アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

誰のために「遠慮」しているのか?

アラフォー童貞のODです。

 

 「遠慮」という言葉があります。その意味を調べると、他人の言動に対して自分は控えめであるという態度です。(江戸時代では士官や僧に対しての刑罰の意味もあったようですが、話がずれるので置いておいて)遠慮の大まかな内容としては、礼節を重んじる日本人らしい考え方と言えます。つまり、他人に過度に依存しすぎず、まずは自分一人の力で物事を成し遂げようをする姿勢であろう、というものでしょう。

 しかし、遠慮も度が過ぎれば、他者からの印象に悪影響を及ぼします。例えば、暑い日に職場に冷たいペットボトルのお茶やスポーツドリンクなどを差し入れしたとしましょう。そのとき、ほとんどの同僚は受け取っているとき、「いえ、私は大丈夫です」「もうあるので、結構です」「私はいいので、他の人にあげて下さい」といった返答をする人はいないでしょうか? あるいは、そのような態度をとってしまってはいないでしょうか?

 別にペットボトルくらい、受け取ったくらいで貸し借りなんてものは発生しません。その場では間に合っていても後で飲むかもしれませんし、賞味期限を気にするものでないのだから、持って帰って誰かにあげてもいいわけです。遠慮する必要など全くないわけです。しかし、この程度の事でも遠慮してしまう人はいるものです。それはなぜでしょうか?

 

 過度な遠慮をする人というのは、自意識過剰なんだと思います。具体的には「自分を試しているのでは?」とか「受け取ったらガッカリされるのでは?」とか「こんな自分が受け取ってもいいの?」とか思うわけです。要は、嫌われたくないのです。「嫌われたらどうしよう・・・ええい、迷うくらいならば受け取らないほうがいい!!」という思考になるであり、本来の意味での控えめな態度ではなく、完全なる自分のエゴのために遠慮しているだけなのです。

 一方、そんなことに周囲は気づくはずもありません。暑い日に冷たいお茶やスポーツドリンクで喉を潤している人たちの中には「もらっとけばいいじゃん」と言ってくれる人もいるでしょうが、大抵の人は特に気にも留めません。「この人は遠慮深くて、自分に厳しい人なんだ」なんて思うはずもありません。それどころか、差し入れをしてくれた人にとっては「せっかく買ってきたのにな・・・」とガッカリするかもしれません。「みんな受け取っているのに、〇〇さんだけ受け取ってくれなかった・・・嫌われてるのかな」と疑心暗鬼になってしまうかもしれません。

 

 このように考えると、ちょっとした厚意に対しては遠慮せずに、素直に応じたほうが吉であるということが理解いただけると思います。下手な考え休むに似たり、とはよく言ったもので、片方が勘ぐってしまえば、相手も勘ぐるようになってしまうのです。このようなすれ違いは、日常で起きがちであり、しかも割とどうでも良いことでこのようなすれ違いは日常で生じます。その要因の1つが、過度な遠慮というわけです。

 

 自分が色々と考えた末の遠慮なんていうのは、無意味と思ったほうが良いです。もしも、ダイエットしているときにコカ・コーラを出されたら断る、みたいな理由ならば相手も納得するでしょうが、こちらが遠慮する理由が「何となく嫌われるかも」とぼんやりした理由ならば相手も疑問が残るだけです。それよりも、他者からの厚意や申し出は素直に受け取ったほうが、お互いにわだかまりも生まれないし、相手からの印象も良くなります。なぜならば、人間は「いい人でありたい」という願望があり、そのために厚意という形を行動で表す事で、それに応じてくれた人ほど好意を抱くようになるのです。実際、他人に何かしてあげたとき、「すいません・・・」と落ち込まれるよりも、「ありがとう!」とニコっと笑顔を向けられたほうが嬉しいはずです。それを相手にもするだけでいいのです。

 

 このような類似のケースとして、「自分へのNG行為」にもあります。他人は対して気にも留めていないのに、自分の中で「これをやったら嫌われるのでは」「これをやらなくなったら自分はがっかりされるのでは」と勝手に決めつけて、自縄自縛に陥る人がおります。例えば、周囲に「毎日ウォーキングをしている」と伝えた人がいたとして、周囲からは「へえ、健康的だね」「だからスラっとした体なんだね」と言われたら嬉しいもの。しかし、時には疲れていたり、モチベーションが湧かなかったり、ウォーキングする時間に見たいテレビがあるときだってあります。そのようなときに「いやいや、このようなときでもウォーキングしなきゃ!」と思うのは、自分を律しているという面もあるでしょうが、他人に公言した分、ちゃんとやらなければ周囲に嘘ついたことになると思ったり、1日でも休んだら肉体が駄目になる、と考えている側面もあります。

 ・・・別に1日くらい休みたいと思ったら、休めばいいのです。疲れているならば早く寝て、明日から健康な状態で歩きましょう。モチベーションが湧かないときの運動は怪我につながるという考えもあります。見たいテレビを見ないほうが、ウォーキング中に気になったり後悔するかもしれません。

 また、他人が1日くらい日課を休んだりしたくらいで、誰も非難しません。もしも「俺、昨日ウォーキング休んでしまった・・・」なんて言われた相手は、単純に返答に困るか、どうでもいい人は「ふーん。じゃあ、今日はやればいいんじゃね?」で終わるはずです。そんなものです。

 これは仕事にも言えることで、1日くらい自己都合で会社を休んだところで、誰も何も言いません。休み明けに同僚から何か聞かれるかもしれませんが、それも5分もしないうちに終わります。みんな、他人のことなんて深く関わりたいなんて思わないのが現実です。そのため、体調が悪いとか、どうしても外せない用事があって早退したいとかあったら、職場に申し出するだけで終わります。休み明けなどに、また自分の役割に従事すればいいだけです。

 実際、私も20代半ばのときに、某タレントさんのトークライブに行きたくて、ちょっと遠方だったこともあり、早退したことがあります。その頃の私は真面目な勤務態度で通っていたので「え、君が? どんな用事?」と多少驚かれましたが、そこまで深く聞かれなかったので、「ああ、こんなもんか」と思ったことを覚えています。もちろん、その後は普通に勤務していましたが。

 

 このように、遠慮も自分へのNGも、どこかで自分のためのように見えて他人を意識しすぎているところがあります。別にその一線を越えたところで何とも思われないのに。しかも、自分にとっても心身のコンディションを良質にすることにもなります。

 もしも他人を意識して「遠慮しておこうかな」とか「自分で決めた事をやらねば」と思うならば、遠慮せずに頭を空っぽにして、他人の厚意や自分の今の気持ちに素直に応じてみましょう。そっちのほうが良い方向に進むはずです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。