アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自分の人生を「文系」「理系」で分けないで

アラフォー童貞のODです。

 

 日本人の傾向なのか、世界の人たちも同様なのかは分かりませんが、私たちは人間の系統を分類化したがります。「男か女か」「血液型は何型か」「どこ出身か」といったその人の基本的な情報もあれば、「肉食系か草食系か」といった時代によって生まれるものがあります。「動物占い」などのエンターテイメント的な分類もあります。

 こういったものは、「男だからどうだ、女だからこうだ」「O型だから真面目だね」「あの地域の人間は口数が少ないからな」といった、あくまでイメージでものを言うようなときの基準として用いられる傾向があります。偏見が強い地域や団体もあるでしょうが、選別基準に性別を取り上げるのはナンセンスな時代になっておりますし、血液型だって雑談くらいであって履歴書に書くこともありません。出身や地域はむしろ、話題作りになることもあります。

 このように、よくよく考えると人間を分類化する意義はないことは分かるのですが、それでも私たちは何かの選別や人物像をとらえるとき、対象となる人物を分類化をしまいます。それはなぜかと言うと、分類化・カテゴライズ・ジャンル分けしたほうが、物事を決めるときに楽だからです。分類化することによって、ターゲットを絞り込んだり、選別や判断がしやすくなったりするのです。そのため、人間を目的やテーマに応じて分類化することは、一概に悪いこととは言えないとも言えます。

 

 特に私たちは共通して、自分自信を分類化せざるを得ない時期があります。それは学校という教育機関で学生として日常を送るうえで、その道半ばで「文系」か「理系」かという選択肢を迫られます。そうすると、自然に高校で学年が上がったり、大学へ進学するときなどに、そこで決めた「文系」か「理系」かに沿って道を進んで行くことが定まっていきます。それは、大学院に行くとか、就職先を決めるといった際にも、自分の要素となってしまっている「文系」か「理系」かによって道を定める基準とすることになります。

 

 ・・・しかし、ちょっと待ってください。現在の日本の教育体制において、学生の途中で「文系」か「理系」かを決めざるを得ないのは仕方ないのですが、何もそこで定めた「文系」か「理系」かという判断は、別にその後の人生でもずっとつきまとうものではありません。

 

 そもそも、自分が「文系」か「理系」かなんていうのは、素質ではありません。

 自分がどちらに触れてきた割合が大きいか、というだけの話です。

 

 何が言いたいのかというと、理系の分野に行きたいと思ったのに、「いや、自分は文系だから・・・」といって諦めたり、反対に「理系の道を歩んできたけれど、文系の道に方向転換したい・・・でも、きっと周囲に反対されるだろう」といった思考にならないで欲しいのです。

 

 最近、データサイエンスの勉強をするにあたり、色々と入門的な書籍を手に取っているのですが、本のタイトル「文系のための~」「文系でも分かる~」が多いのが気になるのです。まるで、文系は数学的な思考ができないと決めつけて、表面的に学べる的なキャッチコピーが多いのが気に係るのです。いや、このような書籍を批判しているわけではないですし、内容は確かに配慮しております。しかし、「文系は理系の内容が分からない」という決めつけが強いのが気にかかるのです。

 

 そもそも、「文系」「理系」を分けるときに気になるのが、「自分は理数系が苦手だから文系に進もう」とか「自分は文系が苦手だから理系がいいかな」と、好きだから進むのではなく、苦手なものを消去して道を進む人がいることです。

 しかし、残念ですが文系であっても理数系の思考は必要ですし、理数系であっても人に自分の考えを伝える・カタチにするといった文系な思考は必要です。文系・理系どちらに寄ったとしても、それは割合が多いだけであって、必ず避けてきた要素(文系or理系)も学び続けることになるのです。

 これは私自身、アラフォーになって、社会人としてそれなりに生きて、管理職として社内外の人たちと関わってみたり、必要に迫られて読みにくい文書を読んだり、自分の興味があった分野の勉強する習慣が身に付いて実感していることです。1つの分野の中には他分野も複合的に混ざっており、それらの知識やスキルが必要になることが絶対にあるのです。そのため、下手に「文系」か「理系」かで自分自身を判断しないほうが良いのです。

 

 むしろ、それなりに充実した人生を送るならば、自分が納得できる成果を挙げて生きていきたいならば、「文系」も「理系」も必要、と考えたほうが良いです。何なら音楽や絵画といった「芸術」もプラスしておいたほうが良いと思います。

 

 これは私が提唱しているわけではなく、海外では複合的な分野を学べる体制にある大学が割と多いからです。日本は違う分野を学びたいと思ったら、下手したら学校そのものを変える必要がありますが、海外ではそのあたりが柔軟らしく、むしろ芸術分野も複合的に取り入れて単位取得として認められているところもあるそうです。

 別に日本の教育体制を批判しているわけではありませんし、それを急に変えることなんてできないのも分かります。それに、上記のような海外を参考にして、日本でも文系・理系問わずに複合的に学べる体制も徐々に広がっていると聞きます。頭の柔らかいうちには、どんどん色々な分野に触れる環境が大切だと思うので、どんどん広がってほしいと思います。このような試みが増えると、「自分は文系(理系)だから・・・」という考えで自分の可能性を狭めることも少なくなることが期待されます。

 

 とはいえ、大人になってからではもう遅い、という話ではありません。確かに学ぶには頭が固くなっておりますが、勉強というものを楽しむことはできます。若い人よりも理解力は衰えますが、それまで関わってこなかった分野に触れる機会を増やすことにより、自分が思っていた「文系」から、少しでも「理系」も追加することができます。いや、今の自分に掛け合わせるといった方が良いかもしれません。

 上記のとおり、私もデータサイエンスに興味をもったきっかけに、それまで遠ざけてきた理数系に触れたのですが・・・いやはや分からない。ということで、最近は高校の数学を勉強し直しております・・・これも、いやはや分からない。日常では積み重ねてきた経験・知識や技術をもってスタッフに指導をしているけれど、20歳も年下の学生さんたちが学んでいる内容が分からない自分が、何だか面白いと思っております。新しいことを知れるとともに、まだまだ知らないこと・できないことがある自分を知ると傲慢にならずに済みます。

 

 現代では気軽に色々なものを学べます。インターネットをはじめ、こんなに素晴らしい環境があるのは幸せなことです。

 冒頭のとおり、人間は何かを判断するときに分類化するものですが、自分がやりたいことや興味があるのに、そこで「自分はこうだから」「文系」か「理系」かと決めつけて、自分の可能性を閉ざすのはもったいないです。そんな分類をしている暇があったら、本当の基礎中の基礎でできそうなこと、分かる事はないかなどに触れてみてはいかがでしょうか。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。