アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

あの漫画の表現は「トレパク」?「オマージュ」? それとも・・・

アラフォー童貞のODです。

 

ネット上でときどき、漫画に対する評価の1つとして、「トレパク」という言葉を見かけます。これは、実在の人物や静物などの写真や、既存の漫画の描写をそのまま自分の作品に流用している場合の指摘のようです。さらに大ごとになったケースとなると「トレパク騒動」などにも発展するようです。

 

記事を書いておきながら「~ようです」と書くと、何だか他人事のように思われるかもしれませんが、正直に言って他人事なのでどうしようもありません。ネット上における炎上と呼ばれるものについても、多くの場合は少数の人たちが騒いでいるということが、統計からも明らかになっており、それと同様に「トレパク」も「トレパク騒動」も実際には一部の人たちが騒いでるものと思われます。そのため、これらの騒動を知った人たちにおいても「ふーん、そうだんだ」とか「気づかかった」とか「別に気にしないや」という人達のほうが割合が多いと推定されます。

 

とはいえ、実際に元となる人物の写真やそのポーズや、既に世の中に出ている漫画のワンシーンと比較すると、「これは確かにパクリと言われても仕方がないかも・・・」と思ってしまうものもあります。そして「プロだったら、自分のオリジナリティをもって欲しいよな」とも思う人もいても不思議ではありません。

 

さて、このような考えを抱いたとき、ふと思うことがあるのです。

 

 プロの作品は、すべてを「ゼロ」から生み出さなければならないのか?

 

プロの漫画家であれば、漫画という作品の1コマ1コマ、表紙も見開きも、すべてが誰も表現していないもので作品作りをしなければいけない、という認識が多くの人にあるのではないでしょうか?

 

しかしそれって、可能なことでしょうか。多くの作品がすでに世の中に出ており、これから先もどんどん生み出されます。それらがすべて重複しないようにすることは可能なのでしょうか。・・・おそらく不可能でしょう。

 

だからといって、既存作品の構図などをそのまま流用していう釈明にしていい、と言いたいわけではありません。著作権の問題だってありますし、模倣したことにより非難を受けるというリスクだって現代では多くの人が分かっているはずです。それでも、写真や既存作品の力を拝借しても、自分の作品に活かしたいと思った理由はあるのだと思います。

 

とはいえ、本記事ではその点については考察しません。その作者が既存のものを模倣したり参考にしたりする理由を突き詰めると、キリがありませんし、きっと本心も知ることもできないはずです。

 

しかし、確実に言えることはあります。

 

 すべてのモノは模倣から生まれている。

 すべてのモノは組み合わせでできている。

 

現代音楽の起点はビートルズであると言われているように、色々な分野には原点があれば発展した時点もあります。ブームや思考などの転換期もあります。しかし、それは長い長い歴史の中で、誰かがふと思いついてやったこと、意図的・作為的にやったこと、想定外の失敗から生まれたことなど・・・このような現象を繰り返しているうちに現代に至っているのです。そして、誰かが生み出したことを「それ、いいじゃん」とか「自分も取り入れてみよう」となって、さらに違う形に変容していくのです。

 

そのため、大抵のものは「どこかで見たことがある」と思っても仕方ないのです。なぜならば、誰もが他人がやった何かを見て、意図的でも潜在的でも自分の中に取り入れて、それを作品としてアウトプットしたのですから。

 

それに、誰もやったことがない表現や、いわうる「原点」と言われている人たちの作品というのもまた、発表した当時は散々だったはずです。おそらく「これはひどい」「芸術の冒涜だ」「こんなの何が面白いんだ」「才能がない」などと言われたはずです。これもまた、仕方のない話なのです。なぜならば、私たち人間というのは、初めて見たもの・遭遇した現象を受け入れられないからです。知らないことは危険、と見なしてしまうのです。だから非難という反応をするのです。

 

しかし面白いもので、それに一度慣れてしまうと評価は次第に変わっていきます。実際、iPhoneだって発表した当初はタッチパネルが汚くなるとか、たくさんソフト(アプリ)が入っていても意味がない、などと酷評されていましたが・・・もはや現代では不可欠と言っていい位置に君臨しております。

そして、そこから色々なスマートフォンが登場して、タブレット端末が登場して・・・と仕様と機能は同様に、形や手を変えた商品が出ております。これらはパクリではないのでしょうか? オマージュや真似とは言わずに、いわゆる後発品などと呼ばれます。そして私たちはそれらを比較して、自分の嗜好や生活スタイルに合わせて購入します。

 

極端な言い方をすると、私たちはオリジナリティに敬意を抱きつつも、いざ目の前に現れると危険信号から非難をしてしまうのに、しばらくして慣れてしまうと「パクリ」「オマージュ」「マネ」が含まれていても問題視しなくなるのです。それどころか、私たちは安心すら覚えるのです。それは単に「見たことがある」「だいたい知っている」「想像がつく」となると危険信号が働かなくなるのです。

 

ここで「作品と商品は違うだろう」とおっしゃる方もいると思います。それはその通りだと思います。漫画なども1つの芸術分野と考えると、感性に訴える「作品」と日常で使用する「商品」は違うと考えるのは当然だと思います。

しかし、ここで漫画でも音楽でも映画でも良いのですが、自分の好きな分野というのは結構決まっていないでしょうか? 一方で、興味がないと言ってほとんど手に取ったことのない分野もないでしょうか? 

それは好きな分野というのは「好きだから」と言われてしまうかもしれませんが、心のどこかに安心感があるのではないでしょうか? 反対に手に取った事のない分野は「苦手だから」「興味がないから」といって嫌煙しているのは、危険まで思わなくても、心のどこかで「手に取ってみて不快に思ったらどうしよう」という心配があるのではないでしょうか。

 

何が言いたいのかといいますと、私たちの身の回りのものは誰かが作ったものを模倣されており、そして誰かが作った何かと何かを組み合わせてできたものであるのです。それを手に取った自分は、その中に「どこかで見た模倣」「何かで見ていいなと思った安心感」を見出しているからこそ、「ちょっと使ってみようかな」「見てみようかな」と思うのです。

 

このようなことから、「トレパク」というのもまた必要なもの・・・までは言いませんが、誰かの模倣をすること、その場面において既存のものがベストマッチする、それで自分の作品が成立する、一部は同じだけれど全体を良くできる、となるならば容認しても差し支えないと思うのです。もちろん、さも自分が考案したかのように表現するのはNGです。ちゃんと敬意をもって活用することが大切です。

 

世の中にある表現すでに出尽くしていると思っても差し支えないと思います。ゼロから新しいものが生まれるのは稀な話です。確かに露骨なものもありますし、著作権や認可を通過することだってあります。しかし、似ているものを見つけて「トレパクだ!」と騒ぐよりも、そこに自分の中で着地点を見出して楽しめるようになることも、インターネット上で情報を得やすい現代においては大切なことかもしれません。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。