アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「失敗できない」よりも「最低限どこまでやればいい」を考える

アラフォー童貞のODです。

 

 これから大舞台で競技を行うことになるアスリートなどのインタビューで、彼らは「楽しみたいと思います」と言うことがあります。これは言葉通りもあるでしょうが、実際には相当なプレッシャーや緊張を感じているはずです。そのようなポジティブな発言をすることにより、メディア、引いては世間に対して頼もしい姿を見せる目的などがあるのでしょう。

 しかし、実際に協議を臨む際には、意図的に適度なプレッシャーや緊張感をもつのだそうです。それは適度な緊張感により肉体の身体機能が高まり、良いパフォーマンスを発揮できるということが分かっているからです。それはレスキュー隊やダイビング協議などの命をかけて臨む場合にも有効とされております。

 とはいえ、どんなプレッシャーや緊張でも良いのかというと、それではありません。もちろん考え方はあります。上記の例で言えば、メディアの前で成功を約束することにより、自分を追い込むことができます。それは世界大会などであれば世間に対して、規模が小さくてもトレーナーや他の選手たちなどのサポートも意識しますし、何より自分自身に対しての"喝"にもなります。それが日常のトレーニングや自身が取り組んでいる事への向上心につながります。

 

 あまり望ましくないプレッシャーや緊張というのは、「失敗できない」というものです。これは「失敗したらゲームオーバー」「失敗したら人生は終わり」という認識なので、後戻りができない状態まで追い込むことで、実力以上の成果を発揮しようとしたり、周囲に対しても成功という約束を果たそうとうする強い意志が見受けられます。・・・しかし、「失敗できない」と思って物事に挑んで、いつも以上に能力を発揮してうまくいった人はあまりいないと思います。成功者や偉人の逸話の中には確かにそういうストーリーもありますが、彼らは「失敗できない」とは思いつつ、一方で成功率を高めるための試みをしております。

 具体的には、「小さな失敗の検証を繰り返している」のです。失敗できないと言いつつも、ちゃんと失敗はしているし、その課題をクリアしながら前に進んでいるのです。その手法は単純であり、自分の目標やゴールを明確にし、それをできる限り分解していき、それらを着実にクリアしていきながら自分の望む世界に辿り着こうとしているだけです。その分解した過程はほんの小さい取り組みであり、そこでも失敗はつきものです。しかし、過程や目標を分解すればするほど、つまずきや失敗があっても、すぐに起き上がれます。何なら失敗という認識すらないこともあります。逆に、目標やゴールまでの過程の分解が中途半端だと、自分の失敗やつまずきばかり目について自信を失ってしまうのです。「失敗を失敗と思わない」という人がおりますが、このような人はおそらく限界まで作業工程を分解しきっているので、そう思えるのです。(いわゆる、ブレイクスルーというやつです)

 

 例えば、運動習慣がない人がいきなり10kmのランニングをするのは酷です。それを細かくしてみて、10kmは自分の家から最寄り駅まで歩いて、そこから線路沿いの道路を2駅分歩いて、折り返して、また最寄り駅まで歩いて自分の家に戻る、とまで分解したとします。おそらく、これは中途半端な分解です。下手に場所が分かる分、10kmのランニングと言われるよりも意欲は低下する恐れがあります。それならば、どこまで分解すれば良いのでしょう?

 

 それは「最低限どこまでやればいいのか」を設定することです。これはもっと極端な言い方をすれば、目標を立てようとする人が「馬鹿にすんな、そんくらいはできるわ!」と反論してくるレベルまで、まずは分解してみることです。多くの人たちは目標を立てる際、自分のできる最低ラインを無視してしまうので、「自分はもっとできるはず」と実力に伴わない目標を立ててしまいます。上記の例で言えば、自宅からどれくらいまでが自分の最低ラインか、「馬鹿にすんな、そこくらいまでは走れるわアホンダラ!!」と突っ込んでくるところを定めずにいると、「まあ、運動していないとはいえ、2駅くらいまでなら行けるだろう」と思ってしまうようなものです。

 営業の外回りを始めたばかりの新人でもありがちですが、先輩が「じゃあ、今日は最低5件回れたらOK」と言ったのに対して、「5件? いえいえ、もっと20件くらいは回りますよ」と豪語して、結果的に10件も回れないどころか、件数にこだわるあまり、1件1件の営業の質も落ちてしまうこともあります。それを知っている先輩は、あえて5件が最低レベル、と設定しているのです。

 

 さて、では最低ラインは「馬鹿にすんな、それくらいできるわ!」と反論してくるレベル、とは言いましたが、具体的にはどのくらいでしょう。また上記のランニングの例を活用しますと、まずは「ジャージに着替える」ではないでしょうか? ・・・馬鹿にしているわけではありません。運動を普段しない人の、運動に対しての行動力のなさを甘く見てはいけません。こんなことすら面倒くさくなるのです。「今日は疲れているし・・・」などと言い訳しやがるのです。

 じゃあ、次の最低レベルは何かと言うと「外に出ること」です。「寒そう」「暑そう」と思った瞬間、ここでも言い訳が始まります。それでもジャージを着たくらいなのであれば、まあ外に出るくらいはできるはず・・・と思いたいです。

 そして、いよいよランニング開始、と行きたいですが、走り出したならば「まあ、今日は1駅くらいはできるだろう」と思ってできるのかと言えば、初日はできるでしょうが、続けることはできないでしょう。

 では、走り出すことができたときの最低レベルとは何かと言えば・・・「次の電柱まで走る」というのが妥当でしょう。おそらく、ジャージに着替えること、外に出ること以上に「馬鹿にするな!」と思われるかもしれません。しかし、電柱と電柱の間というのは30~50mと決められており、それを1間隔走るというのは、往復すれば運動会の徒競走レベルです。運動をしない人からすれば結構な運動ではないでしょうか? 

 しかし、この電柱と電柱の間を走るということを最低レベルにできれば、あとは「次の電柱まで走る」を目標にし、そこまでたどり着いた「次の電柱まで」と走るのです。「次の電柱まで」という目標ならば多くの人ができるはずです。失敗しようがないのです。それができない方は、そもそも走る以前に、基礎体力をつけることを目標に設定し直したほうが良いです。

 

 夢や目標を持つことは結構ですが、大きすぎる目標は挫折しやすいです。さらに自分の実力と見合わない目標も失敗を助長します。その原因は自分の実力や現状に対して「これくらはできるはず」⇒「失敗しようがない」⇒「失敗できない」という思考になってしまい、うまくできなかった自分にガッカリしてしまうのが怖くなってしまい、ガチガチになったり、パフォーマンスが低下してしまうのです。

 そうならないためには、目標は高くても良いので、自分に対して「馬鹿にすんな、それくらいできるわ!」というところまで分解し、それもうまくいかない、失敗してクヨクヨするならば、まだまだ最低限ではないのです。自分が思っているよりも、もっともっと自分ができるところまで、いえ子供でもできるだろうというレベルまで目標レベルを下げてみると、「失敗できない」と思うことはなくなり、徐々に目標に近づける自分になれるはずです。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。