アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

だまされても「あの当時は楽しかった」と思えれば、それで良しとする

アラフォー童貞のODです。

 

 誰もが損をするよりも、得をしたいものです。もちろん、私も損はしたくないですし、どちらかと言えば少しでも得をしたいと思います。しかしそれは、自分に一定の選択肢と得に結び付ける努力ができる場合に限ります。生きていると、選択の余地肢もないままに自分に関わる事象と対面し、それが自分にとっての損になったり得になったりという結果になることも、少なからずあります。

 例えば、学生であれば嫌いな教科であっても授業を受けなければならない事もあります。そのうえ、黒板に書かれた問題を解くように言われたり、先生の問いに答えなければいけない場面もあります。そこで分からなければ周囲から嘲笑されたり、自尊心を傷つけられることもあります。社会に出て就職すると、お給料のために会社から時には理不尽なことを突き付けられることもあります。仮にやりたい仕事を立ち上げたしても、自分が苦手な仕事や1つも得にならない仕事を、いやいや引き受けなければいけないこともあります。

 とはいえ、これらは損した、得をした、割を食った、運が良かった、ということの要因が明確です。結果も明確ですし、今後に活かせることもできます。1つの経験とすれば、次に類似の出来事に出くわしたときに回避したり、「このタイミングだ」と判断して大きな利益を掴むための学習になることもできます。さらに、それらの結果として損した、得したの実益(損)も数字や評価など分かりやすく感じることもできます。これらはある意味、意味のある損得勘定と言えます。

 

 しかし、少し厄介な損得勘定があります。それは、別に実害として損をしたわけでも、何かしらの形となる得をしたわけでもない、「自分の感情だけで完結している損得勘定」です。色々な情報に触れている現代人であっても、感情の損得だけは処理が難しいようです。

 例えば、人の作り話を信じて、その後にガッカリしたことはないでしょうか? これは別に身近な人の話でなくても良いです。インターネット上で見た記事などでも構いません。特に、顔が見せないままに自分の考えや体験をネット上に投稿できる現代において、2チャンネルやまとめサイトやらで取りあげられ、多くの人が夢中になる体験談が登場することがあります。そして、数年経ってから実はそれが作り話だった・・・なんてことがあります。少し前でも、投稿をした本人から「〇〇の話は実は創作です、申し訳ありませんでした」といった暴露がされたこともあります。

 私自身、10年前はスマホというデバイスではないし、今よりも通信速度の遅い無線LAN環境で重めのノートパソコンを抱えなばら、まるで小説のような展開の体験談が投稿されると、夢中で続きを求めました。自分では起こりえない恋愛模様にワクワクしたり、恐怖体験にゾっとしたり、会ったこともない人なのに心配したり・・・「世の中にはこのような体験があるんだ」「自分にもあるのかなぁ」なんてことを思ったくらいので、投稿される内容を盲目的に信じていたのだと思います。

 

 ここ数年では、特別な体験談が投稿されると、飛びつく人はいるものの、その内容は「はいはい、作り話でしょ」とか言って一蹴するようなコメントを返したり、話の内容の矛盾をついて論破しようとするようです。もちろん、適切なアドバイスを送ったりする人もあるでしょうが、やはり昔ほど信じ込む人はいないようです。

 おそらく、これはSNSが拡大する過程において、過度に自分に注目を浴びて欲しいと思う人たちによる、社会に背いた発言や行動をとることが露見されるようなことが、一時期クローズアップされることがあったため、さも自分は特別な存在である、誰も体験したことのないストーリーがある、ということをインターネット上に流した途端に、それを見た人たちの多くが「ああ、また構ってちゃんの作り話か・・・」という思考になるのだと思います。

 しかし、その反動でしょうか。そのように今では冷静に作り話と判断できる人たちであっても、過去に信じてしまった投稿版の話が創作であると分かったとき、かなりショックを受けるようです。「何で今さら」「作り話と言わないでほしかった」と動揺を隠せないことがあるようです。まあ、投稿した本人もきっと、何となく流した創作の物語の反響が良くて、ノリノリで書いていった挙句、収集がつかなくなったのでしょう。投稿していた当時も、今さら作り話と言えなくなり、非難されるのが怖くなったのでしょう。しかし、時間が経つにつれて良心の呵責に耐え切れず、数年経ってとうとう暴露したのではないかと思います。

 

 さて、上記で書きました通り、私も10年前はインターネット上に投稿された物語を信じ込んでいました。憧れすら抱いておりました。では、今の自分がそれらが創作・作り話であると分かったとき、ガッカリするのかというと・・・そんなことはありません。私は過去に事実と思い込んでいたものが、時を経て作り話であったと分かったとしても何とも思いません。

 それはまず、情報というものが日々変化するものということに慣れているからということがあります。仕事柄、知識や技術などの専門情報に触れていると、変化するというのは当たり前、常識と思われていたものが1年もしないうちに真逆になるということを身をもって体験しております。そのため、事実と思い込んでいたものが実際はそうでなかったとしても、「ああ、そうなのね」と適応する・すぐ慣れることができるのかもしれません。

 そして何より、どんなに創作であっても、作り話であったとしても、その当時にワクワクした、ゾっとしたなどの感情は「楽しかった」という一言に集約することができるからです。それは失恋したとか、頑張ったことが報われなかったのと一緒で、残念な結果になっても、振り返れば夢中になっていたという事実は、自分の中で確かに残っています。別に無理やり感情の整理を付けているわけではなく、単純に「だまされたか・・・まあ、楽しかったからいいか」と思っているだけ、という話です。

 

 何も納得いかない感情や理不尽な思いを前向きに考える、という意味ではありません。少なくとも、だまされた・損をしたと思っても、遡ってみた当時は楽しかったこともあったと思えれば、意外にプラスマイナスゼロになることもある、という話でした。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。