アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

悩んでいると言いつつ、出てくるのは他人の話ばかり

アラフォー童貞のODです。

 

 お寺やお坊さんの役割というのは、亡くなった方の供養だけではありません。むしろ、生きている人間のためにある、と言っても過言ではありません。人々が抱えている苦しみや悩みを聞き、お釈迦様の教えを説くのだそうです。苦しみや悩みを打ち明ける人もまた、厳しい修行を日々送っているお坊さんが相手であるし、お寺という良い意味で世俗から解き放たれた環境にあるため、自分の胸のうちを打ち明けるには打ってつけのシチュエーションとなることでしょう。

 

 さて、別にお寺やお坊さんをテーマにしたいわけではありません。とあるお坊さんがおっしゃっていたのですが、お寺を訪れた人の悩みを打ち明けられるとき、まずはその人の背景を探るのだそうです。相手は支援してくれる檀家さんだけでなく、初対面の相手の場合も多いため、まずは悩んでいる人自身のこと、人間関係、それらを取り巻く環境、自分が抱えている苦悩を語ってもらう必要があります。すると、普段は自分の話を語る機会がないので、自分のことや苦悩を語ると湧き水のように止めどなく語るのだそうです。人間は自分のことを話すのは大好きな生き物であるうえ、それを悩みを語る機会というならば、溜めていたものを一気に吐き出したい気持ちになるのでしょうし、語っているうちに次々と思いが浮かぶのでしょう。

 

 ここで、多くの人は、自分が苦しんでいること、悩んでいることを打ち明けると、自分の話よりも他人の話ばかり出てくる、というのです。さらに、「それで、あなた自身はどう思っているの?」「あなたはどうしたいと思っているの?」などと尋ねると、苦しんだり悩んでいると実感しているものの、自分自身の要望や展望などは頭から抜けているということもあるそうです。

 つまり、自分のおかれている人間関係や環境に対しては、自分なりの見解や思いはあるけれど、それらを受けて自分自身がどうしたいかまでは頭が追い付いていないということなのです。例えば、大嫌いな上司がいて、その人はいつも多くの雑務を押し付けるくせに、自分はとっとと帰ってしまう。気心の知れた友人などとお酒を飲んだときに「うちの上司がさー」などと愚痴を言うものの、また出勤すれば、その上司の言いなりで不満が溜まる・・・みたいなものです。

 

 苦しみ・悩みというものの大半は「人間関係」です。そして、多くの人は、誰に対して・どの環境に対して苦悩しているのかまでは分かっています。それなのに、それらに対して自分自身がどうしたいのか、これからどういうことをしたいのかとなると口ごもります。あるいは、「いや、簡単に変えられないから悩んでるんじゃん」と逆ギレしてくることもあります。

 

 整理すると、苦しんでいることや悩んでいることの大半は人間関係であり、その要因と思われる対象人物と環境までは特定できております。しかし、それらに対して自分自身でアプローチは何もしない。そのため、現状は一向に変わらない・・・という話になるのです。結局、根本的な問題は自分自身にあるということになります。

 

 とはいえ、「あなたはどうしたいの?」と聞かれても、答えられない人は多いのではないでしょうか。それは、自分がどうにかしたいのではなく、人間関係で悩んでいる対象である他人に対して、「自分が思うように変わって欲しい」と思っているからです。そうして、自分が思うように変わった他人と、自分が思ったとおりのコミュニケーションをとり、自分が思った通りの関係性になれば良いと思っているのです。

 しかし、他人を変えることはできません。そのような考え自体が自分勝手であり傲慢なのです。しかも、絶対に他人は第三者の意思によって変わることはないので、いつまで経っても変わる気配のない他人に対して、苦しんだり悩んだりしてしまうのです。

 

 では、どうしたら良いのでしょうか? よく「自分自身が変わればいい」と言いますが、これはどうなのでしょうか? 確かに、自分が変わることが一番の方法です。その相手に対しての接し方や捉え方を、自分が苦しんだり悩んだりしないように変えるのが一番手っ取り早いです。しかし、それができたら苦労はしません。むしろ、「じゃあ、どんなふうに接すればいいの」「どのように相手の見方を変えればいいのさ」という、別の悩みが生まれてしまいます。そのため、悩みを聞いている側が「で、あなたはどうしたいの?」と言うことによって、悩みを打ち明けた側は新たな悩みを生み出す恐れがあります。

 

 ・・・ここまで書いておいて何ですが、本記事において具体的にこうした方がいい、という結論は書くつもりはありません。なぜならば、人生の苦しみや悩みというのは、生きている証拠でもあります。それから解き放たれるにはこの世を去るしかありません。しかし、それだと自分が自分でなくなってしまいます。きっと、苦しみや悩みなんかなくて、自分が自分であるままでいたい、というのが多くの人たちが望む生き方だと思います。それを叶えるためには、具体的な行動や考え方などでは、どうにもなる話ではありません。

 あえて言うならば、「他人のことなんて放っておけ」ということだけです。そのうえで「自分の人生だから、自分を優先して好きなように生きよう」として、それを具体的アクションとして落とし込むのです。よく、人生でやりたいことリストを作る、なんて言いますが、これらも他人を気にするよりも自分を希望を優先する、ということが起点になっているのだと思います。もちろん、他人のためにやることもあるでしょう。しかし、他人のことを気にして生きるのと、「他人のために」と自分で決めて生きるのとでは話は違います。乱暴な言い方ですが、「他人のために」というのだって、結局は自分の希望から湧き出たものであり、自分を優先していることです。

 

 もしも、苦しみや悩みがあって、そこから湧き出るものが他人の話ばかりならば、それは絶対に解決しようがない問題と思ってください。そして、そこから解き放たれるためには、強引にでも自分のことを優先して考えるのも、1つの手段と言えるのではないでしょうか。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。