アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「誰とも話したくない」という日があってもいい

アラフォー童貞のODです。

 ビジネスにおいて、いつしかコミュニケーションスキルという言葉が当たり前になりました。引退後や60歳以降の生き方などの本も読んでみると、社会交流や近所付き合いなどの重要性のあれこれも書いております。

 人という生き物は、社会という人間同士の集団の中で、お互い助け合いながら生きております。というか、そうでないと単独では生きていけないのです。それは衣食住は誰かが作ってくれているという考えだけではなく、社会という環境が前提のため、単独だと生き方に大きな制限がかかってしまうということもあります。

 そして、社会においては人と人との関りを避けてはいけません。引いては生きているということは人との関りがエンドレスと考えてよいでしょう。面倒くさい話になりますが、今自分がいるということは、誰かと関わっているから生きているという話でもあるのです。つまり、人間が生きる上で大切なのは、「衣食住」に加えて「人との関り」ということです。

 

 そして、人との関りにおける基本は会話です。言葉のやり取りです。もちろん、メモや文書などの文字によるやり取りや、スマホなどの電子媒体による(絵文字も含めた)やり取りもありますが、生物的に考えると、直接の会話というやりとりがスタートとなるのは言うまでもありません。

 このよう生物的な基本があるか分かりませんが、私たちは自分の話をすることが大好きです。自分が見たもの、知っていること、好きなことを誰かに伝えることに面倒くささを感じません。嬉々として語るでしょう。反対に、人の話を聞くのは億劫さを感じます。自分が話すのは大好きなのに、聞くのは面倒とは何ということか、という話ですが、大抵の人はそうでしょう。そのため、聞き上手な人というのは良い印象を持たれるというコミュニケーションも成立するのも事実です。

 

 このように、人と人との関り合い、そして会話というのは非常に重要であることは、私が言わなくても理解されていると思います。・・・しかし、「誰とも話したくない」ということがあるものです。

 それは、1日だけのこともあれば、数時間のときもあるし、場合によっては数日とか長期的に及ぶ場合もあります。それは、ハードワークの後という肉体疲労によるものもあれば、辛いことや人間関係により心が疲弊しているときもあります。あるいは、とくに疲れてもいないし、毎日は充実しているのに、「何となく」誰とも話したくないということもあります。ひとまず、何故か誰とも話をしたくないという気持ちになるのです。

 

 このような状態についての原因や対処法などは、本記事では記載しません。なぜならば、それっぽい原因や対処法は書けますが、おそらく「何となく」誰とも話したくないことのほうが多いように思えるからです。

 しかし、あえて書くとすれば、「誰とも話したくない」「何となく誰とも話をしたくない」ということは誰にでもある、というのはお伝えしておきます。むしろ、そのようなときに無理に原因や対処法を探るのは、事態を悪化させるためやめた方が良いです。

 

 そもそも、生きる上で人と人との関りは必要ではあり、かつ避けて通れませんが、何も毎日のように、会う人あう人たちに、同じように話さなければいけない、関わらなければいけない・・・というわけではないのです。人との関りは避けられませんが、別に義務というわけでもないのです。適度に関わろう、くらいが気楽というものです。

 

 個人的な考えですが、人との関りは読書に似ていると思います。継続的に同じジャンルを読んでいれば傾向が掴めてきたり、その思考や思想に影響されていきますし、時には反発したり、違う意見を持ったりします。それらを自分の中に落とし込むのか、落とし込まないかは自分次第です。楽しめるか、苦手と思うのかも、今後も読むのか、読まないのかも自分次第です。仕事などで覚えなければならないこともありますが、それはあくまで最低限で良いというものです。しかし、基本的に読書というのは強制ではありませんし、自分で読みたいと思うことも、しばらく読まないと思うこともできるのです。

 

 何が言いたいのかというと、人との関りは必要だけれども、基本的には「それなり」で良いという話です。「何となく」でも誰とも話たくないと思ったとしても、それは自分自身に問題があるというわけでも、他人が問題であるという話でもありません。よほどひどい人がいるならば話は別ですが、誰とも話したくないときは、気前の良い人でも話が合う人でも、誰とでも話したくないものです。そこに無理やり理由付けをしてしまうと、自分を傷つけたり、他人とトラブルになってしまいます。人と話したくないときは、それを受け止めて、ときには「避ける」「こもる」とかいう、戦略的に1人になる姿勢をとっても良いのです。

 

 大丈夫です。人と関わるのが極端に嫌だという人は別として、いつもはそこまで苦ではないけれど、朝起きてしばらくして「ああ、何か今日は誰とも話したくない」「他人と話すのが何か面倒」と思うならば、その日はそうだと思うだけでいいのです。それで「あいつ、元気ないな」と思う人はいるかもしれませんが、変だとか嫌な奴だと思う人はあまりいません。なぜならば、誰とも話したくないという日は誰にでもあるのですから・・・。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございません。