アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「真面目である」とは何か?

アラフォー童貞のODです。

 

 「真面目な奴が馬鹿を見る」「真面目な奴が損をする」などと言われることがありますが、これは実際どうなのでしょう? 真面目でないほうが人生はうまくいくのでしょうか? 

 このような疑問は、真面目な性格と呼ばれている人や、誰よりも真面目に頑張っているのにうまくいかなかったり、割を食ってばかりいる人が、人生に行き詰ったときに「真面目に生きてきたけれど、やっぱり損をするのは自分のような人間なんだ・・・」などと思うのでしょう。そうして、ヤケになることもあれば、自分を変えようと服装や話し方を変えたり、ときにはキャラを無理に変えてみることもあるでしょう。しかし、いずれも周囲から不評・・・ということが大半です。

 

 さて、冒頭で疑問を投げかけておいて何ですが、この質問はそもそも間違っております。つまり「真面目でない方が人生はうまくいのか?」というのは、前提条件としての捉え方が間違っている疑問なのです。

 

 真面目でも不真面目でも、生きていれば馬鹿を見ることはありますし、損をすることだって絶対にあります。真面目に生きているからといって、嫌なことや失敗などを回避できるわけではないし、真面目に生きているからといって成功しやすくなるわけではありません。

 

 では、真面目ではないほうが良いのではないか、という反論を受けるかと思いますが、これもまた乱暴な考えです。というのは、冒頭の「真面目な奴がが馬鹿を見る」「真面目な奴が損をする」という言葉は、上記のような真面目に生きている人がうまくいっていないときの一つの側面しか見ていないだけであり、真面目でないほうが成功するということは誰も言っておりません。

 

 真面目でないほうが人生はうまくいく、といった自己啓発本セミナーはたくさんありますが、それはあくまで当人の考え方であり、それが成功法則という証明になっておりません。もちろん、力を抜くためのテクニックや視点を広くするためのあり方は参考になりますし、うまくいったモデルとして学ぶことは多いでしょう。

 しかし、真面目ではない生き方を選択した100人いて、100人全員の人生がうまくいく、なんてことがありえないのは誰もが理解できるはずです。

 そしてそれは、真面目に生きている人も同様です。真面目に生きる選択を100人がいて、その人たちが全員、悩みも苦しみもなく生きていけるかといえば、それもまた、ありえないということを誰もが理解できます。

 

 改めてお伝えしますが、真面目に生きていても、そうでなくても、絶対にうまくいかないことに遭遇しますし、悩みますし、苦しみますし、怪我も病気もします。不運な事故に巻き込まれることだってあります。このようなことが分かっているのに、私たちは真面目に生きるよう教育をされたり、一方で真面目でないほうがうまくいくのではという期待もします。なぜこのような考えに惑わされてしまうのかというと、真面目というものの捉え方を誤っているからです。

 

 そもそも、真面目というのは「性格」「人としての在り方」ではありません。

 真面目というのは「取り組み方」のことです。「素直さ」と言って良いです。

 

 どういうことかと言うと、真面目というものを性格やあり方と定義してしまうと、「自分はこうでなくてはいけない!」という執着心に囚われてしまいます。目的や目標よりも自分のあり方ばかりに目が向かってしまい、結果としてうまくいかなくなります。「頭が固い」という意味で真面目と言われている人は、この典型です。親などの教育か生まれ育った環境のせいかは分かりませんが、自分のあり方を維持することに専念してしまい、自他ともに納得できる成果を出せずに苦しみます。

 このようなタイプの人は、心のどこかで「真面目にやっている自分は成功しないわけがない」とか「真面目にやっている自分こそが、成果を周囲から認められるべき」と思っている節があります。だからこそ、自分のあり方に合う方法やツールが限定されてしまい、結果としてドン詰まりしてしまう状況に陥りやすくなるのです。要は視野が狭いということです。

 

 一方、「取り組み方」としての真面目な人はうまく行きます。なぜかというと、自分のあり方ではなく、目的や目標に目を向けているからです。そして、1つ1つの工程にちゃんと目を向けたり、手順を丁寧に組み立てていきます。時には人の力も借ります。確実性を重視しつつも、時には大胆さを有しています。そして、それら1つ1つの工程をちゃんと向き合って、集中して遂行しようとします。その姿勢こそが真面目に映るのです。

 このようなタイプの真面目さを有している人は柔軟です。自分のあり方にこだわらず、段階的なプロセスを小さな成果として、その小さな成果を積み重ねていくことで最終的に大きな成果を生み出せます。それが周囲からは「1つ1つ確実に積み上げていった真面目な人」という評価を得ます。さらに、自分のあり方に執着していないので、目標や目標の達成に対して貪欲でも、やり方やツールの幅を広く見れるため、「自分がやったと思われなくてもいい」という周囲からの評価を気にしません。だからこそ、その姿勢を真面目だと評されても「そう?」と返すことができます。自分のあり方に執着がないので、成果を出そうとする道中も自分自身に苦しむことは少ないです。

 一方、こにょうな生き方だって当然、悩むこともありますし、失敗に苦しむこともあります。しかし、上記のような自分自身の性格やあり方に固執しているタイプとは見ている視線が異なりますので、周囲とも共感しやすいこともあります。

 

 このように、本当の意味での「真面目」とは、自分に対しての執着からの脱却であり、周囲の意見に寛容性や素直さをもっていることとも言えます。一人ではないので発想も広がりますし、そんな姿勢を見て周囲は「真面目」と評するのだと思います。要は自分のあり方に固執するのは脇に置いておき、小さなことからコツコツと取り組むことが「真面目」ということ、という話でした。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。