アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

全てを把握しようとしなくていい

アラフォー童貞のODです。

 

どんなことにも首を突っ込む人がおります。

何でも把握しておかないと気が済まない人もいます。

 

これらは野次馬根性などの性格的なもの、立場からの責任感に由来しているものなど様々あります。視野を広げたいという探求心、色々なことを知っている自分でありたいという自己承認的なこともあるでしょう。

 

いずれにせよ、このような傾向にある人は1つだけ理解しておかなればなりません。

それは「全ての事象を把握することは不可能」ということです。

 

躍起になって何でもかんでも把握しようとしたり、全てを把握できている自分でありたいという欲求は理解できますが、度が過ぎるとポイントを見失ったり身を滅ぼします。

 

全てを把握しようとすることの弊害をお伝えしますと、それは「1つ1つの理解の質が落ちる」ということです。

例えば、目の前に2冊の本があるとします。1冊は自分が大好きなシリーズの小説で、もう1冊は興味がある分野の専門書です。それぞれは実際に読むと面白いことは確実であり、何回読んでも読み足りないことでしょう。しかし、それら2冊は1日しか手元に置けないという条件があります。普通に考えれば、どちらか1冊に絞って何度もじっくり読むか、2冊とも読むけれどそれぞれ1回くらいしか読めないと思うはずです。

しかし、何でも把握しておきたいタイプの人は、どっちも同時並行で読もうとします。または、2冊とも読むけれど、何度も読みたいからそれぞれ猛スピードで読もうとするのです。

 

さて、じっくりと1冊読んだ人と、2冊とも猛スピードで何度も読んだ人では、本の内容をどの程度ちゃんと理解できているでしょう? これも普通に考えれば前者だとお分かりでしょう。よほど頭が良い人でない限りは、いくら何度も読んだとしても、ちゃんと頭でイメージしたり思考したりしないと記憶には残りませんし、理解も浅いままで終わってしまいます。

 

これは、何でもかんでも知っておきたい、全てを把握しようとするタイプの人が陥ってしまう状態です。色々なことに興味をもって、幅広く取り組んでいると言えば聞こえは良いですが、それは自分の許容範囲内の話です。何でもかんでも手を出していれば、当然ですが1つ1つの質は落ちてしまいます。

 

私たち人間は共通していることがあります。それは「時間は有限であること」と「自分の体は1つだけ」ということです。その自分の体もまた、体力もスタミナも限りはありますし、自分の知識や思考にも限界はあります。

 

何でも把握したいと思っても、取捨選択することも必要なのです。

そのためには、何を選んで、何を捨てるかを定めておくことも必要です。

 

例えば、仕事で身近な2人の存在が迅速に解決しないといけないトラブルを抱えているとします。そして、自分はどちらのトラブルも何とか解決できるスキルがあるとします。しかし、1人は直属の部下であり、もう1人は隣の部署にいる同期なのです。

どちらも助けてあげたいと思うのが人情ですが、現実にはどちらかしか助けてあげることしかできません。しかも、仕事なので自分自身もやるべき仕事があります。その点も考慮しなければいけません。

 

この例えはどちらを選んだとしても、助けてもらったほうが喜ぶでしょう。では、助けてもらわなかった人は、助けてくれなかったことを恨むでしょうか? また、トラブルを解決できないまま没落するでしょうか? ・・・おそらくどうにもならないでしょう。

直属の部下が困っているのを助けるのは当然かもしれませんが、本人の成長のために上司や先輩は見守るだけのこともあります。そして自力でトラブルを乗り越えても、うまく解決できなくても1つの経験になります。

隣の部署の同僚を助けなかったとしても、結局は隣の部署の話です。その部署の人たちが手伝ってくれてくれるか、それとも他部署を巻き込んで解決しようとするかもしれません。あるいは、上記の部下のように自力で何とか乗り越えようとするかもしれません。その後に一緒にお酒を飲んだときに「いやー、あの時は大変でさー」と笑い話になるかもしれません。

 

そうです。自分が何でも把握しなくても、全ての事象に関わらなくても、物事はそれなりに進展するのです。何とかなってしまうものなのです。「自分が行かなければ大変なことになる」なんてことは、実は1つもないのです。

もちろん、色々なことに目を配らせて、自分が関わることで好転することもあるでしょう。しかし、自分が手を貸さなかったことでうまくいかないことがあっても、自分が知らないところで物事が進展しても、何一つ気に病むことはないのです。私たちはスーパーヒーローではないのですから。

 

最後に。

全てを把握しようとしなくてもいいです。もしも、自分が関わったほうが良かったのに周囲でうまくいかないことがあっても、それは個人の責任はありません。そうなるしかなかった、と思うしかないのです。「自分がいれば・・・」なんて思うのは、むしろ傲慢なことと思ったほうが良いです。

一方で、自分の目の前に現れたことで、自分に余力があって「やってみようかな」と思うならば積極的に取り組めばいいのです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。