アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

「閉鎖的」という、身を守るための止むを得ない術

アラフォー童貞のODです。

 

過疎地に移り住んだ人が迫害を受け、精神を病んでしまったという話を目にすることがあります。このような話は、日本の特有性とか、地域限定の陰湿な話とかも含めて、色々な憶測が飛び交うものの、わずかな記事でしか取り上げられないので、結局は憶測の域を出ることはありません。

 

では、本記事でこのような過疎地における迫害問題に言及するのか、と言えばそうでもありません。別にジャーナリズム精神を持っているわけでもありませんし、その地域の何かを解決したいということもありません。現場に行って確かめてみたいとも思いません。

それに、このような話というのは、日本だけではなく海外でもきっとあるのだと思います。極端な例を挙げますと、ジャングルの奥地で生活をしている民族の縄張りに足を踏み入れてしまったがために、ひどい目に遭ったなんてことも話には聞きます。まあ、これも本当だか嘘だかはわかりませんが。

 

しかし、過疎地でもジャングルでも、そのような閉鎖的な空間に住んでいる人が、外部からきた存在に対して敵視してしまう気持ちは理解できなくもありません。だってそうでしょう、私達だって、職場や部活チームに新しい人が入ってきたら、歓迎しつつも心のどこかで「こいつは安心できる存在か」「敵か? 味方か?」という品定めをするはずです。

 

おそらくですが、閉鎖的な空間・地域に住まう人たちは、新しい住民、あるいは来訪者に対して同じような警戒心を抱いてしまうのだと思います。それが地域性やお国柄などと言えばそれまでですが、もっと根源にある人間の生存本能のようなものが、極端な形となって排他的な振る舞いをしてしまうのではないでしょうか。

 

それでは、何に警戒をしているのかというと、それは「自分のいる空間を変えて欲しくない」ということと、「自分の立場を現状維持したい」という気持ちだと思われます。

 

職場や部活などの集団においては、すでに人間関係の階層や役割などが決まっており、そこのポジションに対してのプライドや安心感があります。出来る限りこのままであってほしいと思っているところに、新しい人物が入ってきたら、しかも優秀そうな人材であったら、それだけで「自分の立ち位置が危ぶまれるかも」と不安になります。

すると、相手は仲良くやっていきたい、新しい生活となる空間を荒らすことなんてしたくないと思っているのに、既存の住民たちはまるで野生動物の縄張り争いみたいに戦闘態勢をとろうとします。

 

数年前に、若い青年たちが田舎に住むというドキュメンタリーを観たのですが、そこでは中高年の住民たちが、農業の後継者となる若い存在に期待をしつつも、「一度ここに来たからには、簡単にやめるんじゃないぞ」などと、どこか高圧的な言葉をぶつける場面がありました。

別に過疎地の人にコミュニケーション術やコーチングなどを身に付けろとは言いませんが、そんなことを言っては委縮してしまうだけでは・・・と思ったものです。しかし、今にして思えば、自分の住んでいた空間を維持したいと思いつつも、新しい人を受け入れないと廃村になってしまうリスクもあり、きっと様々な葛藤があって、そのような言葉が出てしまったのではないかと見受けられます。

 

過疎地がイメージできなければ、自分の自宅で考えてみてください。特に、「なるべく自分の自宅(部屋)に他人を入れたくない」という人は理解できると思いますが、自分のテリトリーに他人を招き入れるということは、自分が維持してきた安心できる空間が大なり小なり変化することを意味します。

「ああ、それを触らないでほしい」「カーペットが汚れてしまう」「この人は少しタバコくさいからな」などと、1つ気になればたくさんのことが気にかかってしまいます。

そのようなストレスを抱かないためには、結局は「自宅(部屋)には誰もいれない」という対策しかなくなります。つまり、閉鎖こそが自分の精神を守る術ということです。これは他人の好き嫌いではなく、やむを得ない対処法なのです。

 

とはいえ、自分を守ろうとするあまり、いつまでも排他的でいると、それこそ過疎地のように衰退してしまうだけです。もしそれが嫌ならば、自分にとっての安寧の場所や自分のポジションというのが、多少なりとも変わってしまうということを覚悟しなければいけません。

 

何だか嫌な気分になったかもしれませんが、意外に腹を括って新しいものを受け入れてみれば、意外に「ああ、悪くないな」ということもあります。下手に新しいものに警戒していると、それこそ何も変わりませんが、どうにでもなれという気持ちでいると、結構新しい心地よさに気づくこともあります。下手な考え休むに似たりというように、不安や恐怖心におののいているよりも、飛び込んでしまったら「こんなもんか」と思うことも多いものです。それこそ、現在の安寧の地やポジションに至るまでの間に、そのような経験を何度も乗り越えてきたと思います。

 

「閉鎖的では駄目」「何でも変えたほうが良い」というわけではありませんが、今までの状態でいることがジリ貧であると思うのであれば、自分が今の状態に安心感を抱いているということをちゃんと理解したうえで、新しいものを受けれるのも1つです。違う安心感が得られるかも、という期待をもって臨んでみても良いと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。