アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「遊んで暮らす」は本当に楽しいのか?

アラフォー童貞のODです。

 

 誰でも一度は「遊んで暮らしてみたい」と思うものです。実際、遊んで暮らしている、自分の好きなことをして毎日を楽しそうに送っている人は、一定数いるものです。そのような人たちの生活を見て「ああ、自分もあんな暮らしをしたいな」に憧れを抱きつつ、お給料と休日を期待して、今日も夜遅くまでヘトヘトになりながら家路につくのです。そしてスマホを見たり、晩酌をしたりと短いプライベートを過ごして床に着く・・・そんな毎日にも、すっかり慣れている人がほとんどのはずです。

 もちろん、仕事が充実して楽しんでいれば良いことでしょう。しかし、「働くだけ」ではしんどくなるものです。自分の肉体は休息を求めます。寝るといった体の休ませ方を第一としつつも、人間は娯楽、いわゆる「遊び」も必要なのです。建築においても「遊びがある」という言葉があるように、カチっと作るよりも、外部からの刺激や衝撃に対して緩やかな部分というのは必要なのです。

 

 ではここで、朝起きたら急に「遊んで暮らせる生活」となっていたらどうでしょう?少し前に通りがかりに助けた老人が大富豪だったとか、宝くじに当たったでも何でもいいので、もう仕事にも行かなくていいほどのお金が手に入り、一生働かなくてもいいと確実に保証されている状態になったら・・・。夢のような話ですね。

 最初のうちは戸惑うでしょうが、お金を際限なく使えること、何不自由なく生活を送れる状態であること、このような状態に慣れてきたら、仕事をせずに遊ぶということも罪悪感もなくなってくるでしょう。

 

 しかし、これって長続きするでしょうか? 遊んで暮らせるという環境になったとて、ずっと遊んで暮らせる自分でいられるでしょうか? おそらく、飽きると思います。

 というのは、まずは一般の人が大金を手に入れたとしても、有益に使うことはできません。なぜかと言うと、お金の使い方を知らないからです。お金の使い方というのは、税金や資産運用というのもありますが、モノの価値が一般感覚のままなので、大金を手にしたところで、一般感覚のままお金を使うことになります。

 もう1つは、「遊び」を知らないということです。今までの日常を仕事に費やしていたのならば、よほど夢中になれる趣味などない限り、お金もそうですが時間も持て余すでしょう。あれほど遊んで暮らしたいと思っていたのに、いざ余暇ができると何をしたらいいのか分からなくなるはずです。実際、休みなく働いている人が、いざ休日となっても何をしていいのか分からない、という話もよく聞きます。意外なことに、遊びというのもクリエイティブさが必要なのです。

 また、「制限がない」というのも飽きる要因になります。仕事や学校に行くとか、友人と休日に遊びに行くとか、成果のある仕事をするとか、ショッピングをするとか、人によってはスマホゲーの課金をするとか・・・これらは自分のお財布と相談したり、予算内で収めようとしたりと、要は「やりくり」しながら行うから楽しいのです。仕事は〆切と目的があり、その期間で質の高い成果を出そうとするから、アイディアや達成感が得られるのです。スマホの課金だって、何回も回していいガチャなんて、時間さえかけていればいつかは出るものなので、おそらく楽しくないでしょう。確実に欲しいものが手に入ったとしても虚しくなるだけです。

 

 そして、最期の理由としては「遊びだけでは発展しない」からです。これまでの世界は1つのことに特化していることに価値がありましたが、世界中に溢れるジャンル1つ1つが習熟しつつある現在において大切なのは、それぞれを「掛け合わせる」ということです。

 

 つまり、本テーマにおいては「遊び × 〇〇」ということになります。

 

 現代では「遊び」はたくさんありますが、それらを網羅するだけだと、あくまで受け身になるだけになります。他人が作ったものを「遊び」として楽しむことはできますが、自分で構築したものではなく、自分で見つけたものではないので、充実感に欠けてしまいます。

 では、私たちが「遊ぶ」に対して何を掛け合わせればいいのでしょう。「〇〇」の部分には何を入れれば充実できるのでしょう。

 

 その1つは「学ぶ」ということです。

 

 学ぶことは、自分にしかできません。その学んだことを、「遊ぶ」に掛け合わせることにより、それまで他人が準備してくれたものが、自分が得たスキルによって加わると、それは失敗したとしても、自分の経験となります。分かりやすい例として、DIYがあります。作業手順も道具もあるけれど、自分の手で動かさなければ、椅子もテーブルも完成しません。木だってノコギリで切らなければ素材になりません。すると、ノコギリの切り方を学ばなければいけません。最初は下手くそでも、徐々に慣れるとカタチになってきます。そして、最終的に出来上がったものは不格好でも、むしろ失敗した箇所に対して愛おしさを感じることもあります。これが「学ぶ」ということを「遊び」に掛け合わせることができた、ということです。

 

 とはいえ、人間は楽をしたいものです。しかし、充実感も得たいという傲慢さも持っています。となると、強制的に「学ぶ」という環境に身を置く必要があります。では、その環境とは何でしょう。

 

 それは「働く」ということです。

 

 つまり、「遊んで暮らす」を本当の意味で成立させるには、「遊ぶ × 働く」が充実感を得られる状態であり、「遊ぶ」は既存のものでも、「働く」によって新しい学びと知見を得ることによって、それは向上するのです。

 それに、多くの人がいう「遊んで暮らす」というのは、馬鹿みたいに遊び呆けている状態ではなく、どちらかというと経済的に困っていない状態であることではないでしょうか。しかし、そうなっても人間は社会に何か貢献したい、他者に認められたいと思うものです。その1番分かりやすいことが「働く」であり、経済活動を担うということなのです。

 

 このように考えると、意外に「働く」というのも悪くはないのではないでしょうか? また、それによって「学ぶ」ということも、自分の充実を得るための手っ取り早い方法であるということもご理解いただけたと思います。いずれも面倒くさいと思われがちですが、自分の人生にちゃんと作用しているはずです。

 

 とはいえ、現状において上記を成立させるには、「働く」はできるとしても、「遊ぶ」という時間を確保することが大切です。まずは休日を確実かつコンスタントにとれる、という状態をつくることが先決かもしれませんね。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。