたこともない自分の存在価値をアピールしたとしても、すでに社会を生き抜いている人たちからすれば大差ありません。いきなりその会社・業界で骨を埋めるまで働きます、なーんて言われても薄っぺらいです。

それよりも、素直に「自分はこれからです」「何を得ればいいのか分からない」「それでも・・・1つ1つ丁寧に働くことで、何かを見つけていきたい」と言ってみてはどうでしょうか。

入社していきなり成果を出せるわけはありません。まずは成果を出せるために学び続ける、試行錯誤をしていく期間であると受け止めるのです。学生時代はそのために勉強の仕方や考えるための基盤作りをしてきたはずです。だからこそ、あえてアピールするならば「学習してきました」「勉強をしてきました」ということに至るのです。

 

就職するとき、就職できたとしても、一生その会社・環境にいることは現代ではありません。安定したい気持ちはわかりますが、必ずどこかのタイミングで変化せざるを得ない時期はやってきます。それは私にはわかりません。

しかし、だからといって今やっていることを適当にしてもいけません。起こる変化というのは、そこまで頑張ってきたこと、頑張ってこなかったことの総括的な評価によって、自分が、自分ではない誰かが、あるいは環境がまるで試練のように現れます。そうなったら、これまで通りというわけにはいきません。しかし、それこそが自分が得たいと思っていた「何か」であり、自己分析のときに見つけたいと思っていた「何か」だったりするものです。「何か」はいきなり姿を見せません。

 

なんだか取り留めもない話になりましたが、就活中でうまくいかないならば、特に自己PRや自己分析なるもので苦しんでいるならば、とりあえず自慢できる何かを探すよりも、今頑張っていることや学習していること、そして何もないなら「何もない」ということを受け止め、これからに向けた考えをしてほしいと思うのです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

(・・・どうでもいいのですが、「しゅうかつ」と変換したら「就活」よりも「終活」が先に出たのですが、なぜでしょう・・・)