アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「大抵のことは損するもの」と認めてしまおう

アラフォー童貞のODです。

 

 人生は良いことばかりではありません。それどころか、相対的に見れば悪いことのほうが多いかもしれません。これは視点を変えれば悪いことも良いことになる、という話ではなく、あくまでも一般論としての事象・出来事の話です。どんなに捉え方を変えたところで腹が立つことがあれば怒り、不意打ちの別れに哀しみ、努力が報われずに落胆したり、正義を貫こうとしたのにしっぺ返しに理不尽さを抱き、せっかく理想に近づけたと思ったら世界の動きが一遍したり・・・例えを挙げればキリはありません。その辺を歩いている人に、最近出くわした悪いことをインタビューすれば、きっと良いことを聞くよりもすぐに出てくるはずです。そして、きっと感情を露わにするでしょう。

 

 さて、このような想定してたもの、想定外の出来事に対してネガティブな感情は生きていれば必ず出くわすでしょうが、日常における小さなことを改めて見つめるともっとあります。その1つは「損をした」ということです。それは何かしらの選択肢が目の前に現れて、自分でそこから選ぶこともできれば、強制的に選ばざるをえない状況もあります。そのとき私たちは、少なくとも損をしないほうが選択するはずです。なるべく得をするという最善の選択肢もしつつも、なるべく損失も少ないほうを選ぶはずです。

 しかし、ここでも人生はうまくいきません。あんなに時間をかけたにも関わらず、そんなことお構いなしに、結果だけ見れば損をしたように感じることがあります。強制的に選ばざるを得なかった場合はもっと割を食ったように感じるでしょう。自分で選ぶこともできなかったうえに、ハズレくじを自ら引く羽目になったのですから。

 

 おそらく、例え話を出さなくても多くの人は「ああ、こういうことはある」「時間をかけたのに、失敗した」「自分が選ぶはずだったんだ。別の人が選んだから、自分は損をしているんだ」と思うことはたくさんあると思います。というのも、人間というのは毎日選択して生きているため、その分、損をしただの得をしただのということに出くわします。そうして、損をしている(ように見える)割合のほうが大きいので、自分の人生というのは損ばかり、と思ってしまうのです。(1日何回くらい選択しているかという統計がありますが、出典が不明なのでここでは割愛します)

 

 このように考えてみると、損をしているという現象に出くわすのは、おそらく自分だけではないということが見えてきたのではないか、と思います。人間というのは生きている限り、大なり小なりの選択肢を、意識的または無意識的にしております。むしろ、習慣や癖でしている無意識の選択肢のほうが割合が多いでしょう。家から学校や会社へ行くのだって、色々なルートや交通方法があるのに、いつも同じ選択をしているのは、習慣のなせる業です。選択をしているでしょうが、そのへんは脳内でショートカットしているはずです。その無意識の選択も含めると、きっと1日だけでも多くの選択と損をしていると思います。それら小さな損が気づかぬうちに積み重なって、「何か今日は不運だな」「何かモヤモヤするな」と思ってしまいます。それは、無意識の選択肢とともに損をしているという感情も見えないうちに蓄積されているからです。

 

 では、このような人生や日常で良いのでしょうか? もっと意識的に選択肢をすることで、より充実した人生を送れるのではないのか、と思ってしまいます。・・・が、そうはいきません。上記でもお伝えしました通り、どんなに時間をかけて意識的に選択をしたとしても、損をするときは損をするものです。しかも、その割合は多いようです。

 

 ・・・そろそろ、認めましょう。「人生は損をすることのほうが多い」「世の中は大抵、損をするもの」と。むしろ、認めてしまったほうが気が楽になるのではないでしょうか。そうしたほうが、日常生活のなかで損をした・得をしたということに、いちいち感情エネルギーを乱されずに済むのですから。

 

 今日はいつもと違うものを食べてみようと、コンビニで買った新製品のおにぎりが、思ったより美味しくないこともあります。時間をかけてプレゼン資料を作成したのに、「〇〇さんの提案を採用したよ」と上司から却下を食らうこともあります。見たかった映画のDVDを借りたら、傷がついていて映像が固まることもあります。印象を良くするために雑務を引き受けたのに、その相手から陰口を言われてしまうこともあります。

 

 「正直者は馬鹿を見る」なんてことわざがありますが、別に馬鹿なんて見ていません。損もしていません。想定や期待を裏切られたわけでもありません。無意識な選択も含めて、数多くの選択をして、思ったとおりの結果にならなかった、というだけです。ムカついても、馬鹿にされて落胆しても、その出来事は変わることはできません。それに対してポジティブに考える必要もありません。

 人生に絶望しておけとか、日常は楽しくない、という意味ではありません。大抵のことは損をする、と考えておけば、ときどき想定外に嬉しい結果になったとき、その一瞬だけラッキーと思えるようになるかも、ということだけの話です。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。