アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「あの人、変わった」と思ったら

アラフォー童貞のODです。

 

 久しぶりに会った友人、同じ空間で仕事をしている同僚・・・自分は相手のことをそれなりに知っていると思っていたのに、ふとしたときに「この人、変わった」と思ったことはないでしょうか? ここでは良い意味ではなく、自分の感覚と合わないという意味です。分かりやすく言えば、話が合わない・価値観が合わない、というネガティブな意味での話です。

 例えば、以前はアニメグッズばかり集めていた友人が、久しぶりに会ったら(現実の)複数の女性と肉体関係を持っていると自慢げに話すようになった、という感じです。以前は引きこもっていた人が、少しずつ社会生活に馴染むようにアルバイトを始めたなどと聞くと、その成長を感じられます。しかし、このような倫理的に良いとは言えない、誰もが眉をしかめるような変化をする人もおります。

 

 このようなとき、どのような反応をするでしょうか? 興味をもって会話に乗っかる、自分も女性を紹介してもらう、どのように口説いているのかを教えてもらう、などという、ある意味で前向きな反応をする人もいるでしょう。しかし、前述のとおり世間的には良いとは言えない変化のため、その場では聞き流したり、不快に思ってその場を離れたり、もう連絡も取り合わなくなる、と反応をしてもおかしくありません。人によっては「お前さあ、変わったな」とか「そういうの、良くないと思うよ」と指摘や説得という対応をする人もいるでしょう。

 

 ここでは別に、どのような反応・対応が望ましいのかを問うつもりはありません。というか、答えなどありません。

 なぜならば、そもそも人間の変化というものは、他人が口を出してどうこうできるものではありません。変化するときは変化しますし、その変化も一気に変わることもあれば、自分も周囲も気づかないうちに変わることもあります。人間の変化というのは、防ぎようがありません。また、変化の方向付けを他人が100%コントロールすることだって不可能です。

 

 仏教では諸行無常という言葉があります。人間も環境も世界も、すべてのものは変化します。そして変化というのは、良く変わることもあるし、悪く変わることもあります。変化というのは、考え方が変わるのか、仕草や口調が変わるのか、見た目が変わるのか、周囲が変わるのか、などなど色々とあります。これら変化は自然なことであって、誰にも止めることはできません。

 

 上記の何人の女性とも付き合ってる友人の例でいくと、ここで「女関係にだらしない友人は、どうにかしないと」「このままいくと、あいつは破滅の人生を歩む」と反論されるかもしれません。しかし、これって実は余計なお世話なのです。心配して声をかけるまでは良いかもしれませんが、説得にかかったり強硬手段に及ぶまで行くのは出しゃばりすぎです。そもそも、なぜアニメ好きだった友人が、現実の、しかも複数の女性と関係をもつような状態になったのか? ・・・これは、説得などする側には考えも及びません。

 

 考え方が変わったと言えばそこまでですが、考え方というのは習慣によって変わります。そして習慣というのは行動によって変わります。さらに、行動というのは環境や影響によって変わります。

 

 考えや行動が変わってしまった友人が、どのような環境や影響によって変わったかなんて、想像することなんてできません。もしかしたら、あるときモテモテの知り合いから手ほどきを受けたのかもしれませんし、何かのタイミングで女性を口説くテクニックに気づいて、いつの間にか楽しくなってしまったのかもしれません。このような背景も知らないまま、その友人の考え方や行動を変えることなんて、できるでしょうか? しかも、幾度も繰り返しの行動によって身に付いてしまった考え方を剥ぎ取ることなんてできないはずです。説得するだけ無駄なのです。

 

 それでも説得に及んでしまうならば、それは変わったという友人に対して何とかしようとしている自分側に問題がある、ということです。もし、本当の友人ならばどんな状態であっても友人なはずです。それを何とかしようとするのは、単純に自分の倫理感や価値観と合わないから不愉快さを抱いて、それを解消するために説得などをするのです。

 

 そもそも、まったく同じ環境の人はおりません。特に学生以上ともなれば、それぞれの日常にいる場所や関わる人たちも大なり小なり異なります。そこで培われる影響というのは、その後の人生を徐々に変えていってしまいます。仮に同じ環境にいたとしても、生まれ持ったDNAがまず異なるので、1つの事象に対しての捉え方や対処方法も1人1人異なってしまいます。その結果、見た目だけでなく考え方や行動が異なる人間が世の中にはうじゃうじゃ存在することになるのです。

 人間に限らず、生物というのは面白いもので、それぞれ全く同じの生物モデルでも、成長や進化をシミュレーションにかけると、同じ過程で進化することはないそうです。そのくらい、私たちは微妙な差で影響されてしまい、そして違う考え方の存在でまた影響し合いながら世界を構築していくのです。そのため、自分も他人も変化を止めることなんて、土台無理な話なのです。

 

 つまり、「あの人、何か変わった」と落胆したり憤慨したとしても、それは相手が変わっただけでなく、自分も変わったということなのです。お互いに変化したため、考え方や価値観に違いが生じてしまったのです。上記で「諸行無常」という言葉を使いましたが、自分自身も諸行無常なのであって、相手の変化が不快だからといって、「あいつが変わった」と相手のせいにしてはいけないのです。

 

 そして、自分も変わった状態で相手の現在のあり方に対して不快に思ったり、指摘してしまうのは、心のどこかで「うらやましい」と思っている可能性もあります。上記の例で言えば「自分はモテないのに、あいつは何人も女性とエッチしやがって」と思っている可能性もあります。

 または、以前の友人に戻ってほしいと思っているならば、それは潜在的に「変化を望んでいない自分に合わせて欲しい」と思っているのかもしれません。つまり、「誰も変わらないでー、私が付いていけないよー」と言っているのです。しかし、残念ながら何度もお伝えしておりますとおり、誰もが変化してしまいます。望まなくても、です。

 

 では、どうしたら良いのでしょうか? 周囲の人間が変わってしまう、今まで知っていた友人、近しいと思っていた同僚が、自分の知らないところで変わっていき、しかも話も価値観も考え方も合わないならば、誰とも関わり合いたくなくなります。

 

 このようになってしまうのは、1人の人間に対して執着しすぎていることが要因です。「自分が知っている友人」「一緒に仕事をした仲」なんて思っているから、ちょっとした変化や意見の食い違いに敏感に反応してしまうのです。

 

 人間関係なんて、もともと希薄ぐらいがちょうど良いのです。

 たまに意見が合致したらラッキーなのです。

 意見や価値観が違うのは当たり前、久しぶりにあったらもっと違う。

 息が合うと思っても、そのときのタイミングや偶然レベルの話。 

 

 ・・・日常の人付き合いはこのくらいに考えてみてはいかがでしょう。「自分が1番あいつのことを知っている」とか「前とは違う」なんて思うのは、逆に相手からしたら「いや、自分はそんな人間じゃないし」「そこまで期待されても」「前からこんなもんだけど」と思われる可能性もあります。また、「たしかに俺は変わった・・・そして、今の自分のほうが好き」と思っているかもしれません。それを変えようとするのは野暮というものです。

 

 人間の変化を嫌がるのはわかります。話が合わなくなることに不安を抱くのも分かります。しかし、自分だって変わっているのです。それを周囲はちゃんと受け止めてくれていることもある、ということを理解し、そして変わったと思った人も受け止めてあげることが人間関係として大切なのではないでしょうか。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。