アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「学校の宿題」は何のためにあるのか?

アラフォー童貞のODです。

 

学校の宿題って何のためにあるのでしょう?

 

その日、授業でやった内容をおさらいするためでしょうか?

自宅での勉強習慣を身に付けるためでしょうか?

それとも、帰ったあとに遊んでばかりいるのを防止するためでしょうか?

 

もしかしたら、グーグル検索すれば答えらしきのはヒットするでしょうが、個々では何も知らないまま(何も分からない奴が勝手に)考えていきます。

 

そもそも、先生は「なぜ宿題があるのか」という理由を説明していなかったように思います。それどころか、先生のタイミングで急に宿題を出したり、宿題があることは当たり前であるという雰囲気で出してきたように思います。

上記で3つほど考えられる理由を提示してみましたが、特に現代においてはどれも論破されてしまいそうです。私も自分で考えを出しておきながら、それぞれに対しては異論はあります。

 

いきなり結論ですが、いずれも「生徒の勝手だろう」で終わってしまいます。

 

これだと乱暴なので、それぞれについて検討しますと、まずは授業でやった内容を復習するという意味でも、勉強習慣を身に付けるという意味でも、それぞれ「勉強する生徒はするし、勉強しない生徒はしない」で片付けられます。要は「やる奴はやるし、やらない奴は何を言ってもやらない」という話です。

 

何だか突き放すような言い方ですが、これは社会人になってからでも言えることです。仕事をする人はするし、サボる人はサボります。先輩に教えてもらったことを、家に帰ってから振り返る人は振り返るし、その場で教えてもらったときにメモした手帳を職場に置いてくる人は復習しません。今後のことを視野に入れて資格取得に励む人もいれば、プライベートを満喫したい人だっています。仕事で充実したい人もいれば、家庭を重視しているしている人だっています。

 

私は管理職という立場ですが、その立場で言えば、仕事に係る知識や技術習得のための勉強を推奨したり、健康管理として運動や食事などに気を付けるようにスタッフには伝えます。しかし、それを実践する人というのはわずかです。(もちろん、私の説得力のなさもあるのでしょうが・・・)

 

自分の人生を良くしたいと思ったときに、誰もが勉強をするということは大なり小なり理解しているでしょうが、それを継続できなかったり、始めることすらしない人は多いものです。特に現代ではインターネットという手のひらで楽しめる娯楽があるため、そちらを優先してしまうのも無理はありません。それに対して、「今日教わったことを家でも確認しろよ」とか「自分で本を買って読みなさい」など勉強することを矯正したり、「スマホ見ている暇があったら~」なんて小言を言うつもりもありません。正直言って、そこまで面倒は見ていられません。

 

宿題の話に戻しますと、強制で出しておきながら「やってきて当たり前、やらないのは罰」というのは変な話です。せいぜい、「今日の授業でやったことを確認するためのプリントを配布するから、やりたい人はやればいいよ。別に確認はしないけれど、分からないことがあったら聞きにきて」くらいで良いのではないでしょうか。

それに対して、「こういうものがあると復習ができる。うれしい」と思う生徒はやればいいですし、「別に今の時間で覚えたから、やらなくてもいいか」と思う生徒もいるはずです。結果的に、授業でやったことが身に付いていればそれでOKのはずです。

 

そのため、急に「ここまでやった内容を覚えているか確認するため、小テストをやる」と突発的に言い出す先生もまた問題だと思います。確かに人生とは突破的なことの連続ですが、急に小テストをやるなんていうのは、定時前に上司が追加で仕事を振ってくるようなものです。ちゃんと事前に言うか、その小テストが何の意義があるのかを伝えるべきです。例えば、小テストで間違えたところを先生が確認・分析して、つまずく箇所や理解できていない基礎ポイントを伝える、というならば良いですが、「できた」「できていない」というだけで、あとは生徒に間違ったところを自分で考えろなんて言うならば、そもそも授業内容に問題があると言えます。

 

別に過去から現在に至るまでの教育に不満があるわけではありません。しかし、個人的には、結局は「勉強したい人は勉強すればよいだけ」と思っています。勉強することに早い段階で意義を見出すか、大人になってから意義を見出すかは環境や気づきによります。大人がその機会を与えることは大切ですが、宿題という存在は、記憶や勉強習慣の定着には不向きだと思います。

 

そもそも、宿題によって勉強習慣が身に付いているならば、大人になってからも家に帰って勉強する習慣があるはずです。しかし、ほとんどの人はテレビに見入ったり、スマホなどで動画やSNSを眺めている始末です。また、宿題という自宅にタスクを持ち帰るということは、「家に仕事を持ち帰る」ということの温床になっている可能性だってあります。その授業で覚えることはその時間帯で覚える、決められたタスクは決められた日数で終えられる・・・という習慣を身に付けるための仕組みのほうが大切ではないでしょうか? 特に日本人は時間や作用の「量」ばかりに価値を見出して、短時間で「質」を追求するという面がおろそかにしがちです。宿題という全体に強いる視点ではなく、その日の授業で面白いと感じた内容を深掘りしたり、自宅や日常の中での興味の幅を広げるテーマを与えたほうが良いのではないでしょうか。

 

最後に。

日本は先進国の中でも学習に対する意欲が低いと言われております。別に勤勉さが失われたわけではなく、学習に対しての興味が掴み切れていないことや、学習することへの社会的意義が結び付いていないということもあります。

また、学習意欲というのは、学校教育とは別に家庭環境というか社会環境にもよるとも言われています。日本は男性が子育てに携わっている時間が短いこと、残業時間の長さと生産性の非効率性といった背景から、巡り巡って子供たちの学習意欲を向上する機会を損ねている、という見解もあります。(このあたりについては話が長くなるので割愛します)

何はともあれ、学習も含めての成長性というのは他人から強制されるものではない、ということです。それに対して「宿題をやってきたか、忘れたか」ということばかりに主眼をおくのは、何だかポイントがズレているのではないか? と思った次第です。

 

追記:

そういえば、日記を書かせるというのもどうかと思います。具体的には、日記を書くという行為は良いと思いますが、それを先生に提出して、あまつさえ添削やコメントをするというは越権行為ではないでしょうか?

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。