アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「難しい言葉を知っている=知的」ではない

アラフォー童貞のODです。

 

インターネットで検索すると、簡単に色々なことが分かってしまう時代です。逆に言えば、個人で色々なことを知っていても、あまり意味はないとも言えます。

 

そんな時代においても、未だに「たくさんのことを知っている」ということに価値を見出している人は少なからずおります。それは知識を得ることに楽しみや喜びを持つという意味ではなく、他人からの評価を得るための1つの手段という意味です。

 

このような考えを持っている人の中には、「難しい言葉を知っていること」を「知的」であると勘違いしている人もおります。同じ業界で働いているわけでもないのに専門用語をやたらと使う、会議などの場でカタカナ用語を用いたがる、といった人はどこにでもおります。

 

もちろん、同じ業種などであれば、専門用語を使ったほうが伝わりやすいこともあります。抽象的なことを伝えるならば、カタカナ用語のほうがニュアンス的な要素が伝わることもあります。ケースバイケースと言えばそのとおりです。

 

しかし、専門用語ばかり使う人と会話をしていて、「わあ、この人は難しい言葉を知っている。きっと知的なんだわ」と思うでしょうか? やたらとカタカナ用語を使っている人を見て「仕事ができる人なんだろうな」と思うでしょうか? ・・・少なくとも私は思いません。どちらかと言うと「もう少し普通に話せないのか」と思ってしまいます。

 

少し話が脱線しますが、多くのことを知っていたり、専門的なことに詳しすぎるがあまり、それらに足を引っ張られることもあります。その業界におけるベテランと呼ばれる人であっても、「これはこういうことだ!」と決めつけてしまって、新しい発想ができなくなることもあります。難しい言葉を知っているという自信が強すぎるがあまり、向上心を持てなくなるということもあります。

1つのことに対して従事している年月が長いと、新しいことを取り入れるという意欲が疎外され、経験だけでこれからも何とかうまくやっていくことができる、という思い込みをしてしまっている人たちを、私は幾人も見かけたことがあります。もっと視野を広げれば、活躍の幅が広がるのに・・・と残念に思うこともあります。

 

情報化社会という言葉と矛盾するようですが、個人が多くのことを知っていることは、現代ではあまり価値と言えないとも言えます。では、私たちはどのように生きていけばよいでしょうか?

 

・・・と、その前に改めて誤解を解いておきます。それは、知識を得るということ、色々なことに目を向ける・知る・経験すること、これらはとても良いことです。私も知らないことを知れたり、新しい知見を得ることに喜びを見出しております。しかし、色々なことを知っているということを、他人に評価してほしいとは思いません。

 

一方、自分のもっている知識や情報や知見などを、他人に活用してもらえたら嬉しいとは思っております。そして、そのために大切なことは次の3点だと考えております。

 

必要なときに引き出しがあること

状況に応じて組み合わせできること

分かりやすく言い換えができること

 

1つめの「必要なときに引き出しがあること」は、他人が困っているときに、ピンポイントで役に立てる情報を提供できるということです。これは市役所の受付のようなものであり、「その件については、●●でご相談ができますよ」と端的に伝えることができれば、「ああ、ありがとう。助かったわ」と相手もすぐに理解して安心感を抱くでしょう。反対に、たくさん情報を与えれば良いと思っている人は、聞いてもいない関連情報まで言うため、それを聞いた他人は結局何も分からないのと同じ状態になります。

 

2つめの「状況に応じて組み合わせできること」は、現代そして今後も必要なスキルと言えます。インターネットの普及により、個人で得られる情報の幅は増えたけれど、それによって、新しい情報や斬新な発想のような「0から1」の価値というのは得にくくなっております。となると、今後は1つ1つの情報を色々な視点で見直したり、全く違う分野の「1」と「1」を組み合わせることで、どんな化学反応や相乗効果を引き起こせるのかが重要になります。多くのことを知っている、色々な知識や情報をもっているという自負があるならば、それらを単独の「1」として提供するよりも、組み合わせてどうなるかを提供したほうが、他人からすれば「色々と考えているなー」と思われるかもしれません。(まあ、バカバカしいと一蹴されることもありますが・・・)

 

3つめの「分かりやすく言い換えること」は、他人に対しての配慮という意味で重要です。身近にいないでしょうか? 自分がたくさんの言葉を並べて説明した後に、「うーん、つまり・・・〇〇ってこと?」と簡潔にまとめてしまう人は。

これは悪い意味ではなく、このような人こそち「知的」であると思うのです。たくさんの情報から要点を抽出し、それを相手の立場に言い換えて説明し直せるというのは、基本的な知識や理解力、相手に合わせるための洞察力がないと成立しません。そういった要素を備えているからこそ、分かりやすく言い換えられるのです。すると長々と説明した人だって「そうそう、そういうことが言いたいの」となります。

私自身、長々と説明しようとしたときに、それを聞いてくれた相手から「つまり、こういうこと?」とホワイトボードで分かりやすく言い換えしてくれたときは、「いやあ、こういう風に説明できるようになりたいなー」と憧れてしまいます。

 

最後に。

難しい言葉を知ってることは、悪いことではありません。しかし、ひけらかしては他人から良い印象を持たれないこともあります。ときには「そんなことは誰もが知っているのに、自慢げに言われても・・・」と評価を下げることもあります。

それでも、「誰かに言いたい!!」「自分の知識を自慢したい!!」という気持ちも理解できます。そうなったら、現代ではブログやSNSといった個人が情報発信できるツールはたくさんあるので、そのようなものを活用すれば良いと思います。もしかしたら、上記のような反応が返ってくるかもしれないですが、それでいいじゃないですか。別に顔を合わせている人でもないので、「そうですか。誰もが知っているのですね。・・・それでも私は初めて知ったので、嬉しくって投稿しました」とコメントしたり、しなかったりすればいいだけです。

 

ひとまず、人間も情報・知識というのも、適材適所ということをご理解いただければ幸いです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。