アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

真実を知ったからといって得られるものはない

アラフォー童貞のODです。

 

ユーチューブの動画広告で「〇〇の真実を教えます」「誰も知らない、あの事件の本当の姿を語ります」と流れることがあります。この手の広告はとっとと消してしまうので見たことはないのですが、有名な事件などを引き合いに出して、何かしらの商品紹介や利権を絡む思想につながるのでしょう。

まったく興味がないと言えば嘘になりますが、貴重な時間をかけてまで見たいかと言えばそんなことはありません。それならば、まとめサイトやエロ画像を眺めていたほうがまだ有意義と言えます。というか、過去の出来事や何かしらの対象の真実を知ったところで、何の意味があるのかと思ってしまうのです。

 

過去の話を持ち出して、それがどの方面から見ても疑いようのない、かつ誰もが真実であると同意するようなものと判断したとして、「だから何だ」という話です。もちろん、過去の出来事や歴史というのは学ぶべき点が多いですし、それが現在につながっているというのは確かです。しかし、過去の何かしらの出来事が真実だったと明らかになったとして、現代に何の影響もありません。

例えば、誰もが持っているスマホを開発・普及させた人物は誰もがすぐに思いつくでしょうが、実はその自分が作ったわけではないと分かったらどうなるのでしょう。私たちが持っているスマホが手元からパっと消失するわけではありません。真実を知ったからと言って物語のように過去に行って、歴史を変えることもできませんし、変えたところでそれもまた無意味な話です。みんながスマホで電話したりアプリゲームを楽しんだり、SNSで自分の考えを発信するという日常はそのままです。

きっと、「実はスマホを開発した人って、別な人なんだよ。真実は違うところにあるんだよ」などと言っても、最初は驚くかもしれませんが、数分もしないうちにアプリゲームのイベントなどに勤しむはずです。

このように、真実を知ったところで、大衆の反応なんてこんなものです。むしろ、昨今では歴史の教科書の内容はどんどん変わっているようですし、歴史上の人物の写真や風刺画なども差し替えられたり、解釈だって変わっております。もはや何が真実かなんてわかりません。

 

となると、私たちにとって真実なんていらないのでしょうか? ここまで書いておいてなんですが、そういうわけではありません。真実というのはただの判断材料の1つです。物事の捉え方や見方の1つです。また、身の回りにおけるすべての物事や出来事に対して真実が必要ということもありません。

自分に関わることならば受け入れて、適応・順応するかどうかを判断すればいいのです。自分に関係のないことならば、上記のスマホの例のように受け流してしまい、自分の日常に戻ればいいだけです。おそらく、多くの人間が後者のような反応をしているはずです。

 

しかし、私たちは無闇かつ無関係なものに真実を求めることがあります。あるいは過剰反応することがあります。それは自分にとって何が必要か重要かを理解していないため、何でもかんでも手を出して、なるべく正確なものを手に取った気になって、人よりも価値がある自分でありたいと思うのです。

その結果はどうでしょう。「これが真実だ!」と言われているもの、「これが元祖だ」と喧伝しているものを知ったからといって、人よりも価値ある存在になれたのでしょうか? 自分が納得できる存在になったでしょうか? ・・・おそらく、真実というものを知ったところで何も得られなかったはずです。仮に何かしらの真実を他人に伝えたところで「ふーん」「ああ、そう」と言われて、その他人はまたスマホの画面に戻るはずでしょう。

 

真実というものは知っただけでは意味はありません。その分野や物事に対して意義をもって真実を追い求めて、自分なりに咀嚼して自分のものとするのが大事なのです。さらに欲を言えば、そのプロセスによって誰かの役に立てることができればなお良いです。

もちろん、(冒頭のような広告は別として)真実というものを明らかにするべく、日々奮闘している方々はあらゆる分野でおります。それらを否定はしませんし、むしろ応援したいところです。しかし、受け取り手はしっかりと意義をもって受け取ってほしいと思うのです。不必要に真実を知った気になって、それを他人に得意気に語るのは真実を追い求めている専門分野の方たちに失礼というものです。ちゃんと、考察と抽象を行って自分の考え方や判断の1つとして消化してほしいのです。

 

最後に。

真実というものを目の当たりにしたときに、いきなり鵜呑みにしないで下さい。他人が真実と言っていることを、そのまま自分の言葉や考えにするのは危険です。それなりに学習したり、他の意見を確認することも大切です。色々な視点でとらえた結果として、確かにそれが共通性があったり妥当と思われたときに、それは「たしかに真実とっていいのかも・・・」と1つの材料と考えるくらいあ丁度良いです。歴史や科学だって、現代においても真実が明らかになったら変わって・・・を繰り返しているのですから。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。