アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「他人の評価は間違っている!」と割り切ることも必要

アラフォー童貞のODです。

 

他人から直接何かを指摘されたり、陰で悪口や非難されていることを知ると、誰でもネガティブな気持ちになります。「自分は頑張っているつもりなのに、間違っていたんだ・・・」とか「あの人は直接会話をしいるときは良いこと言って、裏でも自分のことをボロクソ言っているんだ・・・ムカつく!」といった感じです。もちろん、それを自分の成長の糧や改善のために努力しようとも思う人もいるでしょうが、少なくともその場では多少なりとも落ち込んだり怒ったりするはずです。

そうして、しばらくの間は不当に低い評価をされたこと、非難をされたことなどの他人から言われたことだけで頭と心の中は埋め尽くされてしまいます。それはどんなに普段関わっていない人でも、信頼していたと思っていた人からでも、誰からでも他人から言われた自分の悪い印象というのは受け止めるまでに時間がかかります。

 

確かに他人からみた自分というのは的を得ていること、自分自身が知らない自分であるため、成長や改善する要素がたくさんあります。自己認識を得るための有効な機会であります。しかし、一方で他人から見た自分というのは、自分自身が納得いかないことのほうが多いものです。だからこそ、頑張っている自分の評価を不当と感じたり、陰口を言われたときに戸惑ってしまうのです。

これは仕方ないのです。一歩外に出れば自分以外の誰かに出くわします。その人たちは自分とは全く同じ環境で生きてきて、違う親から生まれて、出会った人たちも違いますし、違うものを食べてきて、読んできた本や見てきたテレビも違いますし、学校が同じでも部活や通学路だって異なってたでしょうし、大人になってからは会社や交流関係だって異なります。これだけでも違う価値観や考え方が違う要素がたくさんあるのですから、たった1人の人間を見て、話して、関わったときに、その人に対しての印象が同一になるということはありません。

例えば、自分という存在を複数の人が見たときに、第一の印象だって人それぞれになるでしょうし、そこから会話をしたり共同作業をしたりすると、そこだけでお互いの評価というのはまた変わります。「他人が見る自分が知らない自分」もいれば、「人によって見方が変わる自分」もいれば、「関わる内容によって見方が変わる自分」というのもいるのです。自分自身でも把握していない自分もいるし、人や状況次第で見方が変わってしまう自分がいるのに、そこに「自分が知っている自分」もいるのですから、「本当の自分って何?」となるのは当然です。

 

しかし、人間はすべての視点から物事をとらえることはできないので、どこかにポイントを置いて、そこから物事を見なければいけません。色々な視点で考えようとはいうものの、色々な視点の中からどれかを選択して理解・判断をしなければいけないのです。そこでいつまでも「どの視点から見ようかな」と迷ったり悩んでいては前進できないので、どこかで「自分の視点はここだ!」と決める必要があるのです。行動することも大切ですが、その前に自分の軸を決めたうえで一歩踏み出すことも大切なのです。

 

つまり、人間関係において自分の立ち位置を気にしてしまう、他人の評価に苦しんだりネガティブな感情に振り回されてしまうというのは、自分という存在の評価基準が、他人にあるのか自分にあるのかで右往左往している状態なのです。もっと言えば、他人が基準になっている場合、その他人の誰が基準なのかでも明確になっていない状態なのです。それは、自分以外のAさんから見る自分も違えば、Bさんから見る自分も違うし、あるいはCさんは他人にまったく興味を示さないかもしれません。

となると、自分という存在を判断するにあたって、他人からの視点を基準にするというのは結構リスクがあるということかもしれません。例えば、自分が忙しいときに仕事を手伝ってあげたとして、Aさんからは「仕事ができる人」と思われ、Bさんからは「この人は仕事を手伝ってくれる都合のいい人」と思われ、Cさんは手伝ってもらっても何とも思わないかもしれません。そこで自分は忙しいのに仕事を手伝ってあげたことに対して「良い人」と思われたいのに、このように得られる評価がまちまちだとがっかりします。

 

ここでよく言われている「他人の評価は気にしない」というありきたりなフレーズが活きてきます。つまり、他人という間違った解釈をしてくるものである、どんなに良い人や評価を得ようとしても他人は別の解釈をするもの・・・と思った方が良いということです。なぜならば、1人の人間を評価するときに複数の人が同一・同質の評価をすることはないからです。ましてや自分自身ですら自分の評価を間違うくらいなのですから、他人に「自分を良く見てもらいたい」と思ったところで期待される評価は得られない確率のほうが高いのです。

 

なんだか身も蓋もない話ですが、他人の指摘や非難をすべて受け止めなくてもいいと言いたいわけではありません。納得したり、必要な指摘や非難だと思ったら受け入れるくらいでいい、ということです。あるいは「そういう視点もあるのかー」と素材の1つとして保管しておくのも良いです。

しかし、あまりに現代人は他人の評価を気にしすぎて、そしてそれが自分のすべてと思ってしまい、ときには何日も思いを巡らせて鬱屈した気持ちになり、せっかくの人生を無駄にしてしまいます。そのような時間も必要という考えもありますが、私は出来る限り明るく穏やかに生きたいです。

ときには他人からの評価をふんぞり返って「あの人は自分のことをああ言っていたけれど、あれは間違いだな」と割り切ってしまい、そこで一区切りすることも必要です。そこで、「あの人の評価を受け止めないのは成長にならない」という気持ちと「あの人の評価は間違っている」という思いが相反してしまうと無駄な苦しみが生まれます。そうならないためには、相手の視点は置いておいて自分勝手になることもあっても良いと思います。すると、意外に時間が経ったとき気に「ああ、あのときの指摘って的を得ていたんだな」とあっさり受け止めることもあります。

 

自分の人生なのですから、他人の評価に悩むくらいならば、いっそ思い切って自分視点で「自分っていいじゃん」「あの行動は自分が選んだものだから間違ってない」と思っても良いのです。自分の心の中で思うくらいは誰にも侵害されないのですから・・・。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。