アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

夢や憧れをカタチにする事だけがすべてではない

アラフォー童貞のODです。

 

アイドルのようにキラキラした人になりたい

スポーツ選手のように自分の肉体で成果を出したい

どん底の日々から脱却してお金持ちになりたい

 

・・・生きていると、私たちは夢や憧れを抱きます。

 

このような将来に対しての大きな話だけでなく、気になる人とデートに行きたい、あわよくばお付き合いしたいということもあります。年齢が年齢ならば、この人と結婚してずっと一緒に暮らしていきたいなどとも思うこともあるでしょう。

 

このような夢や憧れに対して、自分を磨いてオーディションに参加したり、スポーツクラブに入ってレギュラーを獲得しようとしたり、人よりたくさん働いたり、少し頭を使って誰も気づいていないビジネスを構築したり、と夢や憧れに対しての小さな一歩を積み重ねていくことができるのが人間です。

 

しかし、誰もが夢を叶えたり、憧れたものに届いたりできるわけではありません。むしろ、夢や憧れに至る前に終わることのほうが多いです。サクセスストーリーが華やかなに見えるのは成功したからであって、それより多いはずの失敗ストーリーは隠れてしまうものです。

また、サクセスストーリーでは「失敗や挫折を繰り返して、ほんのチャンスを見出して成功した」みたいな流れがありますが、明確な失敗や挫折というのはあまり自覚できにくいものですし、それが成功につながったということも後になって分かることのほうが多いものです。人によっては「運が良かった」「タイミング(時代)がたまたま合っていただけ」と自分の努力とは違う要因を語る人もいます。

 

このように書くと、夢や努力に対しての努力は無駄であるみたいに思われるかもしれませんが、そうではありません。叶うかどうかは別として、目指すものがハッキリとあって、それに向けて邁進することができるのもまた人間だと思います。そのような人がいたらできる限り夢を叶えて欲しいですし、憧れに少しでも届ける様に祈りたいものです。

 

一方、誰もが夢や憧れをカタチにするわけではない、ということも知っておいたほうが良いです。夢は夢のままにする、憧れは憧れのままで終わる、という道もあるということを覚えておいて下さい。

 

例えば、野球が好きだからと言って、すべての野球好きが野球選手を目指すのが普通なわけではありません。キャッチボールやバッティングが好きなだけな人もいれば、野球観戦が好きという人もいます。もしかしたら、スコアボードに並々ならぬ執着心を持っている人もいるかもしれません。「好き」のカタチは人それぞれです。

 

あるいは、漫画が好きだからといって、すべての人が漫画家になるわけではありません。漫画というものは、多くの人が読んで楽しむだけで終わります。それは娯楽の1つだからです。そこから絵を描くのが好きという延長で既存のキャラを描いてみたり、イラストを投稿する人もいるでしょうが、物語としてカタチにするというところまでは結構ハードルが高いかもしれません。だからといって、「お前、絵が描けるならば漫画も描けばいいじゃん」などと非難する人はいないでしょう。また、自分自身も「絵が描くのが好きなのに、漫画が描けない自分はダメだ」なんて思わないはずです。

 

このように、夢を叶える、憧れをカタチにする、好きなもの(存在)になる、ということだけが全てではありません。それは夢や憧れというものに対して、プレイヤーになるだけがゴールではなく、オーディエンスの側で楽しむのも1つのあり方という話です。

 

1つの視点ですが、夢や憧れに到達した途端にガッカリしたり、その現実に幻滅してしまうことだってあります。落胆や幻滅ということをしないためには、夢は夢、憧れは憧れのままでいたほうが良いということもあるのです。

好きな人と付き合ったり、結婚するだけがすべてではありません。憧れの存在として、遠くから眺めているほうが良いというのも1つの好きの在り方です。それはストーカー的な意味ではなく、好きな人のままでありたいから、困っていることがあったらフォローしたり、悩みがあったら聞いてあげるという距離を置いた関係のままいるという選択肢もあって良いのです。

 

何だか夢や憧れに対して、行動しない奴の言い訳みたいに思われるかもしれません。

しかし、夢を持つこと、憧れをカタチにすることを強要することは間違っています。眺めているだけの人生だっていいじゃないですか。それでも、少しでも近づきたいという欲があるのだったら、小さな一歩でも行動すればいいだけの話です。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。