アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

他人の目が気になるというのは、「自分を気にしてほしい」という証拠でもある

アラフォー童貞のODです。

 

 このブログにおいて、他人の目を気に過ぎて、自分の生き方や日常を制限してしまう人の気持ちを緩和できればと思い、「人間は他の人をそこまで気にかけていないので、自分の言動に対して、他人の目をそこまで気にする必要はありません」と書くことがあります。

 しかし、このように書いたところで「そうか、じゃあこれからは他人なんか気にせず生きよう」などと、気持ちを切り替えられるならば苦労はしません。このような心持ちになるためには、意図的に自分の行動と環境の変化を起こす必要があります。これにより、他人を気にするという執着心を剥ぎ取る訓練となりますが、他人を気にする人生が長かった人ほど時間はかかるでしょう。わずかでも他人の言動が気にならなくなるあまで、気長に取り組むことをお勧めします。

 

 ところで、他人の目が気になるという考えは、「他人が自分のことを見ている」「他人は自分のことを気にかけている」という前提が必要です。自分はクラスメイトや同僚や近所の人たちの目を気にしているので、そのような人たちの動向を伺ってビクビクしておりますが、それを基準に考えて、周囲も自分のことを見ている、クラスメイトや同僚はいつも自分の動向を気にかけている、なんていうのは少し傲慢ではないでしょうか。辛辣なことを言いますと自意識過剰です。

 おそらくですが、「他人が自分の動向を気にしているかも」と考えてしまうのは、潜在的に「自分を気にしてほしい」「自分を見てほしい」という願望があるからではないでしょうか。

 

 このように書くと、何だか他人の目を気にしている人は自意識過剰である、と分類化しているように思われるかもしれませんが、そうではありません。誰もが「自分を見てほしい」という願望はあります。それは「勉強を頑張っている最中の自分を見てほしい」「テストで高得点をとって尊敬の目で見られたい」「残業や休日出勤をして、誰よりも頑張っている自分を評価してほしい」「見た目が素敵な異性とデートしている自分を、羨望のまなざしで見てほしい」・・・このように思うことは、思ってしまうことは誰にでもあります。だから、他人の目を気にし過ぎている人特有のものではありません。

 しかし、内容や分野は異なっても、他人がそこまで自分のことを見てくれることは、そんなにありません。仮に見てもらえたり、気にしてもらえたとしても、それはほんの一瞬です。「頑張っているね」「すごいじゃん」「無理しないでね」「うらやましいな」なーんて言われたら、確かに嬉しくなったり報われたりするでしょうが、それだけで終わりです。その後も毎日のように言ってくれるなんてことはありません。もし、いつも気遣ってくれる人がいたら、それは何か裏があると思って良いでしょう。

 

 このように他人の目を気にする、他人に見てもらいたいといった自意識過剰性はどこからくるのかというと、色々あると思います。そこで私自身の人生も振り返ってみたときも含めて、自意識過剰になってしまう理由の1つを挙げますと、「幼少期に親に過剰に構ってもらっていたこと」そして「今は一人ぼっちな気分になっている」ということがあるのではないでしょうか。

 今でこそブログなどで「他人はそこまで気にしていない」と言いつつも、私も結構な甘ったれでした。親に甘えることができ、とても恵まれた環境で育ったと思い、今でも感謝しております。しかし、社会に出た時に怒られたり否定されたりしたとき、耐久性ができていないので、自分を否定されないように怯えながら生きるようになっていたと思います。そして、女性関係も避けてきたので、性行為も経験ないまま30歳を過ぎてしまい、余計に自分が童貞であることとバレないかと、他人の目を気にするようになりました。

 一方で、甘えた環境で育っていたので、自分に注目してほしいという願望も強くありました。そのため、努力もしないくせに仕事で実力があるように振る舞ったり、仕事をしているっぽい動きをして、怒られないようにもしておりました。当然、周囲からの評価は得られない、困った奴だったと思います。

 

 さて、そんな私でしたが、このような自意識過剰かつ自己否定を否定してたような生き方をしていたため、自分の表面と内面がバランスをとれなくなり、心を病んでしまいました。そして、そこでようやく自分は他人の目ばかり気にして、一方で甘ったれな「自分を見て見て」と思っている男だと自己認識していくことで、徐々に他人の目を気にして生きるのではなく、まずは自分の行動や振る舞いといった内観に目を向けることに集中しようと思えるようになったのです。ここでは割愛しますが、今のように他人の目を気にしたり、自分を見てほしいと思うことが少なくなるまでには、とても時間がかかりました。それでも、このような思考がなくなったことで、文字通り気楽に生きれるようになりました。

 

 他人の目が気になるのはわかります。嫌われたらどうしようとか、これから生きるうえでの支障になったらどうしよう、などと思うのは理解できます。自分を見てほしい、注目してほしい、好きになってほしい、などと思うのも理解できます。しかし、それは願望としてはあって良いですが、ただただ疲れるだけの実のない生き方です。それらをモチベーションにして何かしらの成果を出しても、それには限界があります。すぐに周囲もそっぽを向いてしまいます。そしてまた苦しみます。

 もしも、他人の目を気にして苦しんでいるならば、同時にある「自分を気にしてほしい」という願望の存在にも目を向けてみましょう。そして、それらを認めつつも早めに手放す試みをすることをお勧めします。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。