アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「誰かが助けてくれる」と思ってはいけない

アラフォー童貞のODです。

 

 「自分はこんなに困っているのに、誰も助けてくれない」「一人で苦しい思いをしているのに、世間はなんて冷たいんだ」などと他人や世の中のあり方を呪ったことはないでしょうか? 呪ったまでいかずとも、愚痴や不満を言うくらいは誰でも大なり小なりあるはずです。このように書いている私もまた、小さな出来事を挙げればしょっちゅうあります。しかし、自分が思ったタイミングで、自分が思った通りのサポートを受けられたことはありません。それはそういうものなのです。

 

 そもそも、自分が困っていることや苦しんでいる状態を、他人や世間様に分かってもらおうというのは間違いです。基本的に人間というのは、24時間体制で他人の心情を察してあげようとは思いません。相手の心情を共感するという機能はありますが、それは相手の心情を察してあげようと思ったときに作動するのであって、相手にアンテナを向けていない限りは相手の心情を察することはできません。

 逆にどうでしょう? 自分は24時間体制で他人の心情を察してあげようとしているでしょうか。共感してあげようとしているでしょうか。・・・決してそんなことはないでしょう。それどころか、ほとんどの人は「私が、私が」と自分の気持ちばかりに目を向けているはずです。そうして、他人のことは察しようとしないくせに、自分の心情を察してほしいなどと傲慢なことを考えているのです。そんな人に対して、誰も助けたいとは思えないでしょう。

 

 一方で、人間は困ってそうな人を察したときに「困ってそうだから助けたいけれど、本当に助けていいか分からない」ということもあります。過去から現在にかけての事件や事故を見てると、ときに「こんなに多くの人が目撃していたのに、何で助けなかったんだ!」と思うようなことがあります。それこそ「助けたいけれど、助けていいのか分からない」の結果であり、弊害なのです。

 このような現象が生じてしまう原因は、大変な思いをしている人や苦しんでいる状況の人たちは、自分から「助けてください」ということを発信していないからです。例えば、自分が道端で急に具合が悪くなったときにベンチに座って、ぐったりして体を休ませているとします。しかし、それを見た人は体調が悪くてベンチにぐったりしているのか、単純に疲れているのか、あるいは酔っ払っているのか、などというのは判断がつきません。しかし、助けを求めている多くの人は、「こんなに具合を悪そうにしているのだから、『大丈夫ですか?』くらいの声をかけてくれるはず」などと、自分からは発信せずに他人が察してくれる、声をかけてくれると考えてしまいます。そうして、どんどん体調は悪化して・・・と不幸な結果になるかもしれません。

 

 このように考えると、自分が苦しい状況に陥っているときに、自動的に助けてくれる人がパッと現れてくれると考える自体、間違いだということをご理解いただけたはずです。助けが来ない、周囲にたくさん人がいるのに助けてくれない、ということを嘆いたとしても意味はないのです。なんて冷たい時代になったんだ、と思うのもお門違いなのです。自分から「助けてほしい」「私は苦しいんです」ということを、発信しなければ分からないのです。

 とはいえ、精神的に苦しいときは、何をどうしていいのか分からないものです。独りよがりになってしまって、ときには自分以外は敵であるという認識になることもあります。そのような状態で助けを求めることなんて、到底できないということもあります。しかし、苦しさを分かってはあげられないけれど、話を聞いてくれそうな人はいるはずです。私自身、仕事で精神を病んでしまったとき、ありがたいことに友人が話を聞いてくれたり、あちこち遊びに連れて行ってくれたことを覚えております。そのときも、当然友人らは私の仕事のことなんか知りませんでしたし、結局何とかするのは自分です。直接的に助けてほしい、ということは言いませんでしたが、少なくとも「私は苦しい」という気持ちを出せたことは救いになったと思っております。

 

 しかし、世間はそこまで冷たくありせん。誰だって困っている人がいたら助けてあげたいと思うものです。しかし、いつも苦しい人はいないかと探すわけにはいきませんし、実際に見つけたとして助けていいのか判断がつかないと、そのあたりをウロウロしてしまうだけです。下手に声をかけると、加害者扱いされるかもしれないという懸念もある時代です。慎重にだってなります。

 大切なのは、まずは自分から「助けてほしい」「苦しい」ということを発信することです。もしかしたら「ああ、困っていたんだ」と思われるかもしれませんし、「やっぱり大変だったんだ、もっと早く言ってよ」と言われるかもしれません。そのくらい、人間は他人に対して鈍感ですし、他人に対して一歩踏み込むのを躊躇することです。そのカギと扉を開けるのは、他ならぬ自分自身しかいないのです。

 

 それでも察知してほしいと思うならば、周囲と日常的にコミュニケーションをとっておく必要があります。何だか打算的ですが、関わりをもっているほど、自己開示ができているほど、その分だけちょっとした変化があるとき、相手は「あれ、いつもと様子が違うな」と思ってもらえる可能性はありますし、話しやすい間柄であれば「元気ないけど、どうしたの?」って言ってもらえるかもしれません。しかし、これだって親しいからこそ話しかけられない、ということもあります。自分の苦しみを察してもらおうというのは、自分が陥っている悪路から脱するための手段としては、あまり有効ではないとおもったほうが良いです。

  

 結局は「誰かが助けくれる」と思わずに、苦しいときは苦しいと周囲に発信することが大切なのです。それは少しも努力せずに簡単に手伝ってもらうという話ではなく、少し詰まったら「すいません、ちょっと意見をもらえますか?」とか「ちょっとしんどいんですけれど、ご都合よろしければ手伝ってもらえますか?」とか「お話を聞いてもらうだけでいいのですが・・・」と、いきなり重いレベルになってから発信するのではなく、まだ回避できるレベルの状態のときに発信してみるのです。

 上記でも述べましたが、意外に世の中悪い人はおりません。それどころか、困っている人がいたらちゃんと手を差し伸べてくれます。ちょっと詰まったならば、雑談レベルでいいので、自分が困っていることを伝えてみてはいかがでしょうか?

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。