アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「否定的な情報が気になってしまう」のは普通のこと

アラフォー童貞のODです。

 

 意図せずに自分の好きなものを目にする機会があります。すると「どれどれ」と見たくなるのが人間です。または、他人経由で耳にすることもあります。

 

 しかしそれは、決して自分にとって良いものとは限りません。時には不快に思う内容であったり、自分の価値観が揺らいでしまうこともあります。

 

 例えば、まとめサイトスレタイが自分が大好きなものを批判するようなものだったり、自分が尊敬している人の悪い噂を聞いてしまったり。

 

 このようなとき、私たちは「いや、そんなことはない!」と思って、まとめサイトの記事を読み始めたり、噂の真相を探ろうとしてしまいます。そして、そこで待ち受けているのは、自分の嗜好や価値観を肯定してくれるものではないのです。

 

「最近、●●はつまらない」

「あのアイドル、彼氏の気配がする」

「✕✕部長は職場では紳士だけれど、家庭では乱暴だそうよ」

「誰もが使っている薬に効果は全くない」

 

 現代はインターネットによってさまざまな情報を入手できますが、その内容は本当も嘘も混じっておりますし、同じ事象でも正当化するものもあれば否定的なものもあります。ほぼ100%確定しているものもあれば、ほとんど不確定な情報もあります。

 特定の個人のプライベートもがあっさりと露呈するツールやプラットフォームが出来上がっております。そして、手元にある情報を善悪も倫理も関係なく、精査することもせずとも発信できます。

 

 ・・・このようなことを知っているのに、私たちは自分の信じているもの、好きなもの、大切に思っているものを否定するものを少しでも見聞きすると、あっさりと揺らいでしまいます。

 

 このように書くと、自分にとって価値があると思っているものを、ネガティブにとらえている情報には手を出さななければ不愉快な思いをせずに済む・・・という話になりますが、上記の通り私たちはどうしても野次馬根性が湧いてしまうのです。ついつい、「嫌なものを見たくなる心理」が働いてしまうのです。

 

 私たちは自分にとって価値があるものを否定されると、そして間接的な状況でネガティブな情報を受けると、それを確認せずにはいられません。そのような情報があることすら耐えられないですし、それが嘘情報ならば打ち消さなければという正義感も働くのです。

 これも正常な思考です。自分が価値あるものに適切な評価があると証明するには、「これには価値がある!」と主張するよりも、「あなたの否定を検証したけれども、その内容は真実味が欠けます」と否定に対して正当性がないことを証明したほうが良いのです。そのためには、1度否定している内容を確認する必要があるため、まとめサイトの記事なり、噂話の出所などを探ることは正常と言えます。

 

 一方、私たちは「自分が好きなものの闇を見たくなる心理」というものもあります。それは安心感だったり、知らない側面を知りたいという欲求でもあります。

 例えば、大好きな漫画だけれど、ときには「この展開、ちょっと好きじゃない」と思う事もあります。そういうとき、ネットのレビューを見ると自分と同じ感想を持つ人に出くわします。そして「自分だけじゃないんだ」と安心感を得るのです。

 また、清楚でおっとりとした同僚の女性が、実は派手で煽情的な下着を付けているという情報を耳にしたとします。「え、あの人が? 意外・・・」と思いつつも、頭の中で悶々と妄想をして「もしかして、意外にエロい人なのも」などと(勝手に)知らない側面に思いを馳せることもあるでしょう。

 

 このように考えると、私たちが否定的な情報に手を出してしまうのは、自分の嗜好や価値観を否定されたことに感情的になっているだけではない、ということが少しでもお分かりいただけたかと思います。むしろ、嫌いになりたいわけではなく、自分がこれからも好きでいたい、大切に思っていきたいからこそ、不穏分子があることに目を向けてしまうのです。

 そのため、否定的な情報に対してやみくもに「見てはいけない!」と念仏を唱えるように自制するよりも、否定的なスレタイや他人の噂話が気になったら、まずは自分がその対象となるものを大切に思っている証拠であると考えて良いと思います。そうして、「ああ、だから否定的な情報が気になるんだ」と受け止めるのです。否定的な情報を確認するかどうかは、それからでも遅くはありません。まずは対象に対しての、自分の気持ちを再確認するのです。すると意外に「以前は気になっていたけれど、今は別にスレタイを見ても何とも思わない・・・飽きたのも」という別な発見もあるかもしれません。

 

 否定的な情報は見ないことが一番健全であります。「好きなものは好き」であり、仮に裏切られるような情報が確定したとしても、それはそのときです。人生はそのほうが多いものです。そのときまでは好きでいていいのです。嫌いだったり否定的になる人がいるのも当然なのです。そしてそれをネガティブな情報として発信する人たちもいるのも事実です。いちいち目くじら立てるのも疲れます。

 それでも気になるならば、上記のように「気になると言うことは、自分はまだ●●が好きなんだなー」と思うことから始めてみてはいかがでしょうか。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。