アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「自分は大丈夫だろう」の結果、「なぜ自分がこんな目に・・・」となる理由

アラフォー童貞のODです。

 

災害や事故、病気や怪我といった自分では予期やコントロールできないこと、仕事やプライべート、他人とのいざこざなどの不条理なことなど、私たちは様々な出来事に意図せず遭遇します。これらは可能な限り避けたいものですし、分かっている限りで対策や予防をしておきたいと思っております。そのために私たちは生物のなかで「予測」という機能が発達し、様々な危機やリスクを回避することができます。

 

しかし、その一方でこのような世の中の動きに対して、私たちは心のどこかで「自分は大丈夫だろう」と思うものです。例えば、暴風警報が出ていたのに事前に食材を貯蔵しておかずに、「近所のコンビニがあるしいいか」と思ったり「自分の地域はちょっと風が強いくらいだから、たぶん大丈夫だろう」とたかを括って、コンビニに行けない規模の暴風になったり、うっかり外出して身動きがとれなくなることもあります。

昨今の感染症については言わずもがなです。あちこちで対策はとられていますが、本当に感染したくなければ、不要不急の外出はしない、人ごみにはいかないという基本に忠実になればいいだけです。そこまでしても感染する人がいるのに、イベントなどの自分の楽しみを優先した結果として感染したならば、そこにもまた「自分は大丈夫だろう」という気持ちがあるからでしょう。

 

ある程度のリスクを承知で不利益を被った人もいうでしょうし、むしろそちらの方が同情の余地があります。しかし、自分一人くらいならば問題ないだろうという気持ちだけでリスクを度外視したのに、予測や考えが甘かったのに「なぜ自分がこんな目に・・・」と思うならば何も言えません。それは、その当人の責任に他ならない話です。

このように書くと、まるで切り捨てるように聞こえるかもしれません。しかし、別に切り捨てる気持ちもなければ、甘い考えだと非難をするつもりもありません。それは、そのような見込みの甘い人達と関わらないから、という意味もありますが、別な理由もあります。

 

そもそも人間は危機に対して予測する機能がある、ということは上記でお伝えしましたが、それだけではありません。それとは別に、人間は「危機から目を逸らす」という機能もあります。これが「自分は大丈夫だろう」という考えになるだけです。

例えば、電車やバス、飛行機に乗ってどこかに行こうとしましょう。これらはある程度の事故を引き起こす確率があります。朝の満員電車で脱線事故が起きたら・・・、高速バスがガードレールを突き抜けて崖から落ちたら・・・、飛行機が落下したら・・・。このようなことを考えて、これらの乗り物に乗れない人は少数ながら一定数おります。しかし、その他の人たちは当たり前のように交通機関として利用して日々を送っています。

いちいち乗り物に乗るときに「今日は事故に遭うかも」とか「今回は何も起きなかったけれど、次は分からない」などとは思わないはずです。何なら朝の満員電車なんて、寝ぼけて改札をくぐって、急ぎつつもぼーっとしながら電車に駆け込むものです。これは電車や飛行機といった乗り物のリスクを理解しつつも、そこから目を逸らしているからに他なりません。何ならリスクを意図的に忘れていると言っても良いでしょう。

しかし、この「危機から目を逸らす」という機能がないと、私たちは何かしらの社会活動や経済活動をすることはできません。言い換えれば、ある程度のリスクに目をつぶらないと、妥協しないと、私たちは生きていけないということなのです。

 

そのような状況が慢性化しているのが現代です。様々な分かりやすいリスクもあれば、むしろ分かりにくいリスクにさらされているため、私たちは常にリスクから目をそらしている状態なのです。そこでいざ、本当のリスク(災害や事故など)の可能性が現れたとき、「自分は大丈夫だろう」と思ってしまうのです。リスクへの察知力が敏感すぎるのも困りますが、なさすぎるのも困りものです。その結果として、リスクと分かっているものに実害として遭遇したとき、「なぜ自分がこんな目に」となってしまうのです。

 

人間は文明社会の中で守られて生きています。今さら自然のような危機意識を持てと言われても無理な話です。しかし、心のどこかで「自分は大丈夫だろう」と頭をかすめたならば、「なぜ自分がこんな目に」と後悔している自分を想像してみましょう。あるいは「あのとき、リスクに対してちょっと撤退してみたのは正しかった」と安心している自分を想像してみると、正しいかは分かりませんが間違っていない判断はできるはずです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。