アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「失敗したくない」とは具体的にどういうことか?

アラフォー童貞のODです。

 

 30代後半になってから、それまでやってこなかった勉強というものを、仕事を通じて半ば強制的に行う日々が続きました。そして気づいたら読書をすることが日課になっておりました。もはや勉強するという感覚ではなく、新しいことに触れてみたり、既に知っていることの再確認したり、あるいは知っていることが今も有用性があるのかの検証したりなどを当たり前に行えるようになっております。意識高い系とか言われるかもしれませんが、習慣というよりも癖に近いのでどうしようもありません。

 

 そのような経緯があってか、新しいものに挑戦したり、自分が今知らないことがあると、とりあえず手に取ってみることも当たり前になっています。大切なのは「とりあえず」ということです。興味を持つ持たないに限らず、何だろうと思ったら「とりあえず」手に取ってみるのです。そこには面白い・つまらない・成功する・失敗する・有意義・無意味といった評価は一切ありません。手に取った後で考えればいいや、という感覚です。

 

 とりあえず新しいものに手を取ってみることのメリットは、「どうしよう」「失敗したら・・・」といった、躊躇したり長考したりする時間を少なくできることです。今でも多々ありますが、過去の自分はこの「どうしよう」といったことを長い時間をかけて迷ったあげく、途中で何だか面倒くさくなって結局何もせずに終わるということがとても多かったです。そのため、長い時間をかけて考えたわりには何も残らずに終わり、ただ時間と体力を無駄にする日々を送っておりました。

 しかし、「とりあえず」でもいいから、わずかの時間でもいいから、ほんのちょっとでもいいから新しいことを手に取ってみると何かしらの結果を掴むことができます。もちろんそれは、無意味に終わることもありますし、失敗したり不愉快なカタチで終わることだってあります。それでも経験という見えない成果になります。もしかしたら、その後で誰かが類似の話題を出したとき「そうそう、自分も似たような失敗した」と言えれば、それだって1つの成果になります。

 

 さて、なぜ「どうしよう」「失敗したら・・・」と考えてばかりで、行動に移せないのかというと、それは一重に「失敗したくないから」ということになります。これは誰もが理解できることですし、誰もがうんうんと頷くことでしょう。しかし、失敗したくないというのは具体的には何が問題なのかまでは明確になっていないと思います。ここで1つの視点として「失敗したくない」と思うことの背景を深掘りしみると・・・

 

 失敗したら、ここまでかけた時間が無駄になる

 失敗したら、ここまでかけた体力が無駄になる

 失敗したら、ここまでかけたお金が無駄になる

 

 ・・・といったような、費用対効果の話に至ります。つまり、失敗したことによって損をしたくない、損をすることによって不愉快な思いをしたくない、ということが失敗したくない理由の1つと言えるのではないでしょうか。失敗したことによって、格好悪い自分を周囲にさらすのが嫌だとか、うまくいくかどうかわからない不安感を抱きたくない、といったこともあるでしょうが、失敗するのが嫌な理由としては、「失敗したらそれまで自分が費やしてきたものが無駄になる」という思いのほうが理由として大きいのではないでしょうか。

 

 これは言い換えれば、「有意義でないものは時間の無駄」という価値観からきております。これは学校教育を批判するつもりではありませんが、私たちは「高得点をとららないとダメ」「間違ってはいけない」という教えのもとに生きてきたため、一定の良い評価を得られていないものは意味がない、という認識をもってしまいます。そのため、私の周囲においても、勉強というものを仕事に活かせないと意味がないと思っていたり、やってもいない内から自分の中で成否を判断して「こんなのやっても無意味ですよ」という人が結構おります。これは非常にもったいない話です。

 

 どちらかというと、私たちの身の回りのものは無駄であふれています。それは娯楽という話に限定せずとも、コンビニに行けば不健康・不健全なものはたくさん陳列されています。本当に必要な物・意味のある物だけならば、お菓子とかお酒とか雑誌などのコーナーはいらないはずです。しかし、実際はあります。ニーズとしてあるから、商品として陳列されているのです。生存にとって有意義なんて1つもない物だってあります。でも、私たちはそれを受けれております。

 

 それなのに、いざ自分の目の前に新しいものが現れると、まだ有意義かどうかも分からないのに「失敗したくない」と急に不安になって考え込んでしまうのです。それは、ここで下手に手を出して無意味な時間を過ごすこと、無駄に体力を使うこと、せっかくのお金を浪費してしまうかもしれないこと、という損得勘定を考えてしまうのです。

 

 このように書いておりますが、やみくもに新しいことに手を出せ、と言っているわけではありません。むしろ、このような損得勘定を考えることは自然なことです。何が言いたいのかと言うと、短絡的なのも問題ですが、考えすぎも問題であるということです。それこそ、考えすぎて何もしなかったというほうが有意義とは逆の話になってしまいます。しかし、私たちは有意義であることを求めすぎるがあまり、考えすぎて面倒くさくなり、結果的に有意義でない時間や体力などを浪費してしまっているのも事実です。

 

 本記事では別に失敗しない方法は何かには言及しません。そんな方法はないからです。失敗は誰だってなんだってありますし、失敗の解釈だって違います。それでも「失敗したくない」ということで足踏みをしている理由が分かれば、本当の無駄を避けることはできるのではないか・・・と思った次第です。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。