アラフォー童貞は〇〇と考える

アラフォー童貞が仕事、時間、性など考えたことをまとめています。

妄想はほとほどに【莫妄想】

アラフォー童貞のODです。

 

「莫妄想(まくもうぞう)」という禅の言葉があります。

その意味は「妄想することなかれ」ということです。

 

私たちは脳内で色々なことに思いを巡らせます。その思いは脱線して気がつけば違うことを考えていたり、実現しそうにないイメージを頭の中で繰り広げたり、現実に起きていないことなのに感情的になることもあります。

 

妄想で一番分かりやすいのは恋愛ではないでしょうか。特に片思いしてる場合は、妄想すること自体が楽しいと思います。気になっている女性とデートをしているところを妄想したり、お家でいい雰囲気になっているところを妄想したり、何ならエッチなこともするところまで妄想したり・・・。

しかし、現実に戻ると片思いしているだけの状態には変わりありません。妄想を現実にしたいのであれば、まずはデートに誘うとか、そもそも会話をしたことがない状態ならば、挨拶をしたり雑談を交わしたりするレベルの関係にしなくては話になりません。気持ちは分かりますが、妄想している場合ではありません。

(これは、アラフォーにもなって恋愛で妄想していた私の話でもあります)

 

また、妄想の世界の話なのに感情的になってしまうことも同様です。妄想で感情的になってしまうことには段階があります。始めは実際の出来事がきっかけであったのに、それが色々な憶測や想像を巡らせているうちに、実際には起きていないこと、現実に起こる気配すらないないことなのに、一人で勝手に怒りや悲しみにくれることがあります。

例えば、仕事で上司から「この書類をやり直して」と言われたとして、普段ならば仕方ないと思って終わるのに、疲れが溜まっていたりすると「こっちだって忙しいの中でやったのに」と不満に思うことがります。そのような不満が火種となり、「あの上司はきっと自分のことが嫌いなのだ」とか「そういえば、人気のレストランに行くって言ってたから、自分に仕事を押し付けたんだ」という、事実かどうかも分からない憶測が始まります。すると、次は「きっと今後も忙しいことなんか気にせずに、雑用を押し付けてくるに違いない」とか「自分のことを正当に評価してくれないから、駄目出しばかりするんだ!」などと、感情が暴走してしまうのです。

よくよく考えると、書類のやり直しを受けたのは現実だけれども、それ以降は自分の妄想でしかありません。しかも、このような感情に付随する妄想は、大抵の場合は後から考えてみると「何であの程度のことで感情的になっていたのだろう」とか「何であんな偏屈な考えをしていたのだろう」となるものです。

また、妄想が暴走した状態で上司に向かって上記の妄想をそのまま伝えたとしても、その上司も「へ? 不通に書類のやり直しを伝えただけだけど」とか「レストランなんていかないで、家にまっすぐ帰るつもりだけど」とか「忙しいのに気づかなかった、それはゴメンね」といった、自分の脳内で繰り広げられた妄想とは全く違った反応が返ってくるだけでしょう。

 

自分の考えや価値観は大切にしても良いですが、自分の世界なんてものは狭いものですし、正義と思っていても周囲から見れば間違っていることもあります。ポイントが違ったりトンチンカンなことだってあります。そのような自分の頭の中で繰り広げられる妄想というのは、もっと信憑性に欠けるものです。そもそも、現実に起こっていない話ばかりなので、妄想をそのままリアルとして伝えようものなら、当然ですが周囲は「何のこっちゃ」となります。そんな現実に起きてないうえに信憑性に欠ける妄想を繰り広げても、現実には何の影響もないですし、感情的になっても共感も理解も得られることはありません。

 

つまり、このような状態で展開される妄想は、何の生産性もないうえに、他人に良い影響も与えないばかりか自分が苦しむだけになってしまうのです。実はただ無益にエネルギーを消費しているだけなのです。

 

だからこそ、きっと禅においては「莫妄想」、妄想することなかれという教えを説いているのだと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。