アラフォー童貞は〇〇と考える

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話し合いの場における「人それぞれで良い」の適切な使い方

アラフォー童貞のODです。

 

 この世界にはたくさんの人がおります。容姿、動き方、成長の仕方、好きなもの、嫌いなもの、人間関係、生き方、考え方・・・どんなに同じ環境を生きていても、思考が類似するとはいえ、突き詰めると1人1人は異なります。つまり、人それぞれなのです。そして、現代においては「人それぞれで良い」「1人1人、考え方が違って良い」ということが認められおります。おそらく、100年以上前では受け入れられなかった考え方でしょう。

 このような「人それぞれで良い」というのは、個人個人の生き方やあり方を尊重するものです。特に海外への渡航が気軽に行えるだけでなく、インターネットの普及により、様々な世界の情報や文化、多様な生き方があるということが分かった今の世の中においては、逆に個人を尊重しないというのはナンセンスです。凝り固まった文化を押し付けようものなら、きっと反発されたり時代遅れと揶揄されて終わるだけでしょう。

 

 ここで、時々ですが「人それぞれで良い」の使いどころを、少し間違えてらっしゃる人がおります。例えば、何かしらのテーマについて話をしたり、将来性について意見を出し合ったり、問題解決に向けて複数人で頭を抱えているときに、「まあ、人それぞれだよね」と言う人がおります。ここで客観的な人であれば「それをまとめるために、こうして皆で話し合いをしているのですよ」と突っ込むはずです。

 しかし、厄介なことに「人それぞれで良い」という言葉には、曖昧で口当たりが良く、誰も不愉快に思わない印象を与えることができます。そのため、せっかく集まって話し合いをしていたはずなのに「そうだね、人それぞれで良いよね」と言って、何の方向性も、問題解決になっていないのに散会してしまうことがあります。結果的には何も決まっていないのに、「人それぞれで良い」という一言で何かが決まったような気になってしまいます。

 

 このように「人それぞれで良い」という言葉の使いどころを間違えると、まるで催眠をかけられたように「そうか、これでいいんだ」と錯覚してしまい、しばらく経ってから「あれ? 結局何も変わっていない」という状況を引き起こす恐れがあります。そうして、また話し合いの場を設けるけれど、また誰かが「人それぞれだよね」という毒にも薬にもならない言葉を発したところで、また何となく何かが決まった気になってしまうのです。傍から見ると、ただただ先延ばしにしているだけだというのに・・・。

 では、「人それぞれで良い」というのは、どのように使えば良いのか? という話になります。本記事においては、複数人で何かしらのテーマについて話し合っているケースを用いておりますので、それに則って話を進めますと・・・

 

 話し合いの場面で「人それぞれ」が有効なのは、方針を決めるまでの話です。つまり、1つのテーマに対して話し合いに参加している人たちから、無作為に色々な意見や考え方を出しているまでは、それこそ「人それぞれで良い」のです。ビジネスでよく聞く、ブレーンストリーミングと言えば分かりやすいかもしれませんが、個人では思いつかなかった色々な視点を得るために、人それぞれが良いと思った考えを打ち出すというのはとても良いプロセスです。 

 しかし、話し合いの場においてはここまでです。個人の意見を好きなだけ出すまでが「人それぞれで良い」の時間です。そこから先は、たくさん飛び出した意見や考え方から、テーマや課題解決にふさわしいと思われるものを抽出し、ときには組み合わせ、方向性を絞っていくことになります。予めお断りしておきますと、テーマや課題はちゃんと定まっているという前提で話をしております。もし、テーマや課題そのものがズレているようならば、それぞれの意見を出してもらう前に「この件において決めるべきテーマは何か」「この出来事の問題は何なのか」をポイントを定めておく必要があります。

 

 さて、それぞれから出た意見から、テーマや課題解決を導ける方向性を定めていく間も、多少は「人それぞれで良い」は出たり引っ込んだりするでしょうが、方向性が絞られていくにしたがって、「人それぞれで良い」という考えは控えなければなりません。徐々に方向性が決まっている途中で、「いや、やっぱりさっきのアイディアのほうが良いよ」などと言うのは、よほど話し合いがズレており、それに対して核心的な突っ込みがない限りは避けるべきです。方向性が決まりつつあるならば、話し合いに参加している人たちは、どんどん同じ視点を向ける姿勢が求められます。つまり、話し合いが進むにつれて、その方向に対しての具体的な質問や意見はあって良いですが、「人それぞれで良い」という考えはゼロに等しいと考えたほうが良いです。

 よく、ミーティングが終わった後で、話し合いに参加した者同士で「あの考えは違うと思う」とか「別のアイディアのほうが良かったんじゃないか」と愚痴めく人がおりますが、そのような人はまだ「人それぞれで良い」という段階に留まっているだけです。話が進んでいるのに、まだ初期地点にいるからこのような愚痴が出るのです。決められつつある方向性に目を向けている人は、これからの自分の役割や具体的なアクションに目を向けているものです。

 そもそも、例え話し合いの方向性が間違っていても、そのようなことは良くあることです。むしろ、方向性を決めたらどんどん進めてみて、修正していくくらいが丁度良いのです。いつまでも「人それぞれで良い」なんて言っていたら、決まるものも決まらず、何も解決しないまま足踏み状態です。それで良いなんてことはないはずです。

 

 「人それぞれで良い」というのは、それぞれの生き方や考え方という広い目で見れば私も賛同します。しかし、何かにつけて「人それぞれで良い」というのは賛同しかねます。特に社会というのは、話し合い、判断・決断、修正の連続が積み重なってできております。どこかで「人それぞれで良い」から抜け出して、ちゃんと決めるときは決めなければならないのです。これは妥協ではなく、適切性の話です。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。