アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

自分の「辛さ」を理解してもらえるなんて、思わないほうがいい

アラフォー童貞のODです。

 

人間は社会という集団生活を送るうえで「共感」というコミュニケーションによって、人間関係を成立させております。

 

さて、この「共感」ですが、具体的に何をしているのでしょうか?「共感」というものを相手の感情を察知してから、「うんうん分かる」といった自分の感情として表現するまでの間、どのようなプロセスが自分の中で行われているのでしょうか?

 

まず、他人の振る舞いや発言などを洞察します。次に、これまでの自分の経験から「相手はこう考えているだろう」「もしかして●●と思っているのかも」と想定します。次に「相手は何を言って欲しいのか?」「どのように伝えるのが適切か?」を選択します。そして、相手に対して「大変だね」などの労わりの言葉をかけたり、「それって、要は●●ってこと?」などの確認作業を行います。

 

こういったプロセスが「共感」と言えます。共感というからにはもっと感受性のある話と思いきや、何だか機械的なお話です。「共感」とは、相手の抱いた感情や心理状態をダイレクトに自分の感情に投影した表現ではなく、記憶と脳処理による論理的な手続きを踏んだアウトプット行為と言えます。

 

実際、私たちは悩んでいる人がいたり、怒りや悲しみを抱いている人を見かけたとき、何とかしてあげたいと思いつつも、「何を悩んでいるのだろう」「どう言えば落ち着くだろう」というように、慈愛の精神をもちつつも、脳内では機械的に処理を行っております。インプットされた目の前の事象に対して脳内で処理を行い、選択肢を生み出し、そこから適切と思われる選択を「共感」という形でアウトプットしているのです。

 

以上を踏まえて、ここから少し残酷なお話をします。

 

人間は他人の「辛さ」というものを理解してあげることはできません。

 

人間ができることは、他人の「辛さ」を理解したっぽい「共感」という表現しかできないのです。その「共感」もまた、共感してくれた人の記憶や経験と洞察から割り出された処理の1つなのです。

 

そのため、「その気持ちわかるよ」とか「自分もそういうことがあった」と共感っぽい言葉をかけられたとき、辛い思いをしている人が「お前に何が分かる!!」「分かったような口をきくな!!」と怒りを爆発させることがあるのは当然なのです。だって、他人の「辛さ」なんて、その人しか分からないのですから。

 

逆に、「この辛さや苦しみを、なんで他の人はしてくれないんだ!」と憤慨するのもお門違いなのです。だって、他人の辛さなんて、他人には分かるわけはないのですから。

 

誰からも「共感」が得られなくても、それは自然なことなのです。それは他人は他人の記憶と経験からくる脳内処理で生み出されたものしか「共感」として表現できないので、記憶も経験もゼロの人から「共感」を得ようとするのは無理です。ゼロから生み出されるものはゼロです。無理やりひねり出しても、それは相手が期待する「共感」にはなりません。

 

あまり「共感」という言葉に惑わされないでください。

また、「辛さ」を理解してもらおうとも思わないで下さい。

それは「共感」という幻想に甘えているだけの話です。

 

別に「人間は結局ひとりなんだ」と言いたいわけではありません。

「共感」なんて、せいぜい「え、同じ出身じゃん、マジ偶然!」とか「あ、その映画、自分も見ました。・・・そうそう、あのシーン感動しましたよね」くらいでいいのです。自分の「辛さ」という重い思いまで、他人に分かってもらおうと思わないほうが気が楽なのです。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。