アラフォー童貞は〇〇と考える

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「怒れば何とかなる」と思っている人との関わり方

アラフォー童貞のODです。

 

人間は考え方や価値観が1人1人異なります。

このようなことは頭で分かっているけれど、相手の言動や考え方を知ったとき、それが自分にとって許せないことや譲れないことだと、相手を変えようとしてしまい、それが反論や口論といった言葉の対立を生んだり、ときには暴力といった痛みと軋轢をともなった衝突に発展します。

 

もちろん、このようなことだって多くの人は理解しているので、相手にやんわりと注意をしたり、例え話や遠まわしな言い方で気づいてもらおうとしたり、教育や指導という形で間違えを正そうとしたりします。ときには言いたいことはあるけれど、その場では何を言わないこともあるでしょう。価値観の相違から相手と距離を置くようにするという対処をとる人もいるでしょう。人によっては、その相手とは二度と関わらないようにするということもあります。

 

他人と自分との価値観の違いに対して、どう行動するかは答えはありません。心理学などでも統計などをもってパターン化はできるでしょうが、アドベンチャーゲームの選択肢ではなので、このような場合はこのように言えばグッドコミュニケーション、ということはなりません。それどころか、想像しないような反応が返ってきたり、期待通りの反応が得られないことに落胆することだってあります。

 

ただし、なるべく避けたほうが良いことがあります。それは「怒り」という感情をもって他人と対峙することです。

 

私はこのブログで怒りをテーマにした記事を書くことがありますが、怒りという感情自体を否定はしません。むしろ、生物として標準に備わっている機能であり、命を守るために作用することもある、ある意味で必要なことだと思っております。

しかし、それはあくまで緊急的な場合に肉体に作用するときに有用であって、特に武力や戦力をもった時代ではない、文化的に生きている現代においては日常で使いどころはありません。

 

それでも、よく怒っている人はおります。別に生命の危機もないのに、いつも人に食って掛かったり、口論をしていたり、自分の考えや価値観を声を荒げて、怒り任せに喚き散らしている人はおります。

このような人は「怒れば何とかなる」と思っているので、怒るという手段を簡単に使ってしまうのです。それは、これまでの人生において、怒れば何とかなったという経験からきているのだと思われます。

しかし、怒れば何となってきたのは、その人の考えや価値観の正しさが証明されたわけではありません。その人からすれば、これまで怒れば何とかなっているでしょうが、それはただの思い込みです。

 

怒るような人の考えや主張が通ってきたのは、実は怒りをぶつけられた相手のおかげなのです。例えば、子供がおもちゃを買ってもらいたくて駄々をこねたとして、見かねた親が仕方なくおもちゃを買ってあげたとします。子供はおもちゃを手に入れることができましたが、それは駄々をこねたから(怒りという行動)ではなく、親がお金を出して買ってくれたからです。極端に言えば、おもちゃ屋の前で子供が単独で駄々をこねたからとして、お店の人がつまみ出すだけで終わるでしょう。しかし、駄々をこねた子供は「そうか、駄々をこねれば自分の主張は通るんだ」と思い込んで、それが癖になると、ただの堪え性のない人格になってしまうのです。

 

これは大人になってからも同様です。もちろん、子供でも年齢が上がり、背丈が伸びてきてからも同様です。それなりの年齢や立場になると、ある程度の主張をするものの、社会で生きる人間であるからには、黙っていることや他人の主張を受け入れることもあります。そのようなギブ&テイクによって私たちは関係性を構築していくのです。

そこでもし、怒りながら自分の主張をする人たちと関わろうものならば、周囲は面倒がってその人の主張を受け入れることが多くなります。しかし、ここまで何度もお伝えしておりますとおり、それはその人の主張に正当性があるからではなく、周囲が「仕方ない」と思って採用しているに過ぎないのです。

つまり、怒りをまき散らしながら自分の主張をしてくる人は、自分の考えが通って満足しているかもしれませんし、自分のほうが格が上だとマウントをとっていることかと思います。

しかし実際は、そのような子供が駄々をこねるような態度をとる人たちを、「仕方ない」と思って持ち上げてくれる周囲の人たちのほうが格は上なのです。人格ができているのです。

 

ここでもしも、同じように怒りをもって主張する人がたくさんいたら、もはや収集はつきません。どこかで冷静になって話し合いをすること、怒りをもって主張してくる人を「仕方ない」と思うこと、口論や暴力という怒りの火種を広げないことが大切なのです。そこに人間性が現れるのです。

 

もちろん、こちらも考えや価値観を主張することは大切です。一方で言い方も大切です。声を荒げて話し合いにならない人をいなしながら、その場ではことを収めるということができれば、周囲はその姿勢をちゃんと見てくれるものです。つまり、こちらの味方になってくれたり、「さっきは大変だったよね」「怒ってばかりの人を相手に、うまいこと言ってたよね」と評価してくれます。その場では自分の主張は採用されなくても、もしかしたら今後、何かしらのタイミングで自分の主張が採用されやすくなる可能性もあります。

 

大切なのは、こちらも怒りの心を抱いたとしても、それを声を荒げたり、眉間にしわを寄せて睨んだり、相手を馬鹿にするような言い方をしたりといったことをしない、つまり「怒りを表に出さない」という姿勢をとらないということです。

もしも、その場でイライラしたり、ムカッとしたら、手元のノートなどに(周囲から見えないように)「うるせー、バーカ」とか書きつつ、相手の顔を見る時はニコニコしたり、真剣に話を聞いているフリをしてみてください。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。