アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

成果をあげるのは「自分」でなくても良い

アラフォー童貞のODです。

 

 「何が何でも成果をあげたい!」と躍起になっている人は少なくありません。それは営業成績だったり、手術の成功だったり、誰も解くことができない数式だったり、自然界の不思議だったり、新種の生物の発見だったり・・・。どのジャンルでも、どの仕事でも成果というものは誰もが欲するものです。

 しかし、「何が何でも成果をあげたい!」には、隠れている言葉があります。それは「自分が」という言葉です。

 

 つまり、「何が何でも、”自分が” 成果をあげたい」ということです。

 

 このように書くと、まるで動機が不純のように思われるかと思いますが、そうではありません。むしろ、自分が成果をあげたい、自分が第一人者になりたいと思うのは自然なことです。それは、自己承認欲求とか自己肯定感という話とは少し異なり、自分が夢中になっていること、時間とエネルギーを費やして頑張っていることに対して、自他ともに評価されたいと思うのは、しごく普通のことです。

 

 しかし、それは時として自分が打ち込んでいるものを楽しんだり、思い描いていた成果としてカタチにするときに障害になることがあります。人によっては、やり方を間違えたり、ルールを破ってしまうこともあります。文書改ざんや自分に都合の良い証拠をもって成果とする人が、犯罪者としてクローズアップされることがありますが、その理由の1つとして、成果を出すのは自分でありたいという気持ちに囚われてしまったからではないか、と思うのです。

 

 自分が成果をあげたいと思うのは普通なことと言ったり、悪いときもあると言ったりと、「一体どっちなんだ」と突っ込まれてしまうかもしれません。それに対しては、成果をあげたいというのは「自分が」と思うのは普通なことであり、その一方で「自分が」という執着心が強すぎると行き過ぎたことをしてしまうので、注意しましょうね・・・という話なだけです。

 

 そのためには、ちょっと視点を変えてみる必要があります。それは・・・

 

 「成果をあげるのは”自分”でなくても良い」

 

・・・と思うことです。これは、成果という目的そのものに主眼を置いた考え方です。

 例えば、お腹が空いて動けない人がいて、そこに駆け付けたのはアンパンマンだとしましょう。自分の頭の一部のあんパンを分けることで、お腹が空いていた人は元気になります。

 しかし、そこに表れるのは何もアンパンマンでなくてもいいのです。カレーパンマンがお皿にカレーを盛り付けして渡しても良いですし、食パンマンが配達中の車からパンを渡しても良いのです。目的は、お腹が空いている人に食べ物を渡して、お腹を満たして元気にしてあげることです。

 そこでアンパンマンが「僕のあんパンじゃなければ駄目だ!」と「自分が」に固執しては、話がややこしくなるのです。おそらく、作品の形態からして、先にカレーパンマンか食パンマンが食べ物を渡しても、後から来たアンパンマンは、2人に「ありがとう」と言って、お腹がふくれた人には「良かったですね」と言って話は終わるでしょう。

 

 アンパンマンはフィクションですが、私たちが日常で目の当たりする目的や目標もまた、何も自分が主体になって成果をあげなくても、別に問題ないことがたくさんあります。もちろん、1人1人に課せられた成果や達成すべき目的はあるでしょうが、それらも大元を正せば、別に誰が達成したとしてもいいのです。

 

 例えば、営業成績だって突き詰めれば、お客さんの課題や要望に対してお金というカタチで受け取り、それが会社という組織を成立するうえでの成果となります。極端に言えば、会社単体で月1000万の売り上げを出す場合、何も10人の営業マンが1人あたり100万円達成する必要はありません。9人の営業マンが1人の営業マンをサポートして1000万円を達成することだって結果は同じです。そこで、中心となった1人が脚光を浴びたとしても、9人の見えない力があってこそなので、その9人が脚光を浴びなくても、特に会社外の人たちから見れば、何も問題ないのです。もちろん、社内では9人もしかるべき評価を得るべきということは付け加えておきますが・・・。

 

 何だか腑に落ちない方もいらっしゃると思います。根本の目標を達成できたのは良いけれど、頑張った人がしかるべき注目を浴びたり、世の中から正当に評価されるべきだ、と憤慨される人もいると思います。しかし、現実はこのようなケースが多いです。というか、自分が頑張っても、その中心に自分がいるということは非常に稀だと思ったほうが良いです。「頑張った分、周囲から適切に評価される」なんて思っているのは甘い、というか期待しているとがっかりするだけです。

 

 よく言う「自分で頑張った自分のことを褒めてあげて」「頑張っていることを見てくれている人がいるよ」といった、ありきたりで養分にならない言葉は言いません。なぜならば、頑張った自分というのは自分で評価しにくいですし、頑張っている自分を見てくれるほど他人は暇ではありません。逆に、他人の頑張りを見て、評価してあげているでしょうか? ・・・おそらく、あまりないと思います。

 

 だからこそ、成果というものを追求する意欲をもつ一方、それが自分でなければいけないと過度に思う必要はないのです。むしろ、頑張ってみた結果を客観的に眺めるくらいのほうが、モチベーションは維持できるのではないでしょうか。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。