アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

注意されたとき、ふてくされても構いません。誰も責任はとってくれないのだから。

アラフォー童貞のODです。

 

 現代では、指導や教育する立場にありながら、部下などの至っていない点や不手際などに対して、注意できない、叱れない、怒れない・・・ということが増えているようです。下手に叱責しようものなら、すぐに反発したり、ふれくされて辞めると言いかねないし、場合によってはパワハラだのセクハラだの言われん兼ねない世の中です。また、叱ったり注意したりした後、お互いの関係性が悪くなるかも・・・ということを恐れていることもあるようです。

 この気持ちは理解できないわけではありませんが、他人の感情に対しての忍耐力、防御力が備わっていないからです。そして、他人が嫌な気持ちにならないように配慮しているようで、自分が嫌な奴だと思われたくないという気持ちがあるから、ということもあります。

 

 指導や教育する立場の人は、その役割になるのだから、ある程度は嫌われることも承知のうえで注意や指摘をすることが大切です。そのためには、気持ちの切り替えや気にしないというスキルが必要です。

 具体的には、まず、部下や後輩などに注意や指導をすることが必要ならば、それが当人の成長・周囲への好影響があるという自信があるならば、迷わずに本人へ伝えて下さい。そして、注意したら話をそこで終わらせてください。「ついでに言うとだなー」とか「そう言えばお前はさー」などと、別な場面の話に広げずに注意すべきポイントだけを伝えて終わるのです。「はい、これで終わり! ここから改善したら絶対いいことあるから」と区切るのです。もちろん、前向きな質疑応答があれば受け付けて下さい。

 そして、注意や指導した後の態度も大切です。同じテーマでも違う話題でも、注意してから5分後でも翌日でも、次に対面するときには普通に振る舞ってください。注意したことを下手にフォローするよりも、普通に接したほうが、注意されたほうも「ああ、別に怒ってないんだ」と安心できて、普通に接しやすくなります。

 

 さて、ここまでは注意や指導する側の視点で述べましたが、本題としては注意や指導を受ける側の話です。特に冒頭で書いたように、注意や指導、叱られたり怒られたりしたとき、素直に謝ったり受け止めたりできるならば良いですが、「いや、それはですね」と反発したり、面白くない顔でうつむいたりする態度をとる人は、一定数おります。私も職場では指導する立場なので分かりますが、このような態度をする人は、素直に受け止める人に比べて(当然ですが)成長は遅いです。それどころか、同じミスや指示違反を何度もしでかします。ぶっちゃけ、いられれると困るタイプです。

 とはいえ、私自身はそれでも何度も注意や指導をします。そこで、反発されても、私を嫌ってきても構いません。その職場にいる限りは、その人に対して一定数の能力をもってもらう必要はありますし、欲を言えば仕事を面白いと感じて欲しいと思って、粘り強く声をかけます。それが私の役割でもありますし、私自身の願いでもあるからです。

 しかし、それでも面白くないと思って辞めるという人はいます。それに対しては、まず私自身が、指導員として実力不足だということを受け止めます。それは本人が辞める際に本人へも伝えます。それは仕事を面白いと思えるまで伝えきれなかった、私自身の不手際でもあるからです。

 

 その一方、辞めると判断したことは当人の問題です。そして、辞めた後に関しても当人の問題であり人生です。会社という組織に所属しているうちは、私も含めて組織が教育する義務もありますし、ミス等に対して責任はあります。しかし、辞めた後は全く関係はありません。会社を辞めた当人が、私や職場の悪口を言ったとしても痛くもかゆくもありません。

 こう言っては何ですが、同じ業界内で職場を転々とする人がおりますが、そのような人は必ず以前いた職場の悪口を言います。そして、決して自分には落ち度はないという自負を抱いています。しかし、前の職場や上司の悪口を言ったところで、新しい職場では興味本位で聞くだけで終わります。特に職場を転々としているような人の話は、信憑性が薄いですし、しばらく働いているうちに、新しい職場の人たちも「ああ、この人って今までもこういう風に仕事をしてきたんだ」「間違いを指摘されたら反発したり、ふてくされたりするんだ」というのを感じるはずです。

 それが分かっているからこそ、ふてくされるような態度をとった人が辞めた後、外部の人たちに悪評を言ったとしても、別にお構いなしと思っているのです。実際、支障が出たことは一切ありません。むしろ、中途半端に反発しながら職場に残るよりも、辞めてくれたほうがいさぎよいとすら思っております。

 

 最後に。

 注意や指導する立場の人たちの心労は、私自身がその立場にいるのでよくわかります。しかし、それでも注意や指導は、意義や理由を明確にしたうえで、ちゃんと行うべきだと思います。(もちろん、感情的になってはいけません)

 それは、注意や指導されたことというのは、そのときは理解できなくても、後でちゃんと活きてくることがあるからです。「あのとき注意されたのは、こういうことか」と気づくこともあるからです。私自身、礼節については口うるさく言われたり、飲み会の席の隅で先輩や上司に怒られたことも度々ありましたが、今になってみれば、確かに過去の自分というのは、口うるさく言われたり、怒られたりするに値する幼稚な面があったと、今にしてみれば理解できます。それこそ、細かく思い出すと痛くて恥ずかしい態度をとったものです。(まあ、現在進行形でやりがちですが・・・)

 しかし、それでも今の年齢や立場になって気づけたのだから、良かったと思っております。そのため、例えば10人の人たちに注意や指導をしたとして、9人に反発されたとしも、1人が数年後、十数年後に「ああ、このことか・・・」と一つの成長としての気づきにつながればそれで良いと思っております。

 また、その9人が私のもとを離れたとしても、それは後は当人たちの問題です。きっと好き勝手やるのでしょうし、その立場になって知らず知らずのうちに、私と同じことを言っているのかもしれません。何だか、そういうことを想像すると面白いなーとも思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。