アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「昔のもの」をよく覚えている理由

アラフォー童貞のODです。

 

過去のゲーム映像や、現在も第一線で活躍しているアーティストなどの動画を気軽に視聴することができる時代です。そのような昔のコンテンツに対してのコメント欄には、懐かしさを抱いたり、若いときを思い出して奮起するような気持ちがつづられています。

 

一方、「今のものはクオリティが高いけど、昔のほうが味わいがある」「昔のものは覚えているのに、現代のものは印象に残りにくい」といった、今と昔を比較して「昔のほうが良かった」などの言葉を目にすることがあります。昔の歌や映像作品などが色あせない魅力がある、という意味ならば良いのですが、現代のコンテンツ全般に対して否定的な思いを持っている人は少なくないようです。

 

しかし、それは本当なのでしょうか? 現代のものはCGなどの技術がかなり進歩して表現の幅が広くなったのに、味わいや魅力などは少なくなったのでしょうか? ・・・個人的には、それは少し違うと思っております。

 

昔のコンテンツのほうが印象深い、味わいがある、よく覚えている、というのは、単純に「関わった時間が長い」という話が大きいと思います。言い換えると「遊んだ時間=思い出の量」ということです。

 

昔は1つのゲームを買うのも数千円しましたので、ちゃんと吟味しておりました。もちろん、本当に欲しいものだったらお金をしっかり溜めて購入しておりました。そして、面白くてもそうでなくても、ずっとそればかりやっていたように思います。これはせっかく買ったからちゃんとプレイしようという意味もありますが、どちらかと言うと「それしかやるものがない」という理由もあるのではないでしょうか。どんなに新しいものをやりたくても、新しいものを買うために数千円をポンと出せないため、手元にあるもので何とか楽しむしかない、という事情だってあったはずです。

しかしながら、その分の思い出は濃くなり、振り返ったときの懐かしさも深くなるのです。

 

それに対して、現代はどのコンテンツも安価(無料)で始めやすいものばかりです。手元のスマホでとっとと始めることができます。そして、すぐにやめることもできます。それは面白くないからという理由だけではなく、もっと面白いものがどんどん登場して、それらも安価(無料)で始めやすいので、移り変えしやすいからということもあります。
そのため、簡単に手放せる分、1つ1つの思い出が少なくなり、振り返ろうにも印象が薄くなってしまうことにもなりやすくなります。もちろん、すべてのコンテンツに対して印象が薄くなるというわけではなく、ものすごくのめり込んでしまうことだってありますので、あしからず。

 

別な視点として、そのコンテンツを入手するまでに苦労した、時間がかかったということもあるでしょう。苦労した分だけ印象に残っている、ということです。

 

現代のゲームも音楽も店舗でパッケージ販売されておりますが、一般的にはダウンロードのほうが主流です。ハードを買わなくても、アプリとしてスマホですぐに楽しむこともできます。昔だってダウンロード販売は行われていたものの、まだCDやゲーム1つ買うのにも、本当に欲しければ予約したり、自転車に乗って店舗まで足を運んだものです。それこそ、地域によっては大雪をかきわけて息を切らせながら入手したでしょう。おそらく、その苦労もあって印象に残っていると思われます。

これは、手塩にかけた分、嬉しさも倍増するようなものです。家具をネットで注文して届くのも楽しいですが、DIYで失敗しながらも自分で作ったほうが味わい深いということに似ております。料理も手間をかけたり、盛り付けを工夫すると楽しくなるのと同じです。

 

最後に。

このような記事を書いているからといって、現代のコンテンツを非難しているわけではありません。クオリティが低いなんてことも言うつもりもありません。そもそも、過去のものも現代のものも比較するほど審議眼があるとも思っていません。

 

特に技術の進歩と言うのは、人間が「楽したい」とか「楽しみたい」という「楽」という欲求が根本としてあります。そのため、突き詰めて考えると今も昔も人間の欲求というものは変わっていないと言えます。

確かに昔は色々な「楽」を手に入れるためには、お金もかかりましたし、入手に一定の労力も要しましたので、それだけ印象に残っているということはあります。また、次々と新しいものを手に出せるほど裕福ではなかったので、手元にあるものを使い倒すことで「楽」を得ていたと思います。それはそれで思い出です。

 

しかし、次々と出てくる新しいものを気軽に手に取れることができ、かつ早々と乗り換えすることが可能である現代は素晴らしいとも思います。1つに固執しないということは、その分だけ世界が広がるということです。特に多様化が容認されている現代においては、やりたいことをやったもん勝ちとも言えます。1つのことを使い倒す、やりこみすることだけが全てではないという考えだって当たり前にあります。1つの会社に定年までいるよりも、転職しながらキャリアップするという選択があるように、自分の可能性を広げてくれそうなものに、とりあえず手を出しても非難されない時代なのです。

 

「俺の時代はな―」なんてことを言いたい気持ちは分かりますが、ほどほどにしたほうが良いです。それは若い人に迎合するという意味ではなく、「へー、昔とは違うんだな。今はどうなっているのか知りたいな」の距離感で付き合うくらいの話ということです。

 

昔を懐かしむのは一人で楽しむものです。そこから顔を上げたら、ほんの少しは現代の「楽」に触れるのもまた味わい深いものです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。