アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「嫌われても構わない」と「嫌われても平気」の違い

アラフォー童貞のODです。

 

『嫌われる勇気』というベストセラーの本があります。これはアドラー心理学の考え方として、人間関係における悩みの根本を対話形式で解き明かしております。内容はとても分かりやすいし、納得できるものばかりです。この書籍によって、アドラー心理学が多方面の分野で応用され、関連する書籍もたくさん出ておりますので、『嫌われる勇気』を読んだことがない方であっても、どこかで触れたことはあるかと思います。

 その1つに「怒っている人は、その人が怒りたいから怒っている」というものがあります。表現は色々とあるでしょうが、例えば、レストランで店員が運んできた水をこぼして、自分のズボンが濡れたときどういう反応をするか? というものがあります。「てめえ何しやがる! クリーニング代を出せ!!」と怒りを露わする人もいるでしょうが、その一方で、全く同じ出来事に対して「いいですよ、そのうち乾きますから」と何食わぬ顔でやり過ごす人もいます。確かに水をこぼしたのは店員がきっかけです。しかし、どちらにせよズボンが濡れたという事実は変わりません。それに対してどういう反応をするかは、その人次第なのです。転じて、怒っている人は、その人が勝手に怒りたいから怒るという反応ているだけ、という話なのです。

 このように、私たち人間は日常で起こる出来事に対して、自分以外の外部要因が原因で感情を出しているように見えて、実は自分の内にある解釈によって勝手に感情を出しているだけなのです。0℃以下になると水が氷になる、あるいは100℃以上になると水は水蒸気になるというような自然法則ではなく、その人が持っている価値観や心身のコンディションやシチュエーションなどによって、自分自身が「お前のせいだ!!」と責め立てたり、「いえいえ、こちらにも落ち度はありましたから」と協和に導くことだってできます。

 

 ここで『嫌われる勇気』というタイトルの本を取り上げたので、「嫌われる」ということについても考えてみたいと思います。多くの人は他人から嫌われたくないでしょうし、それ以上に好かれたい、よく見られたい、褒められたい、評価されたい、などと思います。しかし、それでも社会という人間同士が関わり合う世界において、私たちは必ず批判されたり、非難されたり、そして嫌われるということがあります。それは避けることができません。ときには誤解されて、説明しても理解されないこともあります。個人的に関係性がこじれることもあれば、複数人から白い目で見られたり、立場ある人によっては社会全体から糾弾を受けたり孤立することもあります。

 

 これらを全て「嫌われる」というのは乱暴かもしれませんが、嫌われたくないという観点から見れば結局は「嫌われる」ということは、生きていれば、いつ、どんな状況で、予想されても予想外でも起こります。それがない人は、もしかしたら自分を押し殺しすぎて自分の人生を生きていない可能性があります。まあ、それも1つの選択であり生き方だと思います。1つの協和のあり方でもあるので、非難することはしません。

 

 一方で「嫌われる」ということに対して、ちゃんと目を向けている人もいます。しかし、「嫌われる」ということを意識的に考えていることには、それは大きく分けて2つあります。

 

 まず1つは「他人から嫌われても構わない」です。

 もう1つは「嫌われても平気」です。

 

 これは同じかと思われますが、意味合いは異なります。まず前者の「他人から嫌われても構わない」というのは、物事に優先順位があったうえで、それを優先することで他人から嫌われる可能性もある、というリスクをとっております。また、実際に嫌われることがあっても仕方ない、分かっていたことと受け止めることができます。

 私事になりますが、私も仕事では小規模な職場ですが管理職として、職員や取引先、設備業者や行政関係者などと交流するなかで、少しの行き違いで印象を悪くしたり、取引先を優先すれば職場内からブーイングを受けることもあります。行政には逆らえない一市民であるので、ここでも部下に情けない姿を見せることだってあります。場合によっては、職員や関係者からそっけない態度を取られることもあります。ひどい場合には、私に承認をとるべき事項を、職員間だけで決めてしまって、知らないうちに話を進められたこともあります。まあ、これは極端な例ですが、いくら仕事が人ありきとはいえ、どちらかを選択したり、大局を見据えて、一時的に信頼を失うことも覚悟して物事を遂行せざるを得ないこともあります。そして、このような状況になっても、嫌われたと分かっていても、私を嫌っているという態度の人たちでも、私はなるべく挨拶や報連相など、これまで通りのコミュニケーションをとるように心がけております。正直、かなりしんどいときもあります。しかし、このようなリスクも踏まえてのことが「他人から嫌われても構わない」ということもある、と理解しているからこそです。

 

 そしてこれは優先順位は完璧に自分であり、それ以外はどうでもよ「嫌われても平気」といのは、自分主体の話です。い・・・とまではいかずとも、「ふーん、あなたはそう考えるんだ。でも、私はこっちのほうがいいと思うんだ」と臆せず伝えることができます。見方によっては、他人の考えを受容したうえで自分の考えを主張しているので、清々しいとも言えます。

 しかし、この生き方はかなり敵を作ります。多様性が容認されつつある現代であっても、社会というのは協調性で成り立っております。そのような社会において、自己主張の強いゴーイングマイウェイな生き方をしていると「何だ、あいつは!」と非難を受けやすいものです。そんなことも気にせずに、自分の生き方・自分の価値を最優先にしているのが「嫌われても平気」というタイプなのです。

 ちなみに私はこちらのタイプではありません。多くの人たちのように、嫌われたくないですし、なるべくなら好かれたいと思っています。ただ、優先事項があれば、嫌われることもやむなし、と考えているだけです。

 

 どちらがいい、どちらが悪い、という話ではありません。前者の「嫌われても構わない」というほうは人間味があります。一方で「嫌われても平気」という人は、鈍感っぽく見えますが、自分という軸があるように見えて少し羨ましく思います。それでも、私は嫌われるというリスクを理解しながら、自分の役割ややるべきことを果たす、嫌われていると分かっていても優先すべきことを念頭に、いつもどおり振る舞うほうが自分らしい、と思うのです。再度申しますが、この生き方もまたしんどいです。心が折れそうになることもあります。しかし、敵を作ってまでも「俺はこうだから」という自己主張をするほどの軸もないので、現状のように生きるしかないと思っているのです。

 

 いずれにせよ、人間は生きていれば、必ず嫌われます。それは形や表現は違いますが、間違いなく他人から嫌われます。しかし、すべての人間から嫌われている人がいないというのも事実です。好きだと言ってくれる人もいるでしょう。好印象を抱いている方もいるでしょう。もっと言えば、「何とも思っていない」という人のほうが圧倒的に多い、という事実もあることを知っていれば、安心できるのではないでしょうか?

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。