アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「その数秒が命運を分ける」・・・なんてことはあまりない

アラフォー童貞のODです。

 

ドキュメンタリー番組などで「危機一髪」とか「九死に一生を得た」といった内容をテーマにすることがあります。飛行機が上空で発生したアクシデント、登山中に想定外の悪天候に見舞われた中での転落事故・・・視聴者はハラハラしながらテレビにくぎ付けになってしまいます。そして、このようなときに生死を分けるのは一瞬の判断や咄嗟の行動が分岐点となり、最終的に無事生還できた・・・というのがパターンです。

危機に対して生還できるのがパターンではあるものの、生還できたからこそ視聴者は安心して番組を見続けることができるものですし、実在に起きた出来事を題材にしているので「こんなの作り話だろう」なんて指摘をするというのも野暮というものです。ここは大人しく「危機一髪」にハラハラして、「九死に一生を得た」ことに安心できる演出を素直に楽しみましょう。

 

・・・と、ハラハラするドキュメント番組について語りたいわけではありません。ここでお伝えしたいのは、生死を左右する出来事に対しての「一瞬の判断」や「咄嗟の行動」ということです。

 

九死に一生の出来事でなくても、私たちは日常において一瞬の判断や咄嗟の行動をとることがあります。場合によっては、時間がない中で次のアクションを即座に決めて行動に起こすこともあります。特に情報化社会が常の現代においては、状況や物事はものすごいスピードで移り変わるため、早め早めに判断をしないと、どんどん取り残されてしまうという恐怖心を抱いてしまいものです。

そのため、1つ1つの物事を先延ばしにせず、適切な分量の情報を集めたら、「これはこういうことだろう」と予想も交えつつ、すぐに「よし、こうしよう!」と決めて行動をするのが当たり前になっております。

 

さて、どうでしょう? 何だか、いつの間にかせかせかと生きているようになっていないでしょうか。しかも、別に即座に判断しなくてもよいことを、いかにも「ここで迅速に判断しないと、悪いことが起きる」と思って、物事の輪郭や核心もそこそこに、とっとと判断してしまうこともあります。そう、まるで日常が九死に一生の出来事のように、です。まるで「その数秒が命運を分ける」というナレーションが聞こえてきそうなほどです。

 

しかし、「その数秒が命運を分ける」なんてことは、日常においてはそんなにありません。命の危険を伴うようなアクシデントに見舞われたのならまだしも、自宅の中、玄関を出て百メートル圏内、最寄り駅周辺、地下鉄の構内、電車の中、職場での仕事中、帰りに寄ったコンビニ・・・このようなところで「その数秒が命運を分ける」なんて出来事はそうそう起きません。そんなゲームのような荒廃後に人間が何とか生き延びている世界設定でもない限りは、普通には起こりえません。

 

それなのに、私たちはまるで「その数秒が命運を分ける」とでも言わんがばかりに、せかせかと生きています。そうして、スーパーのレジでモタついている人を見てイライラしたり、制限速度で前方を走っている車に業を煮やして無理な追い越しをしたり・・・と非合理な行動をとってしまいます。そうして良い結果にならないことは分かっているのに、です。

 

「その数秒が命運を分ける」が大袈裟であっても、心のどこかで「こんなことをしている時間はないのに」とか「この無駄な時間があったら、他のことに使えるのに」と感情的になってしまうことは多々あります。そうして後悔してしまうのに、何回もやってしまうのに、です。

 

九死に一生」「その数秒が命運を分ける」みたいな生き方や判断をしても、良いことはありません。むしろ、「急がば回れ」という言葉を信じて、ときには時間をかけてじっくり日常を過ごしてみたり、周囲が急いでいるときこそ、自分だけは確実に確認しながら歩を進むことだってあって良いのです。

 

もしも、最近何だか忙しいわりに充実感がない、と思うのであれば急いで判断をしようとしたり、急いで物事を達成しようとする思考を一度中断したほうが良いかもしれません。そうすると気づくかもしれません。「その数秒が命運を分ける」ということはほとんどなく、別にゆっくりやっても総合的にみてあまり変わらないということに・・・。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。