アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「嫌われないようにする」までは誰でもできる

アラフォー童貞のODです。

 

 人間関係は難しいものです。好かれたいと思って努力しても、それが必ず報われるものではないうえ、逆に嫌われる可能性もあります。それ以前に、相手がこちらのことを知らないということだってあります。このような状態が歪んだ形になると、常識的に考えれば奇行と呼ばれるようなことも、自分に目を向けてもらうための手段にしてしまうこともあります。SNSでの度を超えた悪ふざけの投稿をしたり、好意を抱いている異性へ「粘ればいつか好意は伝わる」と本人の迷惑も考えずに猛アタックしたり、特定の相手のプライベートを執拗に追い回したり・・・。このような行為は自分ではおかしいと思っておらず、相手のことを知りたいと同時に、自分のことを知って知って欲しいという欲求が暴走した状態になるため、いくら法的な制限がかかったとしても、自分の感情が満たされていないため、また周囲の目をかいくぐって奇行的なこと、不合理な行動に戻ってしまうのだと思います。

 

 ここで残念なお知らせとして、人間はどんなに頑張っても、他人に好かれるということをコントロールすることはできません。逆に嫌われるということもコントロールできません。意図的に他人から好かれる(嫌われる)ということをするのは不可能である、とご理解ください。そのため、友人、恋愛、職場、学校、特定の所属集団、あるいは家族においても、ある日ある時を境に急に関係性がガラッと変わることがあります。逆に理由も分からずに、いつの間にか笑顔を交わせる間柄になっていることもあります。

 心理学などにおいて、統計的な人間の行動パターンはあるでしょうが、確実に好感度をコントロールできる方法などはありません。そんなものがあったら、人間関係はおろか、社会というものは成立していないでしょう。それこそ、カードゲームのように心理と行動の読みあいをしながら生きていく世界になるはずです。 

 しかし、好かれる・嫌われるはコントロールできなくても、人間関係において(ある程度)コントロールできることはあります。それは「嫌われないようになる」ということです。

 

 人間関係を好き(または嫌い)までに至るプロセスには段階があります。大雑把に言えば次のとおりです。

 

 第一段階:こちらのことを知らない(認知されていない)

 第二段階:こちらを知っているが、興味をもたれていない(どうでもいい人)

 第三段階:そこそこ知っているが、好きでも嫌いでもない(まだ、どうでもいい人)

 第四段階:好きなほう or 嫌いなほう 

 第五段階:好き or 嫌い

 

 当然ですが、多くの場合、はじめは認知すらされていないところからのスタートです。風の噂で存在を知っていることもあるでしょうが、良くも悪くも結構な有名人でない限りは、お互いを知らないことからの関係が最初です。そうして、顔を合わせたり二言三言会話してそれっきりで終わり、以降も会わなければ第一段階で止まったままと思って良いでしょう。それでも、時々廊下ですれ違うくらいで「ああ、前に会った人だ・・・ええと、名前は何だっけ・・・まあ、いいか」くらいだと第二段階レベルです。

 ここから、同じ空間と共にする機会があったり、何かしらの共有する会話があれば第三段階になります。そうして、そこからのコミュニケーション次第で関係性は進行していきます。相手のことを知り、会話の運び方、趣味嗜好、考え方、癖などを見極めて交流をしていくことで次の段階に進みます。第四段階までいけば、ほぼ人間関係の方向性は決まってくるはずです。よほどのことがない限りは逆転することはないでしょう。

 しかし、前述しましたとおり、相手が自分のことを好きになるか嫌いになるかは、どう転ぶか分からない、コントロール不可能なことです。どんなに相手に配慮をしたとしても、相手が「いい人だと思うけれど、存在が無理」などという支離滅裂な理論を展開することだってあります。反対に、周囲がしないような対応が好印象になって「この人、やるじゃん」って思われることもあります。そのため、第四段階以降はどうしようもない、と考えるべきです。

 

 では、第三段階より前はどうでしょう。嫌われないようにするまではできそうではないでしょうか? つまるところ、無理に好かれようとしたり、反対にわざと嫌われるようなこともせず、その場の環境において他者の迷惑にならないよう、毒にも薬にもならないコミュニケーションをとっていれば、少なくとも嫌われることはありません。

 多くの人は潜在的にも意識的にも、他者から好かれようと考えてしまいます。それが態度や行動、会話にも出てしまうので、それが良くも悪くも相手の琴線に触れてしまい、中途半端に好意を抱かれたり、反対に嫌われたりしてしまうのです。そして、その中途半端さが関係をややこしくするのです。面倒くさい事態を招くのです。他人からの反感ややっかみも作るのです。

 

 それならばいっそ、「人間関係なんて、嫌われなければそれでいいや」という姿勢で生きた方が楽ではないでしょうか? 

 学校は勉強するところ、職場は仕事をするところ、みたいな感じでいいのです。そこで中途半端に歩み寄ろうとしたり、良く思われたくて自分の時間を削って物事を引き受けたりするから、周囲から都合の良い人に思われたり、変な態度の奴と思われてしまうのです。

 ・・・そうすると、余計に周囲から変な目で見られるのでは? これから先の生活に支障が出るのでは? と心配されるかもしれません。大丈夫です。例えば、学校はしんどければ行かなくていいですし、それこそ成績と出席率さえ問題なければ期限付きでその環境から強制的に脱却できます。ずっと続くものではありません。

 職場だって同様です。自宅で仕事をすることが普及している昨今、わざわざ職場で交流する煩わしさや他人に配慮しなくても、定期的な報連相と成果さえ挙げていれば文句は言われません。仕事外のコミュニケーションにより相乗効果が出ることもあるでしょうが、最低限求められている成果を出すのが仕事です。それ以上の成果やクオリティを出したい人は、それをしたい人に任せればいいのです。それに同じ仕事を一生続ける必要もありません。このあたりは学生よりも緩く、あっさり転職という道も選べます。起業という道だってあります。独り立ちしても、売り上げを伸ばさずに最低限生きていけるレベルでいいと思えば、案外何でもできます。(ここでも、良い暮らしができるレベルまで売り上げを出したいと思うから苦しむ、という考えもできます)

 

 少し話が逸れましたが、上記の人間関係の段階において、第一段階の認知されない状態について言えば、興味をもたれないのが楽な人もいるが、大抵はそうはいきません。必ず誰か自分のことを知っておいてほしいと思うのは、誰でもある心情です。しかし、誰かが自分のことを知っている、というだけで良しとしましょう。さらに、その人たちから「まあ、嫌われていないだろう」と思えるならば、それだけで100点と思えばいいのです。それ以上を望むから苦しむのです。好かれただの、好かれたいだの、嫌われただのに振り回されてしまうのです。特定の誰かに好かれたいというのは分かりますが、誰にでも好かれたいというのは、少し我が儘です。会った人には「嫌われない」くらいに留めておくのが丁度良いのです。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。