アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「感情が爆発する日もある」と割り切る

アラフォー童貞のODです。

 

 感情が昂ってしまい、その場で怒鳴ったり声を荒げたりすることは誰でもあります。そのようなスイッチが一度入ってしまうと、もはやブレーキをかけることは困難です。しかしも、そのときは自分は理路整然と話しているつもりでも、時間が経って冷静に振り返ったときに「やっちまった・・・」と大きな後悔に包まれてしまいます。親しい人がすぐそばにいたり、周囲に結構な人数の人たちがいたり、場合によっては好意を抱いている異性の前で取り乱してしまった日なんかは、もう引き込もりたくなります。

 

 昨今では、感情のコントロールの仕方やメンタルトレーニングといった書籍や動画、セミナーなどがたくさん出ております。マインドフルネスとや瞑想といった単語もまた、同様に見かけるようにもなっております。

 それくらい現代人は自分の感情に振り回されており、その一方で自分の感情を制御したいと思っているのだと思います。このように他人事のように書いている私もまた、自分の感情をうまくコントロールすることが出来たなら、人生をもっと穏やかに生きれるのに・・・と思っております。

 

 しかし、感情をうまくコントロールするなんてことは不可能とも思っております。正確には、「感情をうまくコントロールしようとすることは、人間において不自然なこと」なのです。

 

 これは筋トレで考えれば分かると思います。筋トレをする目的の多くは筋肥大や筋力の維持です。そのためには、自分が今支えられる分以上の負荷を筋肉にかけ、筋繊維を一度破壊することになります。そして、栄養と休息をもって肉体の超回復という作用をもって筋肉は発達するのです。

 

 これは心や感情においても同じだと私は思っております。つまり、人間は生きていくうえで感情的になるというプロセスが必要ということです。心を成長させるにあたり、その環境に適応するためには、現状の自分の感情をぐちゃぐちゃにするのです。そうすることによって、ふと冷静になったときに「ああ、やっちまった」と自分のあり方が、今の環境や周囲の人たちと適応していないことに気づくのです。そうして「次は気を付けなくては」とか「自分の考えの浅さや振る舞いの幼さを謝罪しよう」と思うことができれば、私たちは次に進めるのです。

 

 しかし、感情的になった無様な自分を見せてしまった人たちと、顔を合わせることはできない、と思ってしまうものです。それでも私たちは現在いる環境の人たちと顔を合わせて、会社や学校、地域といった社会生活を歩まなければなりません。感情的になるたびに環境を変えることは難しいため、気まずくても顔を合わせることになります。

 当然、気まずくなることもありますし、関係がぎくしゃくしてしまうこともあります。しかし、それもまた感情的になることと、心が成長するためのプロセスとして必要なのです。関係が悪いまま距離を置いてばかりいると何も発展はしませんし、ときには関係性が悪くなります。時間が解決するという考え方もありますが、スピード社会の現代においては悠長に言ってられないこともあります。そのため、気まずくてもぎくしゃくしていても、こちらから歩み寄りをすることが大切なのです。

 

 そこで「何て言えばいいかな」とか「最低限、この話題をしたら良しとしよう」と頭をフル回転させてコミュニケーションをとることが成長につながるのです。そして、こうした「感情的」⇒「試行錯誤」⇒「歩み寄り」を繰り返すことによって、次第に同様の場面に遭遇したとしても、感情を爆発することなく「ああ、これはもう経験したことだ。感情的になっても無意味だ」とか「こういう場面では、怒鳴るよりも別のアプローチが大切だ」と冷静になることができます。もしも、感情的になったことに後ろめたさを感じたまま、人間関係を放置していてばかりでは得られない境地です。

 

 個人的な見解ばかりで恐縮ですが、「感情的になる」ということは時々は必要です。しょっちゅうは困りものですが、ときには自分の内にあるものを露わにして、それを後で振り返ったときに「やっちまった」と思ったら、次は落ち着いて処理できる自分になれば良いですし、「言いたいことを言えた。後悔なし」と思えたならばそれも良しです。いずれも1つの経験であり、その後の自分に活かせるでしょう。

 

 感情を爆発させたことに落ち込むこともあるでしょうが、クヨクヨするよりも、ある程度は「これも必要なことだ」と割り切ることも大切ではないでしょうか。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。